こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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よりよく生きるにはどうしたらいい?

フゾクのリュウゼツランと火星

2018年08月02日 | 鎌倉暮らし

この半月ほど見守ってきたフゾクのリュウゼツランがいよいよてっぺんまで開花した。暑気あたりからなかなか出歩かないでいた妻も、今日で花がすべて咲くと伝えたら、私と一緒に見に出てきた。せっかくなので、今日は解像度を高くしておきます。

夜明けの時間が遅くなって、5時すぎでも、空はまだ乳白色。でも、鳥と蝉の声が交錯している。そういえば、今、火星が地球に大接近中とのこと。15年ぶりぐらいの近さだそうだ。明るい赤い星が南の夜空に輝いていた。

スマホのカメラでもこうして捉えることができるほどなのだからよほど明るいということだ。マイナス2.8等というとどれぐらいかわからないが、普段の50倍の明るさとのこと。

さて、フゾクのリュウゼツランだけど、思っていた通り、先端の10個程度の花まで咲いている。

下の方の花はほどんど落ちて、茎や葉は随分やせ細ってしまった。それでも最後の力を振り絞ってついにてっぺんの花まで咲かせることができた。台風12号にも負けず、よく頑張った!と声をかけてあげた。花の周りにはたくさんの虫が飛び交っている。こんな、たった1本だけにもかかわらず、数千の花をつけ、多くの命を育んでいるのだと思うと感動を禁じ得ない。妻はナイトと一緒に引き返し、私はそのまま鎌倉駅に。これで普段よりも1時間近く早く仕事に取りかかることができた。これぞ早起きは三文の得?

”自然”という言葉からはほど遠い環境だけど、こうして”人間以外の生命”の営みを実感できたことはとてもよかった。なにもリュウゼツランでなくても、チューリップでもひまわりもある意味同じだけど、30年だか50年という時間的スケールからすると感じ方も違ってくる。

附属小に通っていた息子によると、リュウゼツランの存在は認識していたそうだけど、それがいつから植わっていたのかはしらないらしい。もちろん、私たち近所の者も朝夕その”竜の舌”のような大きな葉の横を通りながら、いつも”ちょっとだけ”すごい葉だと感じていたけど、ほとんど気にはしていなかった。ネットで探したら、私同様”馬鹿でかいアロエ”として写真をとっている方がいらした(北京老学生・日本から台湾へ ”【40年ぶり?の鎌倉】その2 頼朝の墓、小2学生のときの記憶” 2013/10/9)。貴重な写真だ。私もそうだったけど、やっぱり誰もが、大きなアロエと思う。

私も、附属小の低グラ(低学年用のグラウンドの意)の写真があったら、探してみようと思う。例えば、入学式の日に撮った写真でもがあれば、その隅っこにこのリュウゼツランが写っているようだといいのだけど。


育つ途中はどうだった?

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