こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

日本の神様めぐり

2013年01月01日 | 鎌倉暮らし
平成25年元旦の鎌倉の朝、雲がやや多かったが、初日の出を無事拝むことができた。

受験生の息子は、大学入試センター模試で朝から出かけてしまい、妻と娘と私の3人が残された。おせち料理は夜食べることにして、3人で鎌倉七福神めぐりに出かけることにした。
宝戒寺(毘沙門天)
妙隆寺(寿老人)
本覚時(夷尊神)
とお参りしたのち、正月だけの臨時バスターミナルから長谷方面へ。三が日、市内は交通規制で市外(旧鎌倉の外)からの車が入ってこないので、バスもタクシーもスイスイで、あっという間に目的地に着く。旧鎌倉、市域は狭い。
長谷寺(大黒天)
御霊神社(福禄寿)
長谷地区の神様のお参りをしたのち、江の島へ向かおうとしたのだが、江ノ電極楽寺駅横の崖崩れで江ノ電が止まってしまっていたので、あきらめた。お正月早々、気の毒な話だが、安全第一、大事故にならずよかった。

大仏ハイキングコースで北鎌倉に抜けるか迷っていたら、タクシーが通りがかったので、北鎌倉へ向かうことに。鎌倉市内は交通規制で南北に抜けることができないので、市内の移動のためにあったといわれる亀谷切通しを抜けて北鎌倉へ入った。
浄智寺(布袋尊)
北鎌倉は思いのほか人が少なくゆっくりお参りできた。
横須賀線で一駅、鎌倉駅に戻ったら、大変な人。
鶴岡八幡宮(旗上弁財天)
さすがは、八幡様。とてつもない人の数だった。

外国からの観光客がずいぶん多かった。
長谷観音など日本人と外国人の数が同じくらいに感じられた。

キリスト教徒に代表される海外の宗教の多くは一神教だろう。
それに比べると日本の神様は本当に多い。
一日の内に七福神。それぞれの神様はお寺の中や神社の中にいて、仏様のあとに神様をおまいりする。いったいどれほどの神様仏様に手を合わせただろう。
こういう、日本人の姿を見て外国人はどう思うだろう。さぞ、不思議に思うだろう。
でも、初詣など、あちこちでお祭りが同時に行われているようなもので、同時に面白く見えないだろうか。
日本とは、ずいぶん面白くて楽しいところだ。

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鎌倉の古民家

2013年01月01日 | 鎌倉暮らし

中井貴一と小泉今日子が主演のテレビドラマ「最後から二番目の恋」のせいだろう、”鎌倉の古民家”というのがちょっとした注目を浴びている。

古民家ブームで取材を受けたある古民家の住民は、

「別に古い家に住みたくて住んでいるんじゃなくって、住んでいるうちに古くなっただけだ」

と、ぼやいていたとか。

わが家の周囲にも古民家は結構ある。

この間記事にした鎌倉のお屋敷とは違って、それほど広い庭があるわけではないが、板塀と手入れされた生垣(鎌倉市は接道部分は樹木または生垣にするように指導している)の奥に、白の塗り壁、木枠の窓、瓦屋根の日本家屋がある。

どの家からも、住んでいる人のこだわりが感じられる。

古いばかりではなく、古い外観、門扉を残してリフォームしている家も多くある。

壁、窓枠、屋根すべてを美しくきれいにした家で、梅の古木を残しているのを見ると、とてもうらやましく感じる。

  

 

自分はスウェーデンハウスで家を建てておいて、日本家屋の古民家のことをどうこう言う資格はないのだが、家の周りに緑は多くしている。

それに、鎌倉には素敵な洋風建築の家もある。

カラタチの生垣の奥の白い家。お庭はよく手入れされている。

ほかにも素敵な家がたくさんある。

小さな家が増えているのが残念、とこの前記事にしたが、古民家でなくとも、緑豊かなきれいな玄関、庭であれば、鎌倉にふさわしい。

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ディスカッション顕微鏡で

2013年01月01日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
病理診断科には標本を一度に数人で診ることのできるディスカッション顕微鏡がある。
小さな二人用から、大きいものだと十人用とか、もっと大きいものまである。

病理標本を複数の病理医が一緒に診て、診断のための意見交換(ディスカッション)をはじめ、後輩と一緒に診て教育したり、臨床医への説明などにも使う。

だいたいはドライブする人(顕微鏡を操作して、標本の診たい場所を出す人)が、いろいろしゃべるのだが、これがクセもの。
いろいろ動かして、診断をしていくのだが、自分が知らない病変とかがあったりすると、困る。
最初から、難しいとわかっていればまだしも、結構簡単そうな症例を後輩に相談されたりすると、普段何でも知っている(わけではないが、ある程度は知っている)ような顔をしている手前、わからないことがあると困る。

あるとき、優秀な後輩に難しい症例を相談された。
わからないのは、良かったのだが、その後輩、けっこう論理的な診断能力が高く、さまざまな染色などを行った上で、正しい診断を下していた上で、私に持ってきたのだった。

そこに、運悪く、というか、ほかにも病理医が居合わせて、数人でディスカッション顕微鏡で標本を診ることとなった。
そこで、顕微鏡をドライブしていた私が、その後輩の診断の過程上の所見を見落としてしまった。
それを、一緒に診ていた別の後輩に指摘され、先輩としての面目丸つぶれとなってしまった。

穴があったら入りたいとは、まさにこのこと、そのとき恥ずかしかったことといったら、今でも忘れられない。

昔、そんなことを同期の病理医と話したことがあるが、そのとき、その病理医がこういったことも忘れないでいる。

 自分から何か言っちゃダメなんだよ、偉い先生っていうのは、うーん、とか唸ったっきり、何も言わないんだよ。

確かにそう。
これならば、間違いを言うことは絶対にない。

あと、私の先輩でこういう病理医もいた。

 お前、どう思う?

これもまた、素晴らしい。
同意できれば同意すればいいし、わからなければ、こっちもわからないと言えばいい。

とはいっても、結局のところ、どちらも後から考えれば相手に丸投げなのはバレバレである。

たまには大恥をかくことを覚悟の上で進むか、恥をかくのはよしとせず、常に相手に投げて進むか。

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二枚目の画像のソースはこちら



なぜ、人を殺してはいけないか。

2013年01月01日 | 生き方について考える
犠牲の9歳少女「9・11」生まれ 米銃乱射事件(朝日新聞) - goo ニュース

何とも痛ましい事件。
だれにも、人の命を奪う権利は無い(だから、刑罰としての死刑が存在すると思っている)。

数日前、戦争がなぜ悪いかについて考えたが、人を殺してはいけない理由の一つは、人が他人の命を奪ってはいけないからだ。

これまでにも何度か「なぜ、人を殺してはいけないのか?」ということを考えてきた(『殺したくなるほどの気持ち』、『許せない!』)が、またこのような痛ましい事件が起こり、あらためて考えたいし、訴えたい。

自分の考えというのは、自分の世界、自分の価値観にしかすぎない。

したがって、自分の考えというのは、他者の考え、他者の構築している世界、価値観ではない。

人間はそれぞれが観念として存在しているだけなので、それぞれの有する観念は他者とは決して重なり合わない。

共感といっても、それは、近い考え、もしくは同じ方向性をもった行動が引き起こされるようなものであり、全く同じことを考えているわけではない。

ところが、戦争は違う。
自分の存在(価値観)を守るために、少なくとも味方同士になった人間は敵(の世界)を消滅される為に戦う。
テロもそうだ。
そういう意味で、戦争やテロは、自分の世界が国、もしくは所属するグループに擬似的に拡張しているような状態だ。

自分の世界、というものの存在は否定されるものではないし、否定されてはいけない。
しかし、他人の世界と衝突するからといって、これを消滅させることは、あってはならない。
なぜなら、どこまでいっても、それは、自分自身の世界が出した結果であって、他人の世界、価値観はそこには一切存在していないからだ。

どこまでいっても、自分は自分、他人は他人。

影響を及ぼすことは可能かもしれないが、物理的に変えること、ましてや、他人の世界を勝手に終わらせることは、してはいけない。

なぜ、平和が大切か。
それは、人それぞれが、自分自身の世界をおおいに楽しみ、有意義に発展させるために必要なものだからだ。
それは、決して利己主義には発展しない。
平和があってこそ、他者とのよりよい関係性が構築される。

平和を求めることとは、相互の世界を尊重し、発展させていくことにほかならない。

犠牲者となった、同時多発テロが起きた2001年9月11日に生まれ、また、テロによって命を奪われた、幼い命の冥福を祈る。



傘の構造、各部の名称

2013年01月01日 | 日々思うこと、考えること
傘の骨が外れた。
勤務先の病院へと歩く駅(最寄り駅ではないので、いつもこういう変な表現になる)で降り、

 あれ、やっぱり降ってるか

と傘を差したら変な具合。
よくみたら、骨の留め金のビスが抜け落ちて、骨がぶらぶらしている。


普段から傘は2本使っているが、そのうちの1本が半壊状態。

いつも、いい塩梅に病院に1本、家に1本となるように調整しているが、こうなるとどうしようもない。
台風のせいで骨が折れてしまったわけではなく、十分治療が可能な状態だから、すぐにでも傘屋に持って行きたいところだが、出勤時に壊れてしまったためやりくりがつかない。

仮に今夜持って帰っても、明日は別の傘が必要となるわけで、そうなるとどうしようもない。
実際、骨が折れたわけではなく、留め金のところに針金でもをあてがえば大丈夫なのだが。
車で病院に来たとき(休日出勤のとき)に忘れずにもって帰ることにした。

と、ここまで書いてきて、傘のことを全く表現できないことに気がついた。
傘屋さん?のホームページに洋傘の構造という記事があったので洋傘の各部の名称が書いてある画像を引用する。

これによると、”受け骨”と”親骨”をつなぐ部分が外れたことになるようだ。

それにしても、簡単な字を使っているが、全部を正しく読めるか、自信がない。
「てもと」、「たまどめ」、ときて、「つゆさき(?)」、「しも(?)ろくろ」、「いしつき(?)」だろうか?

「つゆさき」、はよかったが、石突は「いしづき」と読むそうだ。「下ろくろ」はネットではしらべられず、「うわ(上)ハジキ」があるので、相撲でいえば、上手(うわて)に対しては下手(したて)なので、「した(下)ろくろ」なのかな?

この記事読んでいる傘屋さんがいたら、正しい読み方教えて下さい。


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