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コピー取りからチーム得点王へ(水内猛)

2009-10-18 19:26:05 | 浦和レッズ
現在のGGRキャスター、水内猛氏の現役時代の思い出を語ります。水内は神奈川県の旭高校を卒業後、当時の日本リーグ三菱に入団します。最初はプロ契約をさせてもらえず、本人曰く「コピー取りをしていた」という社会人生活からスタートしています。

また、Jリーグ発足当時の選手名鑑を調べると、水内のところは「バレーボール大古氏のおい」という記述があります。それが一番に来てしまうほど、当時の水内は無名の選手でした。そんな水内にチャンスが回ってきたのは、負傷者続出で選手が足りなくなったJリーグ元年の1993年シーズンでした。

柱谷幸一、福田とエース級のFW二人が怪我がちだったため、シーズン後半戦でチャンスをつかんだ水内は小柄な上背の割に強かったヘディングでゴールを決め、最下位のチームとはいえチーム得点王の7ゴールを挙げて一躍レッズの注目株になります。

水内といえば、今もそうですが明るい性格でも有名で、ゴール後のパフォーマンスの「キャイーン」も有名になる理由の一つでした。しかし、そんな水内の全盛期は長くは続きませんでした。日大を中退して浦和入りした岡野の存在も理由でした。岡野の爆発的スピードは、当時は技術が伴っていなかったとはいえ、当時のレッズなら使いたくなる個性だったでしょう。

水内は、1995年の国立でのV川崎戦で、途中出場から岡野の「奇跡のボレーシュート」のアシストを決めたのが記憶にありますが、オジェック監督から戦力外を言い渡され、当時Jリーグ準会員だったJFLのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に移籍します。

仙台では2シーズンプレーしましたが、チームをJリーグに引き上げるには至らず、1997年シーズン限りで現役生活にピリオドを打ちます。ちょうど、当時のテレビ埼玉のキャスターの上野晃氏が退くという話になっていたので、後任に引退したばかりの水内は適任とされ、今まで10年以上キャスターをやっています。

水内は選手としては普通の選手だったかもしれませんが、キャスターにふさわしい性格だったことは幸運でした。テレビという世界は、目立ちたがりの彼には合っていたのでしょう。これからも、その前向きな言動で、サポを引っ張って欲しいと思います。
コメント (2)
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