こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

かけつけ

2011年05月22日 | 日々思うこと、考えること
昼の出発ということで、あわただしくチェックアウト。
それにしても熱い。
9時ですでに30度を超えている。
こちらで買うプレモルは、日本で飲むほどおいしくなかったのは、日本から運んでいるせいか、などと思いながらホテルを後に。


あと、2日学会三昧できたらと思うと、名残惜しいが、今日は大学のバスケット部顧問の先生の傘寿のお祝い。台湾から福岡経由東京。という強行軍ルートがあったそうだが、臨床細胞学会は残念ながら出席できず。
年をとると、しがらみが増えて、身一つではもたない。
これは、”忙しい“とは違う。なんというか、あれもこれも、という状態で、ともするとどれもが中途半端な、はなはだ散漫な状態だ。とはいえ、人生一度、一期一会を大切にするとこうなる。そういったものをとくに大切にしなくてもいいのだが、そうもいかない。

今夜お祝いする先生、最悪だった私の学生時代でもっともご迷惑をおかけした先生だ。
先生のほうで、どう思われていたかは関係ない。私が迷惑をおかけしていたということで、こんなとき、直接お話しができなくても出席するだけでもいいので、感謝の気持ちを伝えなければ、私の気持ちがおさまらない。

こういう、気がすまない、とか収まらない、というのは個人的な、きわめて内向きな問題であり、いわゆる『手前勝手な』話だ。
そもそも、私が何かなす、ということがこの世にたいして、どれだけ意味があるのか。
となるのだが、“タイムトラベル”のパラドックスの問題では髪の毛1本、チリひとつ痕跡を残してはいけないことになっている。
世の中、すべてのこが、相互に影響を及ぼしあっているはずで、私も何かの働きをしているはず。

話しがそれたが、やっぱり、気が済まないというのは、どうしようもなく、可能であればできることはしたいとなる。

冠婚葬祭、というものは何でもそうだが、できれば、お伺いしたい。

東京には18時。会場は新宿で、開宴は18時。
ちょっと遅刻するが、頑張ってお伺いしたい。

と、ここまでを台湾松山空港で書いた。

会場には19時半に駆け込んだ。

八十になられても、お元気そうなお顔を拝見し、ご挨拶もできた。
先生からしてみれば、やはり、その他大勢だったようだが、なんでか私は幸せな気持ちだった。

こういう気持ち、いいなと思う。