こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

テロリストと国家、それぞれによる殺人

2011年05月04日 | 日々思うこと、考えること
一人のテロリストが殺害された。
数千人の罪の無い無防備な人の命を瞬時にして奪った事件の首謀者であれば極刑をもってしか償うてだてはないだろう。容疑者であったからには、裁判を受けさせるべきではあったが、判決は極刑のみだったろう。
戦時下では、対戦国による爆撃で一般住民が多数殺害されることが起こるが、テロリストは戦時下にない一般の無垢の人を標的にすることが、犯罪者とされる点であり、不意打ちは人間同士の戦いのルールからは外れる。

テロも戦争も、人間同士の殺し合いにほかならない。

人はなぜ、殺し合いをするのか。結局いつもこの話になってしまう。
殺し合いによってしか解決策が見いだせない、という点が人の愚かしい点だ。

人を殺してはいけないのはなぜか、それは自分がされたくないことを人に対してしてはいけないから、と考えている。
なぜ、殺し合いになってしまうのか。殺し合いに発展することが、抑止力になるからだろうか。
生き物の命を奪うことが目的であれば、人間以外の動物を殺せばいいし、実際人間は毎日そうして生きている。
とすれば、目的は自らの生存のためか。
テロも大きな意味では自らの存在のための殺人だ。
国家であれば、政府や軍が代表しての殺し合いとなる。
国家は、テロリストによる脅威から国民を守る必要がある。今回の殺害は、そのためのものだ。

だが、いかなる殺し合いにも、人の意思を持って人を殺すという点において、正当な理由は存在し得ない。
さすれば、死刑に対してすら、正当な理由を与えられなくなる。

最近、わからないことばかりだ。