こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

臨床医との研究

2012年12月01日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

臨床系の学会に参加して思うのは、彼らの多くとわれわれ病理医とでは、研究対象へのアプローチ方法がまったく違うということ。
そして、人数は彼らのほうが圧倒的に多く、優秀なのも多い。
それに引き換え病理医は独りよがりで、変人の率も高い(母集団の人数が少ないので、変なのが目立つ)。

だからといって、そこでめげてはいけない。
医学の進歩のために、われわれ病理医が、彼らの足りないところを補ってあげているのだというくらいの気概を持っていなくてはならない。
というか、それこそがわれわれ病理医の役割なのだと思える。

病理医は人数も少なく、臨床系の学会になど参加した日には、本当に孤独である。
誰かと一緒に連れ立ってどうこう、ということもない。
昨晩も当たり前のように個食。価値観が違うので、共通の話題も少なく、これも致し方ない。

でも、だからこそ、考える時間もある。
病気のこと、医療のことを、私なりに深く考えることができる。
患者を面白おかしくあげつらっているひまは私にはない。

今回の学会に参加して、改めて病理医の役割の大切さを実感した。

死んでもその原因を明らかにせずに終わらせる多くの臨床医。
なぜ、彼らの多くはそうなってしまったのだろう。勉強ができるから医学部に進んで、医者になったのだろうが、税金を使って医者にしてもらったからには、もう少し謙虚であって欲しいと思いたくなる医者があまりにも多い。

私の参加した学会も、きわめて先進的な分野で、参加していた医者は、一日半会場に缶詰めでいるほどみな真面目である。
にもかかわらず、自分たちが行った治療効果を検証しようという体制はまだまだ乏しい。
私なりに、この分野の医療は日本の将来を左右する大切なものと確信しているので、嫌がられでも、参加し続けようと思っている。

親しい仲間を作ることは難しい。
けれども、自分が信じる道を進んで行くしかない。
どれだけ、険しい道であっても、日常生活に埋もれて満足するのではいけない。
そんなことを考えさせてくれた学会だった。

ところで、せっかくの仙台だったけど、到着してすぐの昼食の利休の牛タン、学会、次郎のラーメン、モーニング、学会、ランチの弁当、学会、懇親会、で終わりました。食べて勉強して食べて寝て起きて食べて勉強して食べて…でした。

朝、雪がちらついていた。この冬初めての雪だったが、昼にはやんで、青空ものぞいていた(トイレ休憩のときに窓のあるところまでいって確認した)。でも昼間の空を見たのはこの時だけで、あとはずーっと会場に缶詰め。いやー、よく勉強した。というか、これがあたりまえで、主だった先生はやっぱりずーっといたし、どんどん手を挙げて質問をしてディスカッションをしていた。

帰る時、当然、外は真っ暗。でも、緊張感ゼロの帰りの新幹線では息苦しくなることはなかった。
鎌倉に着いたのは夜中の12時。寒かったけど、駅から家まできれいなお月様を見ながら歩いて帰った。

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