男なんて要らない、というのは乱暴な言い方で、少なくとも生物の多様性の維持のためには必要な存在であることは間違いない。
かといって、あんまり自分勝手にのさばっていたら、やっぱり女性に三行半を突きつけられてしまうだろう。女性がいるからこそ男性は頑張るのに、もし女性にそっぽを向かれてしまったら、男性は寂しくなってしまう。私も含め、ダメな男はたくさんいて、生物学的多様性の維持以外に男性が必要かといわれると心もとないのは確かだ。
結局のところ、現代社会において、生殖活動以外の点では男は女性の苦手とすることを補完していくこと以外に存在意義はないと自覚するべきだろう。政治とか戦争がまわらないという危惧があるが、政治・行政といったシステムはほぼ完成していていじる必要はほとんどないし、戦争はしなければいい。どれも男性目線の議論だ。
昔、政治家というのは男であることが当たり前だったような気がするが、今朝、現総理と総理経験者が休暇でゴルフを楽しんだというニュースを見て、違和感を感じた。映っているのはみんな男。みんな男であることが悪いのではなく、男しか映っていないのが気持ち悪いように思えたのだ。こういう感覚を持つ人は今後増えていくだろうから、世の中は少しずつ変わっていくに違いない。
生物学的な多様性と同じように、様々な分野に女性が進出すれば考え方にも多様性が生まれる。今は、まだ男性医師の負担が多いけれど、そのうち、そういった負担が軽減されていく道が開けるかもしれない。男性が男性に支配されるよりは、女性に支配される方が抵抗は少ないのではないか。もちろん、その裏にその女性を利用してのうのうとしている男がいないという前提ではある。人間社会は、数頭のメスが一頭のオスを支えるライオンの群れになってはいけない。
ジェンダー論争というものは、ある意味男性の持ってきた既得権を維持するための男性と女性の対立だ。だが、SNSで多くの女性が色々な声を発しているのを聞くと、多くの人が男性にとっても受け入れることが可能なことを言っているのがわかる。女性は男性のことを敵視などしていないのに、男性の側の方が、ピリピリしている。男性にとって女性の考え方というのは謎が多い。女性同士でもそうだという人がいるほどなのだから、全くそうなのだろう。
車窓から見える多くの建物、鉄道の線路、道路、自動車。こういったものの多くは男性の力なしにはできなかったはずだ。力仕事がはじめにあったからこそ、今ある社会というものがある。現代社会を否定することはできない以上、男女とも、これまでの人類の歴史の中で、それぞれが何をなしてきたのかという点に着目し、理解を深めてお互いの努力を讃え合っていくことが、これからの人類が行うべきことではないだろうか。
わかり合うため互いをよく知る