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中日一筋22年(立浪和義)

2009-10-05 20:06:39 | 他スポーツ
また野球ネタですが、今季限りでの現役引退を表明した、中日ドラゴンズの立浪和義内野手の話をします。立浪は1988年、PL学園を卒業して中日にドラフト1位で入団します。

立浪の代のPL学園も、桑田、清原の世代に劣らず、野村(元横浜)、橋本(元巨人)、片岡(元阪神)らを出している黄金世代です。野村と橋本の継投は社会人野球並みと評されたほど、圧倒的な強さで夏の甲子園を優勝しています。

そんなチームから中日入りした立浪は、高卒新人ながら開幕戦から2番ショートのスタメンをがっちりものにします。若い方は代打の職人としての立浪しかご存知ないかもしれませんが、立浪の新人時代は俊足好打の内野手で、1、2番が定位置でした。

立浪は1年目からレギュラーに定着して、新人王も取っていますが、新人王にしては打率が低いのが課題でした。当時の立浪の応援歌が光GENJIの「ガラスの10代」で、若くしてポジションを取りながら完成されていない彼の将来を心配するような歌でした。

しかし、立浪はその後、3割常連の打者になり、2000本安打のスピード記録や2塁打の最多記録を作るなど、バッティングで名を馳せることになります。ただ、立浪が40歳まで現役を続けられたのは、彼がFA宣言しなかったことが大きいと思います。

FA宣言は、一見自身の価値を上げ、給料もアップするいいことずくめの制度のように見えますが、FA選手を取ったチームはコンスタントに主力としてプレーすることを要求します。それができなくなった場合、ベテランの移籍が難しい日本では即引退の可能性もあります。

立浪の場合は、引退会見で「野球は打撃、守備、走塁でするもの。自分の場合、守備と走塁が衰えた。」というものを引退の理由に挙げていましたが、そういうベテランを代打要員に置き、まだできる打撃の力を出そうとしてくれるのは、ドラフト1位で取って中日一筋でプレーした功労者という意識もあるでしょう。

最近は選手寿命も延びる傾向がありますが、立浪の40歳というのは驚異的な長さだと思います。長い間、よく頑張ったと思います。
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