人間の男女が以前生物学的にどのような役割分担を持っていたかということは、今は関係ない。
私は想像力はそれほど豊かではないが、男性の存在意義を卑近な例をあげて考えてみる。
私の周りの女性の多くはゴキブリが苦手だ。ムカデもあまり好きではないようだ。私もこれらはそんなに好きではないが、いたら殺虫剤をかけ、弱ったところでつまんで捨てる。私が考えるに、女性の多くがゴキブリが苦手なのは、ゴキブリというものの総体的な不気味さであり、ある意味感情論的なものだ。男性が”ゴキブリは不潔な存在”としてのみ捉えているのとは大きく異なる。女性にとってゴキブリとはゴキブリというゴキブリ的なものの代表であって、それがゴキブリでなくてもゴキブリ的なものであれば嫌悪感を抱く。だから、ゴキブリが住み着いてしまうような不衛生な部屋もゴキブリ的だし、外から帰ってきて手を洗わないのもゴキブリ的ということになる。一方、男性にとってゴキブリとは様々な細菌を媒介する不潔な存在でしかない。だから、自分の部屋が汚いためにゴキブリが住み着いたからといって、自分の部屋を綺麗にはしない。ゴキブリはゴキブリ、汚い部屋は汚い部屋なのだ。
女性の場合、対象に対して感情移入する力が強く、共感力が高いといえる。男性の場合は対象と感情を切り離して考えるから、共感力は女性に比べたら低いだろう。例えば、ゴルゴ13は男性の究極の表現型といえる。軍人は兵士個々人のことを考えることはなく、ただの駒として扱う。特攻隊はこの考え方の行き着いた先の不幸な産物だ。
このような特性は職業にも反映される。医者であれば、男性医師は患者に対して、患者という相対的な人間を治療するというより、患者の病気そのものに対する対応へと考えが向く。女性医師の場合、患者に振り回されるばかりか、上司、同僚さらには仕事をしていく上で生じる家族との軋轢といった諸々のことに関心が向くが、これらすべてのことに拘泥し振り回される。これが男性医師の場合であれば、”仕事は仕事”として割り切るから、”医師として使命”という大義名分さえあれば、寝食を忘れて仕事をするし、家庭を顧みることもなくなる。女性医師だけでは医療現場は回らないし、男性医師だけでは働き方は一向に改善しない。
私が思いつくのはこんな程度のことだけど、これだけでも男性と女性の違いは明白だ。
男性と女性を平等に扱うということ自体に無理があるということになる。妊娠出産は個人の自由だから別としても女性は年齢とともに肉体的に大きく変わる。更年期障害も男性は軽い。さらに総じて男性に比して非力であり、どんな職場であっても、男性の力は必要だ。そうすると、いま盛んに言われている男女の問題は何なのか。医科大学の入試で女子学生が排除されたことがなぜ批判されなくてはいけないのか。それは、入試において不公平であったからで、男女の問題ではない。その辺りをきちんと整理して考えなくてはいけないし、そのことをジェンダー論争に発展させてはいけないのだ。でも、残念ながら東京医大は男女差別の象徴的な存在としてのレッテルを貼られつつあるし、医学界全体が女性に対して不公平な業界と考えられている。
男性は不要、というのは全くの誤った考え方だ。だが、男性がこれまで不当に独占してきた分野というは少なからずあるはずだ。まずはそういった領域を女性に解放していくことが、男女”公平”な社会の実現に繋がっていくのではないかと考える。
難題だが