こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

後進に育てられつつ

2013年01月16日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
どうも最近、仕事がうまくいかない。
診断、研究、発表。どれも、いま一つだ。

なぜだろうと、原因を考えてみた。
今の職場に移ってから10年、最初のうちは周りに指導してくれるよい臨床医がいた。そのうち、何人かはさらにステップアップしていったり、開業したりいろいろな道を選んで私の近くから消えた。今でも周りには腕のいい臨床医は何人もいるが、彼らは一緒に仕事をする仲間だ。

そして、いつのまにか若い病理医さらには臨床医が私たち病理診断科で勉強するようになった。
不肖コロ健が、それなりに後進の指導をしている。そうすると、いろいろなことをせねばならない。時間を取られるし、費やす労力も並大抵のものではない。
おまけに、私の知識や技術を与えるばかり、手品のタネも明かせばあとは続かなくなる。

ほかにもいろいろ理由はあろうが、このことも不調の原因の一つかもしれない。

などと、思ったりしていたのだが、後進の指導とは、果たしてそういうことかと改めてよく考えてみたら、大間違いだった。

教えることが、何よりの勉強、というが、まさにその通り。
伸びきったゴムのようだった私の頭は彼らのおかげでずいぶんと活性化されている。彼らは、私に十分恩返しをしてくれていた。
私こそが、育てられていたのだ。
不調の原因の一つだなんて、大間違い。私がなんとかやっているのは、彼らの活力のおかげだった。

日本では熟練の技術の継承ができなくなることが問題となっている。
後進への指導の必要性が声高に言われているが、解決には程遠いようだ。
素晴らしい技術をお墓まで持っていくことはできない。私にしても、微々たるものだが、教えてもらおうという人がいる限りは、それにこたえてあげたい。

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大雪の翌朝の通勤路

2013年01月15日 | 通勤・交通・旅行
大雪から一夜明けて、今朝は一面銀世界。昨晩帰ってからの雪かきのせいで、腕の筋肉がピクピクしていて顕微鏡を上手に操作できないわ、キーボードはたたけないわ、例のカンファレンスが終わったのが21時過ぎだとかであれこれ考える力が残っていません。
今日は写真ブログということでお許し下さい。

まずは鶴岡八幡。左義長(どんどん焼き)の準備は万端。
源平池は凍っていました。


左義長の神事(どんどん焼き)まで見る時間はなく、八幡様を後にして、鎌倉駅へ。


雪道はデコボコなので歩きにくいですね。バランスを取りながら歩くと汗だくになります。


富士見坂はさすがに通行止め。富士山、とても綺麗でした。


病院手前の公園。
ここでも、かわいそうなことに桜の木が雪の重みで折れていました。
ここの桜の木、去年の台風4号の暴風でも1本倒れています。今度は大雪で。御難続きというか、みんな年取っちゃっているのかな。


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いろいろあった三連休

2013年01月14日 | 日々思うこと、考えること
この、三日、実にいろいろあった。
研究会の一日目では、上がったり下がったり。

夜には、勤務先の先生の退職記念会。大変お世話になった先生で私が今あるのに、ずいぶん手助けしてくれた方だった。

昨日は、研究会の二日目。いろいろな先生に慰められ、こんな自分でも、まだまだ期待されているのだと、勝手に思って、立ち直った。

夜には、その研究会の10周年の記念講演会。重鎮と言われる先生方のお話を聞かせていただき、自分の未熟さをひしひしと感じた。

そして、成人の日の今日。
娘のバレーボールの最後の大会があり、応援に出かけた。女の子であるし、コロ健、バレーボールは全く分からないので、指導もなにもなく、ただ応援。最初、大声で応援していたら、娘に「うるさい」とか言われてしまったので、第2セットからは、黙って一番前に立って、応援したら、見事決勝トーナメントへとコマを進め、引退はもう少し先となった。

そのあと、病院に行こうと思ったのだが、大雪のため、大会が中止、いったん会場を後にしていたが、引き返して、そのまま娘と、近所に住むチームメイトと、妻とで鎌倉に帰ったのだが、どこも大渋滞。
東名も、第三京浜も、横浜新道も、首都高も、横浜横須賀道路もどれも通行止め(東名は通行止めではなかったが、入り口が閉鎖、って、事実上の通行止め)。こうなると、東京方面から湘南方面に帰るのはどうしようもなくなる。

幸い乗り捨てることなく帰ることはできたが、6時間近く運転して家にたどりついたら、大事にしていたミモザの木が雪の重みで折れていた。
死ぬ時は、ミモザの黄色い花を見ながらがいいと思っていた2本の木のうちの1本だったので、とても悲しかった。
だが、折れてしまった太い枝を切ったら、少しだけまだ枝が残っていた。大事に育ててあげたい。

それぞれ、語りだせばきりがないほどの話だが、雪かきで両手両足がじんじんとしびれて、ぶるぶる震えている。残念ながら、これ以上はキーボードが打てないので、今日は、この辺で。


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しつけ、体罰、愛の鞭

2013年01月13日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
大阪市立桜宮高校という、私レベルの末端バスケットボールプレイヤーでも知っているほどの強豪校で、長年にわたって、部員への体罰が行われてきたということが問題化している。
自殺者まで出たのだから当然問題となる。自殺した生徒にしてみれば、受けた体罰は大好きなバスケットボールを命とともに捨てるほどの辛さであったのだろう。
高校生だから体罰というが、これが幼少児相手であったなら、虐待となる。
虐待については、各病院でも対応マニュアルが作られているほど。
絶対的な強者が弱者に暴力をふるう、世間ではこのことが決して珍しくない。

力のあるものが、そうでない人間に対して指導していくということは難しい。だから、頭で考えさせるよりも、゛恐怖゛とともに技術を刷り込んでしまう方が、よほど簡単である。だから、訓練にしてもしつけにしても、体罰、暴力に頼ろうとする大人が多くなる。
体罰の場合、指導する内容や躾る内容が限定されるので、それを行う人間とされる人間の間で交わされる契約範囲内でしか有効ではない。したがって、体罰とはきわめて限定的なことについてしか指導していないわけで、その人の全人格を否定しているものではない。

私は息子に手を挙げたことが一度ある。
中学校のとき、息子はバスケットボール部のポイントゲッターで主将だったのだが、あろうことか濃淡二色用意しておかねばならないユニフォームのうちの一色を忘れたのだ。一試合目は淡色だったが、二試合目は濃色を使うことになった。そして、その濃色のユニフォームを忘れた。
ユニフォームが無くては試合には出られない。控えの選手のユニフォームを借りるなどと言うのは学校スポーツとしてありえない。

応援に行っていた私がそのことを息子から言われたのは、二試合目の開始の一時間前。その日はのんびり自転車で応援に来ていたのだが、大急ぎで取りに戻らなければならない。
息子のためというよりは、チームのためだ。
日曜日の休日の鎌倉は自動車が大変混むので、鎌倉市内をタクシーで移動するよりも自転車の方が早いので、私が自宅まで取りに行くこととなった。
中三最後の夏の大会である。炎天下、暑さと膝と腰の痛みに耐えて、気が遠くなりそうになりながらも切り通しの急坂を越えて家にたどり着き、ユニフォームを探し出した。一息つく間もなく、来た道を戻って、なんとか試合開始前に会場に戻ることができた。最後は、走れメロスの心境だった。

会場に着いたら半べそのような顔をして、息子が私のところにユニフォームを取りにきた。

私は息子に「こっちを見ろ」といって、息子のほほを叩いた。けっこう、いい音が出て、周囲が一瞬静かになった。
だが、ユニフォームのおかげで息子は試合に出ることができ、チームは試合に勝った。

私は、自転車を死ぬほどの思いでこいだせいで、膝と腰、とくに腰をだめにしてしまい、ほどなくバスケットボールを止めることになった。

体罰、とくにたたくだのけるということは回数の問題ではなく、一回一回を覚えているくらいの覚悟が必要であろう。
件の先生は、ほとんど毎日選手を叩いていたようだが、その鉄拳のうちのどれだけを覚えていただろうか。

実を言えば、私はあの時息子の頬を叩く必要性があったのか、未だにわからない。単に感情的にそうしてしまったのではないかと、今でも悩む。

体罰をする先生、躾といって子供を殺してしまう親。
そういった人たちはどれだけ叩く子供たちのことを考えていたのだろうか。
今一度、胸に手を当てて考えてほしい。

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久しぶりにボロボロに

2013年01月12日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昼間、例年通りいつも年頭の3連休に開催される研究会で、講演、演題発表を無事こなす、という私にとっては、離れ業をやってのけたつもりだった。こういうことって、やってみると本当につらい。聞いている方は、演者がしゃべって当たり前、のように思っていたが、私ごときのレベルでは、苦行であるが、頼まれた仕事は断るわけにはいかない。

そして、いい気になって、二つも発表を引き受けた結果は、大変なこととなってしまった。原因はすべて私にあった。オーバーロード。
所詮私の手におえるものではなかったのだ。

今年の年初の研究会、一敗一引き分けでおわった。
そして、一敗の方がボロボロだった。
気持ちがよくなるほど叩かれた。ここまでいわれるか、というほどの集中砲火を浴びてしまった。

孤立無援で、途中からサンドバッグ。そして、KO。

心の坂道がどうのこうのと、言っているような場合ではない。
自分なりに、多少は坂道を登ったと思ったら、次の瞬間一気に坂を転げ落ちてしまった。
まさに急勾配。
これまでいた地面すら削りとってしまった。

そんなことを言っても、私のことを仲間、後輩と思ってくれるからこそのご意見、指摘。
そうしてもらえる幸せを、じっくり味わってみたい。
ボロボロにぶっ潰されたけど、私は負けない。

最前線で戦っている感じをひしひしと感じることができた。
まだまだ、老け込むには早い。
どこぞの大家にでもなったつもりだったようだ。

あした、ゼロから再出発だ。


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心の坂の上り下り

2013年01月11日 | 生き方について考える
心というものは、重力によって引っ張られている。

先日、生きていることそのものがポジティブな状態、生きるというエネルギーを汲み上げている状態だと感じた(『生きている限りはポジティブに』)が、それというのが、この心の重力だったのだ。
正確に言えば、何らかの引力により引っ張られている状態を言葉で言い表さないといけないのだが、物理は苦手なので難しい。

生きるということが、時間軸に沿って心と身体が移り変わっていくものだと考えれば、歩いているのと同じように、心にもアップダウンがある。
人間の心はつねに、坂を上り下りしている。

坂を上ること、テンションを上げる、ということはちょっと大変だ。
いろいろな方法があるかもしれないが、それぞれの人がそれぞれの人の生活のなかでやっていかなくてはいけない。

スポーツは一見よく見えるのだが、それは、結果が良ければ、気持ちが上がるとわかっていることだから、心の坂道を上がるといっても、擬似的なものだ。
坂を上った先に、富士山が見えるからと、しんどい思いをして登って、富士山がそこに見えたら嬉しいが、心が坂道を上がった、というわけではないのはすぐわかる。スポーツのトップの選手にしても、結果は結果、心は心。結果が良ければ心が満たされる、というわけではない。

ゲームにしても、出世競争にしても、業績争いにしても、視点が人との競争であっては、所詮その結果が優越感とかが得られるから、気持ちいいというだけのこと。

それはそれでいいけれど、他人との比較でとどまっているようでは、人間の器のたかが知れる。

心の坂道を上るときの最大の難所は、自分自身の心。
坂道のどこにいるか、自分が上がっていっているのか、下っているのか、など、他人と比べたところで、全くわかるものではない。

そして、その坂道を上りきったと思えるところで、平らな道が広がる。


けれども進む道がいつまでも平坦であるわけは無く、緩やかに下っていて、気がついたら結構低いところにいたりする。

心はいつも坂道を上がったり下ったしりしている。
できれば、心の高みに向かって、いつも上っていきたいけれど、そんなことは無理なので、平らなところをうろうろしたり、少し下ったり。
いろいろあることを楽しめたらいい。


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何時に食べるか

2013年01月10日 | 日々思うこと、考えること
去年の元旦に立てた抱負は、1.減量、2.読書(含論文読み)、3.家族、4.こんきも、5.病理(仕事)であったが、このうち、まあまあ達成できたのは、3と4。家族仲はよく過ごせたし、こんきもは読者のみなさんの応援もあり、なんとか1年間毎日更新できた。5の仕事だが、誤診や検体の取り違えといった医療事故を起こすことなく、無事終わったので、よしとしよう。
一方、読書と論文読みはなかなかできなかった。とくに、読まなくてはいけない論文はもっとあったし、読み込むべきであった論文もたくさんだった。だが、周囲の協力もあり、本一冊と、論文数本が出せたので、足し引きゼロというところだろう。

やはり、昨年最大の誤算は減量だった。

去年の正月に82キロと書いていた。80キロを切る辺りまで行ったのだが、ボジョレーヌーボーが出た辺りから、休肝日があやふやとなってしまい、結局現在81キロ。
1年かけて1キロしか減量できなかった。というか、これは誤差の範囲なので、減量できなかったということだ。

おかげで、不肖コロ健、自信喪失、今年は年頭の抱負を立てることができなかった。

減量のために、ビールテイストノンアルコール飲料をいろいろ試してみたりとかまでしてみたが、やっぱり食事の時間が最大の問題なのだと思う。

6時朝食、12時昼食、そして23時が夕食。

この夕食の時間が問題なのだということはよくわかっている。

病院で、18時頃に食べてしまえば良いのだが、そうすると帰る頃にまたお腹が減る。
そもそも、この時間帯はカンファレンスが目白押しで、終わるのが19時から20時。
どうしても診断しなくてはならない症例の後片付けをして病院を出たら21時。
また、この夕食の時間帯が唯一の家族の団らん時間であるし、妻はいつも、子供達も時々(オヤツでつなぎながら)待ってくれているので、それを無視するわけにはいかない。家庭を顧みないことを自慢げに話す人がたまにいるが、なんで家庭を持ったのか、いつも聞きたくなる。

私もオヤツを組み合わせるというのも考えたのだが、病理で゛ながら゛をしてしまうと歯止めがきかなくなる。机の上にオヤツを置くことはしないようにしている。

どうしたらいいか、簡単に答えは出せそうにない。
そして、今夜も夕食は23時過ぎとなる。
別に威張れた話ではない。

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なかなか会えない

2013年01月09日 | 犬との暮らし
仕事に出ると、犬に会えなくなるので、悲しい。
正しくは、フラットコーテッドレトリバーのナイトに会いにくくなるのであり、マルチーズのコロとは毎朝、毎晩会っている。というのも、ナイトは、夜、家の中に入れている。大きいので、部屋の中をうろうろさせておくわけにもいかないので、クレートに入れている。クレートの中に入るのはあまり好きではないようだが、仕方ない。

年末年始は、なんだかんだと面倒を見てやることもできたのだが、仕事の日は夜11時に帰ってから遊んでやることもできない。
遊んでやれないものだから、クレートを覗いてやることもできない。覗くと、遊んでくれると思って、バタバタ動くのでかわいそうになる。こういう時は、無視するしかない。

朝も、氷点下の6時過ぎに外に出すというのもどうかと思い躊躇してしまう。
毛皮を着ているのだから犬は絶対外で飼う、という飼い主さんもいるが、ナイトは夜は家の中に入れている。
そして、翌朝、水が凍っているようなところに出すのもかわいそうで、結局顔を見ることも無く出勤となる。

マルチーズのコロは、一日中家の中にいるし、クレートに入れられることも無く家中うろうろしている。帰ると、尻尾を振って迎えてくれるし、ボールを持ってきて遊びをせがむ。無視したりしたら大変で、むちゃくちゃいじけてしまう。
遊んでやると、ナイトがクレートの中で時々吠えるが、無視しているとすぐあきらめて寝てしまうようだ。

今週末から、研究会が続くのでいったいいつなでてやれるかわからないと思って、今夜は少し早めに帰ってベランダで遊んでやったのだが、お互い寒くて10分ほどで家の中に逃げ込んでしまった。

犬の相手というのも、気を使うものだ。

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童心という言葉

2013年01月08日 | 日々思うこと、考えること
寒さも安定してきて、体も寒さに慣れてきたようだ。医局の秘書さんも同じようなことを言っていたので、多分間違いないだろう。世間の本格始動は今日からのようで、横須賀線も満員だった。病院の近所の小中学校も今日からのようで、たくさんの荷物を抱えた小中学生とすれ違った。

小学生が歩き出すと、霜柱が気になる。正しくは、霜柱が踏まれたあとが気になる。小さな足跡の残った地面をみると子供達の無邪気さが伝わってくる。私も霜柱を踏むのが子供の頃から大好きで、周囲を見回し、誰にも見られていないことを確認した上で、サクッとやる。3年前に、「禁断の」というタイトルで記事を書いたが、今年も相変わらず、禁断の楽しみを時々味わっている。

こういう、子供時代によくした行為を、大人になってからするのを、童心に帰って、などというと言ったりするが、なんだか、オブラートにくるんで表現しているように思える。
子供の時の趣味、たとえば男の子なら切手収集とか鉄道模型といったものをそのまま大人になっても続けている人は多い。それに比べて女の子は子供の時の趣味というのを大人になっても続けているというのは、習い事を除くとあまり聞かないが、それでも童心に帰ると表現されること、たとえば、クラス会でけいどろ(警察と泥棒、小学校によってはどろけい)とか缶蹴りをやったりする。こういったことは、何歳になっても(体さえ動けば)やればやったで楽しい。
別に楽しいことができたから童心に帰ること、すなわち子供の遊びをしなくても良くなったというだけだろう。
あとは、見栄もあろう。

子供と一緒に、不肖コロ健が霜柱踏みをしていたら、異様である。
大人になるにしたがって、こういうことはしてはいけなくなる。しないうちに時間が経って、たまにやると”童心に帰って”ということになる。
”童心”などという言葉を使うと、何となく可愛い感じがするが、べつに、可愛くもなんともない。
本当はやりたいのに、がまんしているだけのことだったりする。

大人になると、いろいろ面倒なことが多くなってしまい残念だ。
だが、こういう無邪気な気持ち、少なくとも忘れないでいた方が、ホッとできて良いように思う。

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過去にとらわれるということ

2013年01月07日 | 生き方について考える
数年前、中学高校と一緒にバカをやっていた古い友人に会ったおり、「相変わらず、バカやっているの?」というようなことを尋ねたら、「大学に入ってからは、真面目に勉強したんだ。」というようなことを言い返された。実際、彼は現在真面目に仕事をやっているようだ。その友人の後輩とたまたま話すことがあり、その友人がとても立派な人だと、尊敬していた。

昨晩、NHKスペシャルで市川中車を襲名した香川照之さんのことが放映されていた。もともと”静かなるドン”での彼のファンだったので、番組を観はじめた時は「昔は、静かなるドンだったのに、大名跡をついだりして大丈夫なのかな」などと思っていた。最後まで観て、歌舞伎役者になるために彼が大変な努力をしたことがわかった。

そこで、私というのがつくづく嫌な人間だということに気がついた。

昔、私はいじめっ子の部類の人間だったのだが、今でも、そのクセが残っている。
他人が素晴らしい人間へと成長しているのをそのまま評価してあげられず、どこか弱いところ、それも過ぎ去った昔のことをほじくり返して、あげつらう。
私という人間、本質的にどうしようもない。
他人にレッテルを貼ることで、その人がそれ以上成長しないというように封じ込めているのだろうか。

自分に自信がよほど無いのだろう。

それに、思い出したくないような過去は、私のほうにこそ山ほどあって、懺悔のような人生を今送っている。そして、私自身が私を評価するとすれば、昔のどうしようもなかった頃の私を評価することとなる。
東日本大震災の直前にも同じようなことを言っているのに、全く進歩していないというのも情けない。

年明け早々、私自身のとても暗い一面に気がついてしまい、滅入ってしまう。だが、そういう、自分の恥ずべき部分、コントロールすべき部分というものに気がついたということを奇貨として生きていかねばならない。

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犬の性格・・・十犬十色。

2013年01月06日 | 犬との暮らし
昨日はオンコールで呼び出され、ほぼ一日病院の仕事。終わってみるとヘトヘトで、そろそろやろうと思っていた勉強ができなかった。今日もオンコール当番だったが、幸い呼び出しはなく、論文の読み込みと、預かっている論文の下書きのチェックと、自分の発表の準備ができた。
気温は低いものの、日向ぼっこしながらならば外にいても温かく、昼前後はベランダでのんびりと仕事ができた。

フラットコーテッドレトリバーのナイトは、人好きで、人間と一緒にいると満足な犬だ。人間が部屋の中にいると、中に向かって吠えるが、外で一緒にいれば何事もないかのように一人(犬)で遊んでいる。

一方、マルチーズのコロは人がそれほど好きではない。もちろん抱かれるのは嫌いではないが、人間とは一定の距離を置いている。呼びもしないのに近づいてくるナイトと違って、コロは呼んでも来ない。餌をやる時ですら、あまり近寄ってこない。

私があれこれやっている間じゅう、ナイトは足元で、右にいったり左にいったりして、ゴロゴロしていたが、やがてぐっすり眠ってしまった。
  

コロはいつの間にか消えてしまっていた。

十犬十色。
当たり前と言えば当たり前だが、犬の性格というのも、それぞれいろいろあって面白い。

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送る人の気持ち

2013年01月05日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今年初めてのオンコール呼び出し。
一仕事終えたら、綺麗な夕焼けの時間。

剖検に際しては、承諾が必要となる。
承諾する時のご遺族の気持ちというのはどのようなものだろうと思う。
病理外来でご遺族の方に、病態、死因をご説明すると、二つのことが剖検を承諾した理由として挙げられる。一つはなぜ亡くなったのか、もう一つはご遺体を医療の進歩に役立てて欲しい、というものだ。いずれも当然のことだ。

私は、祖父が死んだとき、たまたま入院していた病院の病理を担当していたので、剖検をしたが、承諾したのは祖母で、最後は祖父が可愛がっていた孫に、というような思いというものもまれにある。ありふれた臨床経過だったが、診断書を完成させるのは難しく、今でたもその時のことはよく思い出す。

ご多分に漏れず、今日の症例も難しかった。
送る人の気持ちにこたえられる診断ができるといい。



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夢で会う人の気持ちは誰のもの

2013年01月04日 | 日々思うこと、考えること
暦通りに仕事が始まった。いつもの時間、目覚ましが鳴る前に目が覚めて、氷点下の中、家を出る。

今年は元旦の夜、初夢を見そびれて、残念な思いをしていた。だが、2日、箱根駅伝を見ながら、年賀状を妻と一緒に読み、あれこれ話をしたせいか、その後いろいろと面白い夢をみる。
昨晩など、我が病理診断科に千客万来、若手の医者がたくさん来て机、顕微鏡が足りないという、おめでたい夢を見た。そこで面白いと思ったのは、登場人物それぞれが私の予想だにしない行動をとる。
いったい、どうすればそういう行動パターンを取れるのだろうと不思議になるが、ちゃんと私の期待を裏切ってくれる。
夢の中で出会う人の気持ちというのは誰のものなのだろう。
といっても、私が見る夢であるわけで、そうすると私の中の一面がそこに投影されていることになる。
私の中には何人もの私がいるということになる。

なぜ、そうなったのか、残念ながら忘れてしまったが、夢のなかで、爪を切る場面も出てきた。何かを象徴していることだったので、昨日買った神宮館運勢歴で早速確かめてみた。なんと、爪を切る夢は、計画していたことが解決する吉夢とのこと。

知らない人に出会ったり、吉凶があったりと、夢見というのはつくづく不思議なものだ。

ところで、初夢には一富士二鷹三茄子(いちふじ にたかさんなすび)が縁起がいいと言われる。
初夢では見そびれたが、仕事始めの今朝、月のかかる綺麗な富士山を見ることができた。


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いよいよスタート、頑張っていこう。

2013年01月03日 | 日々思うこと、考えること
昨年末はオンコール当番だったが、呼び出しはなく、大掃除とおせち料理づくりに精を出した。最後に軽いぎっくり腰になったが、明日からの通勤はなんとかなりそうだ。元日、二日は初詣、親戚廻り。
仕事のことが頭から離れることはなかったが、物理的にはずいぶん仕事から離れてしまった。だが、これでよかったのだろうと思う。

年を取ると、肉体的にあちこちにガタがくるが、心も弱くなるように思う。若い人からみると、年寄はそんな風に見えないだろうが、要領よくなったというか、世渡りが上手になっているだけで、実は気力は衰えている。
目の前で、受験勉強に励んでいる息子を見るとつくづくそう思う。

だから、心にも休養が必要となる。明日からまた、きつい毎日が再開される。

今朝、フラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩の途中で買い求めた、神宮館運勢歴によれば今年の一白水星(昭和38年生まれ、50歳)は停滞運。
なかなか厳しい年回りで、思い掛けない世話や苦労が多く「辛抱」や「忍耐」という言葉がよく似合う一年になるらしい。そうはいっても、将来のために向学心を燃やして実力を養い、経済力を身につけるにはよい周期で、自らを磨くことに関しては思い掛けないチャンスと環境が訪れるとのこと。
この年になって、向学心、というのはどうかと思うが、人生いつでもスタートラインにあるわけで、今年は一からやっていくつもりで、明日から頑張ってみよう。

頑張ろう、という言葉が出せるのも、ゆっくり休んだおかげと思えば、これまたよかったことにもなるのだろう。


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鎌倉という街の匂い・・・2012年12月の読書記録

2013年01月02日 | 読書、映画、音楽、美術
北鎌倉が舞台ということで読み始めた小説。続編、続々編があり、続けて読んだ。鎌倉という街の雰囲気がよく伝わってくる。とくに、この邸宅の奥にはどんな人が住んでいるのだろう、という話がとくに鎌倉らしい。

代替わりのせいで数百坪の家が数十坪の家に小分けされて、小振りの家が増えてしまったが、私が鎌倉に住むようになった十数年前はそれは大きな家が多かった。鎌倉に住もうと思った動機の一つはこの街が邸宅街であったことだった。
この小説は古書店が舞台、鎌倉に古書店が多いとは思っていたが、よくみると、専店も多い。今度は、犬の散歩ではなく、一人で歩いてみようと思う。だが、休みの日はずいぶん多くの人が訪れるのでなかなかのんびりとはいかないのが残念。それでも夕刻にはすくので、そのあたりの時間がいいか。

あと一冊は久しぶりの自己啓発本。年末のポジティブ思考への路線変更、実はこの本を読んだせいもある。この作家さん、以前別の本の中で、年を取ったら都会に住むほうが便利でいい、と書いていたが、今回は田舎住まいを薦めている。まあ、その時々、生き方は変わっていくということだろう。私は都心のマンション住まいから逃げ出してきたくちなので、今回の本の方がすんなり受け止められた。
年をとっても、スマホは使えるように、なんていう話もあったが、スマホのアプリを使いこなせるようになっても、電池の寿命が1日やそこらではね、などと突っ込みたくなるところもあります。

さあ、今年はどんな本に出会えるかな?

2012年12月の読書メーター読んだ本の数:4冊読んだページ数:1096ページナイス数:154ナイス10年後生き残る人、消えてしまう人: 今これだけは知っておく、始めておく!10年後生き残る人、消えてしまう人: 今これだけは知っておく、始めておく!感想中高年者よ、まだまだ老け込むな!元気出していこう!という、ポジティブな本。ネガティブ思考の私を救ってくれた。どうせ生きていくのなら、ポジティブにやっていくのもいいのかもしれない。読了日:12月26日 著者:川北 義則
ビブリア古書堂の事件手帖3 ~栞子さんと消えない絆~ (メディアワークス文庫)ビブリア古書堂の事件手帖3 ~栞子さんと消えない絆~ (メディアワークス文庫)感想鎌倉、正しくは北鎌倉を舞台にしているということで、3巻続けて読んでしまった。プロファイラーとしてよりも、特徴ある古本屋の店主として活躍してほしいと思うのは、夢がない?話の先を知りたいところで終らせるのも、物語のいいところ。無理せず、ここで終るのもいいのでは?これってオジサン的発想かな。読了日:12月15日 著者:三上 延
ビブリア古書堂の事件手帖 2 栞子さんと謎めく日常 (メディアワークス文庫)ビブリア古書堂の事件手帖 2 栞子さんと謎めく日常 (メディアワークス文庫)感想大輔君の落ち着いた語り口が、いかにも鎌倉っぽい。というか、鎌倉市大船っぽい。大船は、関東平野に向かって広がっているという意味で、旧鎌倉とは若干雰囲気が異なる。栞子さんの北鎌倉は古い鎌倉なのに、大船に近いという微妙さがまた良い。その、雰囲気が伝わってきて、本当に上手な作家さんだと思います。感想文話もグッドです。読了日:12月11日 著者:三上 延
ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち (メディアワークス文庫)ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち (メディアワークス文庫)感想鎌倉が舞台ということで、買っておいた積読本。北鎌、船中、文学館。ただ、常楽寺のあたりに国道は無かったような。小さな本(文庫本)をめぐる小さな話はわかりやすく、気楽に読める。本への愛情があふれているということが何より嬉しい。続きもあるようなので、読んでみたいです。読了日:12月4日 著者:三上 延

゛ビブリア・・・゛が今度テレビドラマ化されるそうだ。私、剛力彩芽さんは好きな女優だが、栞子さんはミスマッチのような気がする。五浦君のキャスティングも、ちょっと。「チームバチスタの栄光」で田口先生がいきなり、竹内結子さんに変わって腰を抜かしたが、こういうのって、どういう経過で決まるのだろうか。こっちのほうが、読むもの、観る者には原作よりもミステリー。



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