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こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

白寿のお祝いと家事少々

2015年05月16日 | 料理・グルメ

マタチッチ指揮のN響は一度だけ聴いた覚えがある。そのマタチッチ指揮のN響によるブルックナーの8番がNHKFMで流れていた。解説者も語っていたが、マタチッチという人はとても偉大な指揮者、といよりは人間で、その人間性が指揮する曲に顕われていた人だったということで、そんな人が指揮するブルックナーを聴きながら料理するというのもなかなかいいものだった。

 

祖母が今日白寿を迎え、そのお祝いに老人ホームに行った。母と二人の叔父ももちろんいて、孫7人のうち3人もいた。ひ孫は2人。明後日から定期試験が始まる娘と、バイトの入っていた息子は残念ながら行けなかった。下の姪は3歳。祖母の年まで96年ある。あと、96年。“◯◯ちゃん、大変だね。ひいおばあちゃんの年まで96年だって”と、声をかけるがピンと来ないようだ。当たり前だ。私だって、あと40年以上生きることなど、到底考えられない。祖母も最近はいつも眠っているようになってしまったものの、手を振ってくれたり、微笑んでくれたり、けっこう元気なようだった。

 

妻が友人との集まりがあるというので別れて、一足先に家に帰った。今日の家事の一部は私が引き受けた。帰ってすぐに、ナイトの散歩。風呂掃除に、夕食の準備。今夜はあるものと思って、かたやきそばだけ買って帰ってあとは冷蔵庫の中をひっくり返した。もちろん、豚バラ肉が冷凍にしてあることとか、キャベツやレタスが少しずつ残っていたことぐらいは知っていた。で、BGMがマタチッチだったのだ。ブルックナーの8番というのは私も好きな曲の一つで、下ごしらえもはかどる。

 

などと、炒め物をしながら考えていたら、あっというまにみんなが帰って来る時間だ。駅に何度も迎えにいくのは面倒なので、みんな一緒に帰って来てくれと言っておいたので、さすがに迎えにいかなくてはいけない。

献立を考え、みんなが帰ってくる時間に合わせて料理を作り、風呂掃除をして、ゴミ捨てとゴミ袋を替え、犬の散歩に餌やり。これでも、掃除と洗濯はしていない。いかに、いつもわがままをいっているかということがよくわかった一日となった。 

主夫はできない 
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かたやきそば:ニンニク、ショウガ、タマネギ、ニンジン、豚肉の順でいためる。火を止めてキャベツ、シメジ。みんなが帰ってきたら、あんかけスープを作って、とろみが出るまで。あとは、かたやきそばにかけるだけ。

レタスと卵のスープ:ニンニクみじん切りをいためたところに、トマトを入れて火を通す。水、ブイヨンを加えて煮立てる。いただく前にレタス、とき卵。レタスは小さくちぎって入れる。お好みでローズマリー(香り付け)。最後にバターひとかけ。


どれに乗っても満員電車・・・2

2015年05月15日 | 通勤・交通・旅行

上野東京ラインの開通により、利便性が格段に向上したということに異論はまったくない。

だがそのおかげで、東海道線、横須賀線、京浜東北線のいずれも均等に、“かたよりなく"“全線にわたり”混雑するようになった。まずは上野より北から東京以遠の駅を利用する山手線、京浜東北線利用者が東海道線にどっと流れ込んできたため、東海道の下りが混む。京浜東北線を利用していた人は、北行きにも南行きにもより早い東海道線を使うようになった。埼玉、千葉、茨城や神奈川の遠くまで乗る人にはうってつけのものとなった。

  

藤沢(東海道線で大船の次の駅。鎌倉方面に向かう横須賀線はここで東海道線と離れる)から東京(駅)まで通っている知人がいて、彼はいつも東京駅で、一、二本やり過ごして東海道線の始発に座って帰っていたそうだが、東京駅が単なる通過駅となってしまってからは、とても座れるような状況ではなくなってしまったそうだ。少しだけ空いている横須賀線地下ホームで並ぶことにしたそうだが、皆考えることは一緒。それに横須賀線はすでに総武線直通のため、東京より先から乗っている人がいてもともと空席は少ない。もう、一駅か二駅先までの定期でも買いたいところだといっていたが、通勤定期なのでそれも難しいとのことだった。それでも、東海道よりは少し空いているということで横須賀線に回ってくる人がふえて、戸塚、大船まで混んでいる。少し空いている、座ることのできるチャンスのある、横須賀線に乗ってきて、ここで乗り換えるのだ。

  

 

 どの電車にいつ乗っても混雑していて、座ることができるのはラッキーな時だけ。「この時間なら確実に座れる」というのも、お年寄りや子連れの人には結構大事なことだったが、もうそれは無理。グリーン車だってけっこうな込み具合なのだから当たり前だ。こうやって、鉄道会社はどんどん利便性をあげて、いよいよすべての電車を満員にしてしまうに違いない。

 

線路はつづくよどこまでも
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なお、東海道線の通勤快速は唯一例外で、東京駅発、新橋、品川ときて川崎、横浜を飛ばしていきなり大船に停まる。座れるほどではないけれど空いていて、品川から大船がなんと30分。座れなくても我慢できる。とかいっていられるのも今だけか?

どれに乗っても満員電車・・・1

2015年05月14日 | 通勤・交通・旅行

 私は鉄道にくわしいわけではない。だが、鉄道会社がすべての電車を満員にして走らせようとしていることぐらいはわかる。エキナカを次々と開店させるのを目の当たりにすれば、誰の目からみても公共交通機関というよりは単なる営利企業である。JR社員に国鉄時代の役人的威厳や横柄さの面影はかけらも残っていない。

 すべての電車を、いつも混雑させておくために行った最初の策は郊外に大学を誘致し 、すいている朝の下り線に学生を詰め込んだことだろう。これは奏功し、郊外へピクニックに行くお年寄りと学生の座席の取り合いが生まれた。最近は少子化の影響で本部が都心にある大学が郊外につくったキャンパスから撤退しつつあるようだ。いったんつくった広大なキャンパスはこの先どなるのだろう。

 次なる策は現在進行中でもある延伸事業。私鉄はすでに地下鉄との相互乗り入れをおこなっていたが、JRはこれを自社線どうしをくっつけて行った。こうすると、それぞれのターミナル駅で止まっていた人の流れが、そこを越えて重複するようになる。ターミナル駅は始発駅ではなくなり、並んでも座ることのできない単なる通過駅となった。横須賀線でいえば、東京止まりだったのを千葉の総武線と直通にし、東京以遠の人が東京駅ですでに乗っているようになった。つぎは湘南新宿ライン。埼玉とつながり、いったいどこから乗ってきているのだろうと思うほど、たくさんの人がずっと乗っている。

 そして今回の上野東京ラインの開通。はじめは、上野駅と東京駅が、あいだにある3駅を飛ばして直通になっただけのことと思っていたが、あに図らんや、これはもう東海道線だけではなく、東京横浜間を走るほかの2路線、横須賀線と京浜東北線にも多大な影響をもたらした。

明日に続く
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台風一過と大地震

2015年05月13日 | 自然災害・事故・感染症

 日本列島、今の時期には比較的珍しい台風の直撃を受けた。ちなみに5月に台風が日本に近づいたのは4年ぶりのことだそうだ。その台風6号は時速70キロを超える猛スピードで、あっという間に日本列島を縦断していった。

 昨日は良い天気にもかかわらず傘を持って出かけた。日中はもとより、就業時間を過ぎても雨は降らなかった。帰り道、風は強かったものの、小さな雨粒を時々感じるだけで、傘を差すほどのことにはならなかった。さすがに夜、鎌倉に帰り着いたときには台風の雨となっていたけれど、駅まで妻に車で迎えにきてもらったので、結局一日傘は差さずにすますことができた。夜中のあいだずっと暴風雨が吹き荒れていたが、さいわいい倒木やら、裏山の崖崩れはなかった。

そして台風一過の今朝、すこしばかり雲は残っていたものの夜来の雨風がうそのような晴天の朝を迎えることができた。 

ところが、さあ出かけようというところでテレビで緊急地震速報が流れた。マルチーズのコロがけたたましく吠える。

東北地方で震度五強の揺れがあったそうで、横浜あたりも少し揺れたらしい。津波の心配はないというのでほっとしたが、東北地方の方はさぞ不安だったろう。一週間ほどは警戒が必要とのことで、しばらくは落ち着かない。

 日本という国、火山の心配も絶えないが、これほどダイナミックな自然現象、気候、地形の国土だからこそ魅力的に感じる。さまざまな災害に毎日備えているのも気苦労が耐えないが、考えようによっては日々軽く緊張していることが、脳への刺激になっているのかもしれない。

とはいえ、大災害だけには決してならないでもらいたいと祈ってしまうのは、都合がよすぎるか。

地球も生きている 
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山をすてよう

2015年05月12日 | 生き方について考える

人生なんてそれほど長くもないのに、いつ病気になってしまうか、そして、いつ死ぬかなどということは、まったくわからない。

今から三十分後に大きな事故、災害に巻き込まれることが無いとだれが保証してくれるだろう。

人生はとてもあやうくてはかない。

ただ、自らの人生すなわち命を粗末にあつかっていいことはないが、自分のものなのだから多少自由にしてもいいかと思う。

 

それぞれの人生に決まったレールなどないのに、そんなものがあるような気がすることがある。

同じような状況がしばらく続いたりすると、それがあたかも永遠に続くように感じてしまう。

現実には多くの人が入りみだれて生きているこの世の中に、そんな“定常状態“があるわけない。

だから、そのような“錯覚”にとらわれることなく自分の立ち位置を、いつも確かめていなくてはならない。

 

みかけ上の安定は停滞を生み出す。

 長い間、動かずそこでじっとしていたら、安定しているようにみえるが、すべてがそこで止まっているにすぎない。

これではその先の人生に新たな展開はない。

そして安定という名の停滞の上に築かれた山に気がついた時、その山も自分もコントロールすることができなくなっている。

こうなってしまうとその山はもう、自分の手で壊すか、誰か他の人に譲るかしかない。

 

不肖コロ健、これまでその山の存在に気がつかないでいた。

その山がどれほどの大きさで、どんな形なのかもわからなくなっている。

こうなってしまうと、私にできるのはその山を捨てることしかない。

そのために必要なのは、変わりたいという意志、そのことで得らることができる夢、この決意を受け止めてくれる仲間、私のすべてを受け入れてくれる家族、そしてこれまで育ててきた虚栄心を捨てる覚悟だ。

 

スッパリ決心 
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こればっかりは祈るしかない

2015年05月11日 | 鎌倉暮らし
箱根山の火山活動が活発化していると、先週から連日報道されている。温泉好きの神奈川県民としては気が気ではない。この春先にも日帰り温泉につかってきたばかりだ。
立ち入り禁止区域の設定とか、ロープウェイの運休など、さまざまな警戒態勢が報じられているが、なにせ相手は大自然、最善の対処法というのはなかなかみつかりそうにない。
 
なにかあったとき、どのくらいのことが起きるのか、予期せぬ事態にどう対応するのか、そしてだれが責任を取るのか。
どれがどの程度決まっているのだろうかと心配になる。さらに、日本有数の観光地。多くの人の生活もかかっている。
人命が優先されるのは当然のことではあるけれど、それだけで済ませることができない、難しい判断が求められる事態になっている。
数日中にこの活動が沈静化し、また数十年、数百年、湯気だけをモクモクと出していているだけになってくれたらいいのだが、そうあっさりともいかないだろう。
過去の噴火では横浜まで火砕流が押寄せたことがあるらしい。となると、その手前の鎌倉も被害をこうむっていたということ。そう考えると恐ろしくなる。
「沈静化を祈るばかり」という箱根町の町長さんの気持ち、私もまったく同感だ。
今朝は放射冷却現象のせいで気温がずいぶん下がった。
すっきり晴れて、ここのところごぶさたしていた富士山がよくみえた。湿度の低さといいまるで冬の朝のようだった。
写真に写っているのは丹沢辺りだと思うが、富士山に向かって左手には箱根山がある。この辺から白い煙が立ち上るのをみることにはならないでほしい。
 

無理は禁物
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箱根山の火山活動 活発な状態続く  NHKニュース 5月11日 11時58分

神奈川県の箱根山では、11日も火山性の地震が100回を超えるなど、活発な火山活動が続いています。気象庁は、大涌谷周辺に影響を及ぼす小規模な噴火が発生するおそれがあるとして、引き続き警戒を呼びかけています。

気象庁によりますと、箱根山の周辺では先月下旬以降、地下の浅いところを震源とする火山性地震が増加し、大涌谷の斜面から噴き出す蒸気も多くなるなど、活発な火山活動が続いています。10日は箱根町湯本で震度2や1の揺れを観測する地震が6回相次ぎました。
11日は体に揺れを感じる地震は観測されていませんが、神奈川県温泉地学研究所の観測では規模の小さい火山性の地震は11日は午前11時までに100回以上観測され、先月下旬からの回数は2000回を超えています。
また、先月下旬からは大涌谷付近を中心に山が膨らむ傾向を示す地殻変動も観測されています。
気象庁は、今後、大涌谷周辺に影響を及ぼす小規模な水蒸気噴火が発生するおそれがあるとして、引き続き箱根山に噴火警戒レベル2の火口周辺警報を出し、噴火に伴う噴石などに警戒するとともに、自治体などの指示に従って危険な地域に立ち入らないよう呼びかけています。
 

なわばり宣言

2015年05月10日 | 日々思うこと、考えること

「ホーホーホケキョ、ホーホケキョ、ケキョケキョケキョケキョ」ここ数日、窓越しに聞こえてくるウグイスのさえずりに目を覚まされることが多くなった。今朝はいつもよりもそれが多く聞こえるような気がした。妻にそのことを話すと、「それぞれのなわばりがきまったんじゃないの?」と返された。たしかに、犬の散歩に出かけたときに、裏山からだけでなく、近所の家の庭木や、近所の小学校の校庭の木からも、上手に区画分けしているかのように一羽ずつのさえずりが聞こえた。さえずりが上手になったところでのなわばり宣言ということか。

 人間社会における縄張りといえば、国境が一番わかりやすい。その国境を守るために、人類は長らく無益な戦争を数知れず繰り返してきた。国境線の内側には自国民がいて、その向こう側には他国民がいる。自国民の人権は守らなくてはならないが、他国民の人権は自国民のそれと比べるととても軽い。他国の縄張りに入れられて植民地として収奪の対象となることもしばしばある。このような危険があるから、自国の主義主張を持って国境を守ることがなによりも大事になる。

 ここ最近の世界情勢、すなわち、中国、米国、ロシアを中心とした覇権争いを聞かされると、いっそのこと国境などなくしてしまえばいいのにと思う。だが、EUにおける人の移動の自由がイギリスの総選挙での最大の争点になったことを考えると、そう簡単にもいかないようだ。

 それにしても、これほど多くのさえずりを聴かされているとウグイスたちにとって鎌倉の谷戸の数は足りているのだろうかと心配になってしまう。もし足りなかったら彼らはどう調整して棲み分けしているのだろう。戦うことがあったとしても、人間のように互いに殺しあうことまではしないだろうから、その知恵を拝借したいものだ。今日で連休も終わり。ウグイスのなわばり争いを心配するよりも、自分の仕事の心配をしなくてはいけなくなる。

ほぼ復調 
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病は気から、気は病から

2015年05月09日 | 日々思うこと、考えること

今日の体調、普段と比べたらどの程度だろう。せいぜい6割といったところか。テニスの錦織圭がマドリードオープンでベスト4に進出したのを見届けてから、ナイトの散歩に出かけたが、帰って来たらこの間ほどではないもののずいぶん疲れてしまっていた。頭痛はとれたものの、腰痛は残っている。咳もなかなかとれない。それでも、明日までゆっくりすればさすがに私の元気も戻るだろうと思っている。

咳の出はじめから明日で10日になる。今度の風邪、そこそこの大病だった。

わが家の中で私と妻と娘がやられたのに、息子はピンピンしていたのでウイルス感染だったと考えてもいいだろう。インフルエンザが流行っているということだから、調べたらそうだったのかもしれない。これが冬場だったら、気道感染もひどくなって、肺炎を併発していたかもしれないが、季節が良く、重症化しなくて助かった。

”病は気から”というけれど、その逆もあるような気がする。”気は病から”。体調が悪いと、どうも物事悪いほうへと考えてしまいがちとなる。なんにおいても元気が一番だ。

健康が大切だということは、昔から”健全なる精神は健全なる身体に宿る”とか、”無事これ名馬”とかいろいろの言い表され方がされている。先日、近所のおじさん(70歳過ぎ)と飲んでいたら「健康が第一。少々の失敗、健康でさえいたら取り戻せるからね。病気になったら何もできないもの。」と言われた。たしかにそうだ。

何かしようという気力が湧いてこないのも、完全に復調していないせいかもしれない。それでも、仕事の構想を練る、積読本を片付けるなど、体を使わなくても頭だけでできることはたくさんある。

最近の記事を読み返してみたらあまりにひどかったので、それらの手直しもしてみた。

 

いろいろ考え始めるとあれもこれもとしたくなるところだけれど、無理せずまずはこの風邪のきちんと治すことを目指そう。

 お花の季節ですね 

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自分だけじゃないんだ

2015年05月08日 | 生き方について考える

今日、たまたま「抜けない連休気分…ネガティブ感情のコントロール法」という記事をネットでみつけ、ちょっと気になったので読んでみた。

明日から週末なので、これが明けてからの話になる。

これからの時期、連休気分が抜けず、ネガティブマインドが強くなってしまうそうで、その要因とその対処方法がいくつか書いてあった。

興味のある方は、記事を読んでいただければいいのだが、腹式呼吸、運動から始まって笑顔を作り、ポジティブな言葉を口にするなど、少し疑問に思う点もあるにはあったが、ほとんどは私も自分でやっている。

多くの人が同じような悩みを抱えながら生きているのが伝わってきて、そちらの方に涙を誘われた。

この話、この国だけのことではないだろう、多くの人が社会という“小さな“ストライクゾーンの中に自分をカスタマイズして押し込んで生きなくてはいけなくなっている。無論、私もそのうちの一人。

 

自分を無理なく社会という枠にはめる(カスタマイズ)ことなんて最初から無理と思えば、気楽になれる。自分だけじゃないということをまず知るのが、一番の対処法だと思う。

 

考えすぎるな 
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困難を乗り越えるときには

2015年05月07日 | 生き方について考える

少し前、知人の昇進祝いの会があった。

知人は挨拶で、「人生には、予期せぬ困難がつきものです」と言っていた。

私からみたら、この世の春を謳歌しているようにみえる人が、そのようなことを言ったのが意外で、心に引っかかった。こんな人でも、そんな境遇にあったことがあるのだろうかと。

その人が、その予期せぬ困難にどうして見舞われ、そしてどう乗り越えてきたのかは判らないが、それなりの苦労がなければ、あんなことは言えなかっただろう。

 

予期せぬ困難、すなわち逆境を乗り越える。

私ならどうするか。

 

まずは気持ちを落ち着ける。そして何ごとも気の持ちようなので、楽しいことを考えることにする。

つらい時につらいことを考えても何もいいことはない。考えなくても、状況は十分辛いのだからそれ以上につらいことは要らない。

 

逆境にある時は楽しいこと、嬉しいことを考えるのが一番。

そういえば、その知人、いつも明るく、楽しそうな人だった。なんてことはない、明るく、笑顔で、困難を乗り越えてきたのだろう。

たいした人物だ。

 

周囲の人を大切に 

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青空と夜空と人生と幸せと

2015年05月06日 | 生き方について考える

これまでの人生、いろいろな人と出会い、別れてきた。

深く関わったけれど、なにかあってそれきりになった人。袖をふれあう程度だけだった人。どんな人でも、出会ったときにはこの人とはずっと付き合っていけるだろうと思うのだが、そのようなことはほとんどない。

どうせ別れるのならば、互いに気持ちよく別れたいところだが、そういくことも滅多に無い。たいていは、互いの心にしこりを残しながら別れていく。

人間関係、そうそう互いの都合通りには運んでいかないものだ。

 

この前、ある人との別れがあった。

”助けてくれない?”、というような声が聞こえてはいたのだけど、どうしても手を差し伸べてあげられなかった。そしてその人は私の前から去っていった。あのときこうしていてあげてたら、というようなことは考えても仕方が無い。過去を後悔するほど意味の無いことはない。

あの別れは、幸せだったのか不幸せだったのか。

幸せに生きるということは、一見難しそうだ。

だが、幸せかどうかなんて、突き詰めれば自分自身の考え方一つ。その別れも、その時の私の振る舞いも自分の選択で、その時には私にとってそれが最良の方法だったのだ。

青空と夜空、どちらが幸せだろう。比べても意味が無いことだ。それは、私たちそれぞれの人生に通じる。

 

こうして生きている今こそが幸せのスタート地点で、それ以下のことを考えても意味はない。

いつも幸せで、楽しい。

出会いも、別れも、人生も。

 

連休は結局ほぼ寝たきりでした 
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二日ぶりの外出

2015年05月05日 | 鎌倉暮らし

一昨々日(さきおととい)、名古屋から帰って来たとき、妻はすでに風邪で寝込んでいた。コロ健も学会疲れと風邪と咳でつらかったのだが、帰宅してから子供たちの食事の用意、駅まで迎え、ナイトの散歩と、今思えばよくやれたというような家事を妻に代わってした。

でも、それまでだった。一昨日、昨日と完全にダウンして、家から一歩も外に出られなかった。

 

今朝起きたら、熱はだいぶ下がっていた。それでも、頭痛と腰痛はまだ残っている。

私よりも少々早く復調した妻の掃除機の音に目を覚ました。寝てばかりもどうかと思い、起きることにした。

気温もちょうどよかったので、二日ぶりにナイトを散歩に連れて行った。

昨日の晩、鎌倉はひどい霧におおわれていたのだが、今朝は薄曇り。この時期特有の強い風が吹いている。

歩いているうち、少しずつ雲に切れ間ができて青空がのぞく。昼頃から晴れという天気予報は当たりそうだ。

だが、じき疲れてきてしまって、家にたどり着いたころにはぐったりしてしまった。そして、いつの間にやら二度寝していた。まだまだ、本調子ではないということか。

午後にはすっかり雲もとれた。一寝入りしたら、少し元気が戻ったので、妻とともに鎌倉市街まで出て行った。少しは休みらしいこともしておきたい。だが、さすがは連休、大変な人出。若宮大路は段葛が工事中のせいもあってだろう、歩道には人があふれ、小町通りはどこを歩けばいいのかわからないほどの人の波。地元民の歩く裏道を選ぶのだが、途中ところどころで表通りとぶつかり、その都度人の多さに驚く。

それでも、青空は気持ちよく、穏やかになった風は気持ちがよい。

 

妻ととりとめの無いことを話しながら歩いていると、平穏な毎日というものを手に入れることがどれほど困難なことが却ってわかる。人ごみの中を歩きながらふと我にかえり、自分の行く末を考えると、少々不安が頭をよぎることもあるが、結局のところなにが人生にとって大切なのだろうと考える。

少なくとも、人生というものは、日常の些末なことによって評価されるものではない。そう考えると気が楽になる。

 

まだ熱は下がらない。人間食べていくためには仕事をしなくてはいけない。明日中になんとか元通りの体に戻さねば。

 

仕事は人生のごく一部 
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連休と春風邪

2015年05月04日 | 日々思うこと、考えること

窓から見える5月4日の空の雲、昨日よりは多いものの屋外での活動にはかえってちょうどいいぐらいの晴天といえる。

今日もまた、ゴールデンウィークらしい一日となった。犬を連れて海までいけばずいぶん楽しく遊べるだろう。

だが、コロ健、学会中からひいていた風邪はどんどん悪化し、熱はついに平熱(35.5度)より2度ほど高くなってしまった。頭が割れそうに痛む。首や腰も痛い。こんな時期にこんなひどい風邪をひいた記憶が無いのだが、とにかくしんどい。

学会が終わるまでなんとか保っていたテンションが、ついにここで途切れたということか。われながら、その気力はたいしたものだったと、ほめてあげたいと思う。

学会場で、あれだけ咳をしていたのは、私のほかに一人か二人だったが、5月1日の夕食を一緒に食べようと約束していた先輩は、風邪のせいで「家でぶっ倒れていて」学会そのものに来ることができなかった。

この春風邪の不運に見舞われたのは私だけのことではない。なによりも妻と娘も同じような風邪を引いている。若さのせいか娘はさっさと元気になったのだが、かわいそうに妻は、かなりしんどそうだ。

熱が下がって、ひどい頭痛が取れるまでは、窓から見える青空をみながら、布団に入って体力の回復をじっと待つしかないだろう。体の中では各種免疫細胞がそれこそ必死に戦ってくれているところだ。体を休めることが何よりもの応援だ。

ブログのために写真を撮りに庭まで降りたが、それが精一杯。家の外には二日続きで出られそうにない。でも、大輪のバラの香りが元気をくれた。

テレビを見る気にもならない。本を読んでも、6、7割しか頭に残らないが、それでもこれは神様が下さった時間と思い、ゴロゴロしながら積読本を片付けながらすごしている。

 

暦の巡り会わせに感謝 
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日本の憲法を考える・・・2015年4月の読書記録

2015年05月03日 | 読書、映画、音楽、美術

風邪のせいで、昨日が二日とは気がつかず、読書記録を三日の今日入れることになってしまった。

奇しくも今日は憲法記念日。新聞やテレビでも今ブームとなっている日本国憲法だが、不肖コロ健、関連する本を読んだことはこれまで無かった。

政治経済の本だと思って読んだ本が、実は憲法の本だった。この感想に対しては、ツイッターで著者の後藤武士さんからそのことについてのお返事をもらった。早急な憲法改正論議に流されないよう、私たちも真剣に考える時にきている。

 

2015年4月の読書メーター
読んだ本の数:4冊
読んだページ数:1192ページ
ナイス数:83ナイス

斎藤一人 天とつながる「思考が現実になる法則」斎藤一人 天とつながる「思考が現実になる法則」感想
天国言葉「愛してます、ついてる、うれしい、楽しい、感謝してます、しあわせ、ありがとう、ゆるします」。「自分をもっと、ゆるします」。「上気元でいる」。機嫌よくいること、笑顔でいること、笑っていること。大丈夫、きっとうまくいく。読んでよかった、しあわせになれた。
読了日:4月19日 著者:柴村恵美子
読むだけですっきりわかる政治と経済 (宝島SUGOI文庫)読むだけですっきりわかる政治と経済 (宝島SUGOI文庫)感想
日本史が面白かったので読んだが、少々分厚く読みずらかった。だが、あらためて日本国憲法の素晴らしい点を知ることができた。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重。空気のように感じていることが、とても大事なことだということを自覚しよう。あと、一事不再理の原則。
読了日:4月9日 著者:後藤武士
つめたいよるに (新潮文庫)つめたいよるに (新潮文庫)感想
薄い小品集なのに、読み終えるのにはずいぶん時間がかかった。1作1作の密度が高くて、次々と読み進めることができなかったからだ。まるで、幼い頃家族で行ったイチゴ狩りで、コンデンスミルクをつけながら食べたイチゴの皿に残っているその甘みを、思わず指ですくって味わった時のように、1作ごとを味わってしまった。
読了日:4月6日 著者:江國香織
日本の樹木 (ポケット図鑑)日本の樹木 (ポケット図鑑)感想
街を歩いていても、知らない花や木が多い。 本棚を整理していたら、妻のこの本が出てきた。絵と名前を見比べて花を確認して、楽しんだ。季節ごとに開いて読みたい本だ。
読了日:4月4日 著者:加藤僖重,会田民雄

読書メーター

 

 

風邪の頭痛でとんと頭が働かない 
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学会という祭りの終わりとこれから

2015年05月02日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

ある本を読んでいたらこんなことが書いてあった。

”自分の行動パターンを変えるのに有効な方法として、住む場所を変える。つきあう人を変える。時間配分を変える。意識改革する。”などがあるそうだ。

”学会”なんていうのは、こういうなかで「祭り」的な要素を持った意識改革の機会になる。さらには、自分さえ積極的になれば新たにつきあう人をみつけることもできる。実際、そういうアプローチをして来る人もたくさんいる。学会というのはそういう場だと考えると面白い。

今回の第104回日本病理学会@名古屋でも、不肖コロ健、いろんな先生のお話を聞く機会があった。

そろそろ、自分と同じ世代の先生がずいぶん増えてきて元気が出る。そういう先生たちの話を聞いていると、私も、これまで経験してきたことをかき集めて、世に問わなくてはならない時期ではないのかと、やる気が湧いてくる。

それにしても、頑張っている人はみんなよくやっているものだ。

 

何はともあれ、今回は無謀にも演題を2つも出した。今回の学会(会期3日間)での発表が、1日目の朝一番と、3日目の最終セッションとは、なんという不思議な巡り合わせだったのだろうと、しみじみ思う。どっぷり3日間いることになるとは、お祭り好きの私への神様からのプレゼントだったのだろうか。

そして今、病理学会というお祭りに身を委ねて過ごした3日間があっという間に過ぎた。風邪気味で咳が止まらず、人と話す気にもあまりなれなかったせいもあり、今回の病理学会はいつも以上にいろんなことを考える時間があってよかった。

富士山は残念ながら真っ黒で、影しか見えなかった。もう少し早く帰れば夕映えの富士山が見えたかもしれないが、最後の最後まで発表があったので仕方ない。

帰りの新幹線にゆられながら、もっと謙虚に、もっと楽しく仕事をやって行きたいと思った。 

 

 

この三日、風邪がつらかった 
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