こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

”人生”という大きくて長いトンネルの中で(3)

2018年08月26日 | 生き方について考える

”人生”という大きくて長いトンネルの中で、私たちの魂は、釘を打ち付けてある傾斜のついた板の上を、希望という唯一の光を目指し、右往左往しながら転がっていく。肉体という魂のキャリア(担体)には寿命があり、肉体の活動が停止するとき、希望という光溢れる暗闇からの出口に至り、さまよえる魂はトンネルの外の世界へと解放される。

人生で思い悩むことがあるときには、少しの間目を閉じて、魂のありかを確認する。すべての欲求は魂が欲することであり、誰か他人が強要してくることではない。瞑想などというほどのものでないけれど、少しの間でも目を閉じさえすれば魂は暗闇の中でただ転がっているものであること、肉体は魂を運ぶキャリアでしかなく、執着すべきものではないことが自覚できる。魂のことをそれぞれの大脳が紡ぎだす幻影のようにいうがそんなことはない。遺伝子こそが魂なのだ。それぞれの人の細胞をなす遺伝子こそが魂なのだと思う。

だけど、現実世界にはすでに光と音が溢れている。ほとんどは無駄な明滅であり無秩序な騒音でしかないのに、ほとんどの人間はそれにとらわれ、目を閉じるチャンスを失っている。そういう意味で魂を感じるということは難しいことだ。それでも日々続けていくことで、それぞれの魂を救ってあげることはできる。 今回の話をまとめると、 人生とは大きくて長いトンネルである、 人の誕生とはトンネルの中に放り込まれるということ、 肉体とは遺伝子のキャリアにしかすぎずを、トンネルの中は魂が出口を目指して進む。 トンネルの中は真っ暗で何も見えず障害は多い。魂はそんな中を右往左往しながら進んでいく。 日々の悩み、迷いはそんなトンネルの中の障害でしかない。 トンネルの中には沢山の人が歩いていて、互いに助け合ったりぶつかり合ったりするけど、それはそれぞれが必死に出口を目指しているだけのこと。 トンネルの出口には光が溢れていて、すべての人はその光を目指して進んでいる。 暗闇の中にある光とは希望であり、出口にある光とはすなわち希望。 暗闇から解放される時とは死であり、光に包まれる時。 魂を感じることでこれらのことを理解すれば人生を死に向かって受け入れていくことができるかもしれない。

このテーマ、初めは上・中・下で終わらせようと思っていたのだけど、なんだか掴みかけたような気がするので、忘れないようにカテゴリーのひとつに分けて、もう少し続けることにします。

目を閉じることで

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