Kobby loves 埼玉&レッズ

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選手交代の勝負(9/30名古屋対川崎F)

2009-10-02 20:57:49 | 他チーム
水曜の夜、全部ではありませんが、ACLの準々決勝の名古屋対川崎Fを見ていました。直前の試合は、名古屋が鹿島を4-1と破っているのに対し、川崎FはG大阪に1-2で敗れています。勢いでは名古屋の方がありそうでしたが、川崎Fには第一戦の2-1の1点リードの貯金がありました。

名古屋は1-0の勝ちならアウェーゴールで勝ち抜けでしたから、川崎Fとしてはできるだけ名古屋のゴールを遅らせ、自ら先制点を奪っておきたいところです。しかし、1点目は小川のミドルで早々と入ってしまいました。しかも、三都主のFKから名古屋得意のヘディングで、2点目まで入れて、かなり名古屋優位に試合は進みました。

ここで、川崎Fとしては、まずは1点返せば延長に持ち込め、2点取れば名古屋に1点取られてもアウェーゴールで勝つことができます。そのため、前半のうちにレナチーニョのパスから鄭大世が決めて、トータル同点にしておいたことは、川崎Fにとっては大きいはずでした。

後半、ケネディの頭を狙った名古屋がボールキープ率を上げますが、スコアはなかなか1-2を動きません。先に動いたのは名古屋で、三都主と中村直志を下げてブルザノビッチと吉村を投入する、ボランチ総入れ替えの交代でした。ブルザノビッチは鹿島戦で2ゴールですから、その得点力に期待したのでしょう。

これで、90分で決着をつけるというメッセージをストイコビッチ監督は発信します。対する関塚監督は、どうやら延長戦をにらんだようで、レナチーニョを下げて黒津を入れる、同じポジションでの交代にとどめます。流れの良くない方のチームが、不利と見たときに勝負を延長に持ち込もうという発想は一般的で、決して関塚監督の手が奇策なわけではありません。

しかし、この日に限っては、早めに決着をつけたいストイコビッチ監督の執念の方が実る結果になりました。やはり、ケネディの頭は有効な攻撃で、右からのクロスを川崎FのDFがケネディを抑えようと、真ん中に集まってきたところに、左のマギヌンがフリーになります。

好調のGK川島が何とかセーブしますが、そのこぼれ球にケネディが詰めていました。ケネディは得意の頭ではなく、ちょこんと触っただけのゴールでしたが、それでも名古屋は3-1とする貴重な勝ち越し点を入れます。これで延長戦がなくなったので、両チームともどんどん交代カードを切ってきましたが、川崎Fの手は遅きに失し、名古屋が勝ち抜けを決めます。

名古屋は次、クラブW杯4位の実績がある、アルイテハド(サウジアラビア)と対戦します。おそらく、この相手こそアジア最強という強さを、相手は見せてくると思います。ただ、これを勝てば決勝は国立ですから、その有利さを生かして欲しいものです。
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波乱万丈のベテラン(小宮山悟)

2009-10-02 18:39:02 | 他スポーツ
以前、浦和キラーとして横浜FMの小宮山尊信選手の話をしましたが、今回話題にするのは同じ小宮山でも、千葉ロッテマリーンズの小宮山悟投手(44)の方です。ちょっと前に引退会見を開いていたので、そういえば小宮山、まだ現役だったかと思われた方もいらっしゃるでしょう。

小宮山が当時のロッテオリオンズに入団したのは、昨年引退した元メジャーリーガーの野茂英雄元投手の近鉄入団と同じ年です。野茂英雄は12球団OKを口にしていたので、多数の球団が競合するのは必至でしたが、前年最下位だったロッテは外れ1位を一番最初に指名できました。

たとえ野茂を外しても、外れ1位でそれなりの選手を指名できるという計算でした。その結果、ロッテは野茂の外れ1位で早大の小宮山を指名します。小宮山は大卒でしたが、大学受験で二浪していたので、ロッテに入団したときは24歳でした。

つまり、即戦力にならないといけない年齢だったのですが、小宮山は一年目から先発ローテーションに入る活躍でした。当時のロッテは決して強いチームではなかったので、どうしても勝ち星は思うようには稼げませんでしたが、それでもロッテにとっては欠かせない戦力でした。

小宮山のエピソードで思い出すのは、球界きっての「論客」だったことと、スタッフにこまめに声をかけていたことです。論客の方は、日本シリーズのゲストには一番向いていると言われたほどで、ピッチングの理論を最も言葉にできる投手でした。

また、小宮山はメジャー挑戦のときに、多くの人に応援してもらいました。それは、ロッテ時代に寮母さんや現場スタッフに声をかけていたことで、多くの人が小宮山を愛すべきキャラクターと思っていたようです。

そんな小宮山はメジャーのチームを戦力外になり、一年ブランクがあります。ロッテから現役としてオファーが来たときは、本人が「奇跡が起きた」と口にしたほどです。ロッテに復帰してからの小宮山は、負けている試合の中継ぎが主な役割になります。

バレンタイン監督が、若い投手を負け試合でマウンドに上げると気持ちが入らないことがあるという理由で、経験のある小宮山ならどんな状況でも投げてくれるだろうと思っていたようです。毎年、まだ現役だなと思っていましたが、44歳になり、結果も出せなかったことでついに去るときが来ました。

通算成績などは目立つ投手ではありませんが、故障が少なく、丈夫で長持ちだったことは、輝いています。お疲れ様でした。
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