「ホーホーホケキョ、ホーホケキョ、ケキョケキョケキョケキョ」ここ数日、窓越しに聞こえてくるウグイスのさえずりに目を覚まされることが多くなった。今朝はいつもよりもそれが多く聞こえるような気がした。妻にそのことを話すと、「それぞれのなわばりがきまったんじゃないの?」と返された。たしかに、犬の散歩に出かけたときに、裏山からだけでなく、近所の家の庭木や、近所の小学校の校庭の木からも、上手に区画分けしているかのように一羽ずつのさえずりが聞こえた。さえずりが上手になったところでのなわばり宣言ということか。
人間社会における縄張りといえば、国境が一番わかりやすい。その国境を守るために、人類は長らく無益な戦争を数知れず繰り返してきた。国境線の内側には自国民がいて、その向こう側には他国民がいる。自国民の人権は守らなくてはならないが、他国民の人権は自国民のそれと比べるととても軽い。他国の縄張りに入れられて植民地として収奪の対象となることもしばしばある。このような危険があるから、自国の主義主張を持って国境を守ることがなによりも大事になる。
ここ最近の世界情勢、すなわち、中国、米国、ロシアを中心とした覇権争いを聞かされると、いっそのこと国境などなくしてしまえばいいのにと思う。だが、EUにおける人の移動の自由がイギリスの総選挙での最大の争点になったことを考えると、そう簡単にもいかないようだ。
それにしても、これほど多くのさえずりを聴かされているとウグイスたちにとって鎌倉の谷戸の数は足りているのだろうかと心配になってしまう。もし足りなかったら彼らはどう調整して棲み分けしているのだろう。戦うことがあったとしても、人間のように互いに殺しあうことまではしないだろうから、その知恵を拝借したいものだ。今日で連休も終わり。ウグイスのなわばり争いを心配するよりも、自分の仕事の心配をしなくてはいけなくなる。