人生なんてそれほど長くもないのに、いつ病気になってしまうか、そして、いつ死ぬかなどということは、まったくわからない。
今から三十分後に大きな事故、災害に巻き込まれることが無いとだれが保証してくれるだろう。
人生はとてもあやうくてはかない。
ただ、自らの人生すなわち命を粗末にあつかっていいことはないが、自分のものなのだから多少自由にしてもいいかと思う。
それぞれの人生に決まったレールなどないのに、そんなものがあるような気がすることがある。
同じような状況がしばらく続いたりすると、それがあたかも永遠に続くように感じてしまう。
現実には多くの人が入りみだれて生きているこの世の中に、そんな“定常状態“があるわけない。
だから、そのような“錯覚”にとらわれることなく自分の立ち位置を、いつも確かめていなくてはならない。
みかけ上の安定は停滞を生み出す。
長い間、動かずそこでじっとしていたら、安定しているようにみえるが、すべてがそこで止まっているにすぎない。
これではその先の人生に新たな展開はない。
そして安定という名の停滞の上に築かれた山に気がついた時、その山も自分もコントロールすることができなくなっている。
こうなってしまうとその山はもう、自分の手で壊すか、誰か他の人に譲るかしかない。
不肖コロ健、これまでその山の存在に気がつかないでいた。
その山がどれほどの大きさで、どんな形なのかもわからなくなっている。
こうなってしまうと、私にできるのはその山を捨てることしかない。
そのために必要なのは、変わりたいという意志、そのことで得らることができる夢、この決意を受け止めてくれる仲間、私のすべてを受け入れてくれる家族、そしてこれまで育ててきた虚栄心を捨てる覚悟だ。