”人生”というものを大きくて長いトンネルに例えてみた。
トンネルの入り口は小さく、もちろん中は真っ暗で何も見えない。好き好んでそんなところに入りたくはないが、とにかく足を踏み入れてしまった以上、右往左往しながらでも前に進むしかない。入り口に戻るということは無に戻るということを意味するからだ。トンネルの外の世界は(たぶん)明るくて、無限に広がいのだけど、トンネルの中にいる限りそのことは知り得ない。大きくて長いといっても、それは他人との比較の問題ではない。それぞれの人にとって人生は全てだから”空間的広がり”とか”時間”という概念はそこには必要ない。人生イコール1(人)だ。
大きくて長いトンネルの中には自分以外にも多くの人がいる。その人たちもまた、自分と同じように真っ暗なトンネルの中で右往左往している。まっすぐ歩いているつもりでも、他人にぶつかりながらで多大な迷惑をかけている人もいれば、周囲に対して注意深くそっと歩いている人もいる。なにせ真っ暗だから正しい道など誰にもわからない。たまに、歩くことをやめてしゃがみこんでいる人だっている。でも、歩みの早い遅いはあっても、みんな真っ暗なトンネルの中を出口に向かって歩いている。では、どうやって出口に向かっているのだろう。
トンネルの中には様々な程度の起伏があり、壁がある。でも、トンネルの出口にはかすかな光があって、誰もが暗闇から抜け出るためにそこを目指す、それが生きることなのではないかと私は思う。その光が、希望とよばれるものかもしれないが、希望は人生の終わりにしかない。
人はみなその出口にある希望という名の光を目指して、右往左往しながらも進んでいく。それがそれぞれの人生なのだ。
人間に限った話ということで