木立の向こうの雲一つない青空を眺めてみる。
そこにある任意の2点を見たとき、私はそれを2点として弁別することはできない。
異なる点ではあるが、同じ点にも見える。
でも、その2点は宇宙が無限に拡張していくとすれば、永遠に一つになることが無い、無限に離れゆく2つの点であるはずだ。
木立の向こうの点などではなく、目の前の2点であっても、別々であれば、決して一つになることはない。
いや、目の前にある1点ですら、いったい同じなのか、別なのか、区別がつかない。
なにをもって同じとするか。その定義もあやふやだ。位置か、見た目か、思いか。
2点を同時に認識しているのかすら、わからない。点という存在自体私には認識できない。
時間の経過とともに、空間は無限に広がっていく。どこかに終わりがあるのかもしれないが、それは折り返しなのかどうかわからない。
無限の宇宙から見れば、極小の地球の片隅で私は生きている。
私の周りで何が起こっても、宇宙の膨張がとどまることは無く、私自身の存在も変わらない。
すべてが無力であり、すべては相互に影響しあっている。
すべての力は相互に干渉しあっている。
そのことを認識しているにも関わらず、日常の些末な出来事に一喜一憂する。
自分の人格すら、無限に枝分かれしていく。そのことを日々、感じる。
私が感じている無限、そこにあるのは、ただ、混沌とした、無限の多中心性の価値観の存在する世界である。
そこには、すべては無限であるということ以外わかっていることは無い。私の存在はどこにあるのか。所詮無限の中の一瞬に過ぎないものでしか過ぎないのか。
そこにある任意の2点を見たとき、私はそれを2点として弁別することはできない。
異なる点ではあるが、同じ点にも見える。
でも、その2点は宇宙が無限に拡張していくとすれば、永遠に一つになることが無い、無限に離れゆく2つの点であるはずだ。
木立の向こうの点などではなく、目の前の2点であっても、別々であれば、決して一つになることはない。
いや、目の前にある1点ですら、いったい同じなのか、別なのか、区別がつかない。
なにをもって同じとするか。その定義もあやふやだ。位置か、見た目か、思いか。
2点を同時に認識しているのかすら、わからない。点という存在自体私には認識できない。
時間の経過とともに、空間は無限に広がっていく。どこかに終わりがあるのかもしれないが、それは折り返しなのかどうかわからない。
無限の宇宙から見れば、極小の地球の片隅で私は生きている。
私の周りで何が起こっても、宇宙の膨張がとどまることは無く、私自身の存在も変わらない。
すべてが無力であり、すべては相互に影響しあっている。
すべての力は相互に干渉しあっている。
そのことを認識しているにも関わらず、日常の些末な出来事に一喜一憂する。
自分の人格すら、無限に枝分かれしていく。そのことを日々、感じる。
私が感じている無限、そこにあるのは、ただ、混沌とした、無限の多中心性の価値観の存在する世界である。
そこには、すべては無限であるということ以外わかっていることは無い。私の存在はどこにあるのか。所詮無限の中の一瞬に過ぎないものでしか過ぎないのか。