Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

あれから10年

2009-10-12 17:07:16 | 浦和レッズ
10年前(1999年)の今ごろ、どうしていたか振り返ると、頭の中の多くが浦和の残留争いだったと記憶しています。ちょうど9月末の名古屋戦にVゴール負けして、当時のデモス監督が残り5試合全勝を口にして、「ファイナルファイブ」というフレーズが叫ばれていた頃です。

事実、浦和は本当にがけっぷちで、残り5試合全勝に近い成績でないとJ1に残れない状況でした。その「ファイナルファイブ」は、U-23日本代表のシドニー五輪最終予選でリーグが中断していたので、少しずつやってきて、最後の4試合は週2試合で一気にやりきってしまう、変則日程での開催でした。

小野伸二の負傷も、この年を苦しいシーズンにした理由で、浦和サポは今でも小野伸二を負傷させるタックルをしたフィリピンU-23代表の19番のことを覚えている方もいらっしゃるでしょう。

ちょうど今の時期の神戸戦のとき、小野伸二が復帰するかどうかが話題になっていました。浦和は情報統制を引き、小野伸二のコンディションについては外部に漏れないようにしていましたが、神戸側は「どうせ出てもまともにプレーできる状態ではないだろう」と読み切っていました。

事実、小野伸二は神戸戦ではほとんど存在感はなく、この試合に0-2で敗れた浦和は本当にぎりぎりの状況になりました。次の試合は、当時残留を直接争ったジェフ市原(現千葉)でした。これは平日だろうと何だろうと行かなければならないだろうと、会社を半休する準備を進めたことを覚えています。

この残り4試合に関しては、私も少しは声を出してバックスタンドから盛り上げたいという気持ちがあったので、ノートに記録は残っていません。覚えているのは、実行した試合は全勝だったジンクス(本太氷川神社に賽銭を入れる)を実行したことと、その神社の前にあった桜の木の落ち葉です。

本来なら、このブログのスタイルのように、落ち着いて戦術分析をするのが私に合っているのでしょうが、当時は駒場に参戦していたサポーターは何とかしなければいけないと、皆がまとまっていました。結果的には残留にはつながらなかった、あの千葉戦、終了間際の福田のゴールで1-0で勝ったときの感動は、今でも記憶に残っています。
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秋晴れの彩湖

2009-10-12 12:04:41 | 埼玉
今日は秋晴れの一日らしく、散歩で荒川沿いの人工池、彩湖まで出かけていました。彩湖はさいたま市民の緊急時の貯水池になるとともに、流域を洪水から守る効果もあります。さいたま市もかつては何度も洪水に苦しんだ過去があるので、人間側も進歩して、今伊勢湾台風(昭和34年)と同じ台風が来てもおそらくこれといった被害は出ないですむのではないかと思います。

下の写真は彩湖からさきたま大橋(外環道)を見渡した方向です。これだけ都市化が進んだ地元で、これだけの見晴らしが効く場所があるのだなと、少し感心します。
また、青空の美しさも、写真に撮って残しておきたくなるようなきれいな色です。


また、トップの画像はススキです。この荒川河川敷の野原は、ススキで一面覆われていて、この季節は結構きれいに見えます。もっとも、そんな草も、堤防に生えると堤防の強度を落とすそうで、堤防は毎年、入念に草刈りされていますが。
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