他人を傷つければ自分も傷つく。
でも、他人を傷つけている人は同時に自分も傷付いていることに気がつかない。
ましてや子供はいじめが互いを傷つけているということなどわかりはしない。
そして、多くのいじめっ子はそのまま大人になるが、大人になった頃いじめ(もしくはそれを黙認していた)の記憶が蘇り、自分が深く傷ついていたことを知り、傷は心の中に深く刺さったままとなる
この前、”聲の形(こえのかたち)”というアニメ映画が教育テレビ(NHK Eテレ)で放映されていた。
ろう者の方に関わるテーマということが興味深く観た。
内容はろう者の女の子をめぐる話というよりは深刻なイジメ問題の映画だった。
いじめられる側はもちろんだけど、いじめる側も傷つき重い十字架を背負うという話で、どちらかといえば”いじめられない側”にいた私には観ていて辛くなる内容だった。
新聞にもこの時期、いじめに関する記事が多く出ている。
こちらはいじめられっ子に対する救援メッセージの色あいがつよい。
私は児童心理学者ではないので詳しいことはわからないが、子供から大人になっていく過程で、誰かをいじめをしてしまうというのは避けようがないのだろうか。
そして、自我の芽生えなど精神構造の変化が加わっているからコントロールすることも難しいのかもしれない。
誰かが憎いというわけではない、誰かほんの少し異質な存在を際立たせ、いじめないではいられないということがあるのだろうか。
いじめようという心理は大人になっても続く。
卑近な例でいえば、政治家や芸能人のゴシップは”公人”であることを大義名分としたいじめにすぎない。
今さらとはいえ、私たち大人はどうしたらいじめの軽減化に貢献できるだろう。
子供たちに直接呼びかけることはできないが、パワハラとかセクハラを減らしていくこと、そういう態度を子供たちに示すことが、その一助になるかもしれない。
背中を見せて生きる