岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「専門性」について。断片的に。

2010-09-11 09:41:54 | 社会福祉士

よく訪問させていただくブログでは最近、介護福祉士の専門性についての見解や考え方を読ませていただきました。
自らの拠って立つ「専門性」を深く考えることの意味は大きいと思います。

古来、専門職といえば聖職者ないしは聖職者扱いをなりわいとした人々だと思います。
聖職は神に仕える専門職ですし、聖職者扱いは医師や教師ですね。
人の生死にかかわる仕事です。
忘れてはなりません。産婆さんも専門職です。

政治家や法律家、行政官も専門職といっていいでしょう。
こちらも「社会」が出来て以来の専門職でしょう。

では、古来、人類の文化面を担ってきた芸術家の人々は専門職でしょうか。
専門職という言葉は似つかわしくないかもしれませんが、「専門性」はあります。

では、専門職がもっとも「力」を発揮できやすくなる条件はなんでしょうか。
この「力」とは、能力であるとともに、権威だったり権力だったりします。
権威や権力があれば、「専門性」は行使しやすくなります。
私が、「専門性」について考える時に、この権威や権力に無自覚であってはならないと思っています。
権威や権力に無自覚な専門職やその「専門性」は、どこかうさんくさいものです。


19世紀、産業革命の進展に並行して、帝国主義国は世界各地で戦争を引き起こしていきます。
殺戮が続く中で、軍隊の後方支援として傷ついた兵士の看護を担う女性が戦場に駆り出されます。
こうして、近代看護の歴史は戦争の中から生まれました。
近代看護は、従軍看護から生まれたのです。
社会の要請により新たな専門職が生まれた瞬間です。

世の中が進む(進化という意味ではなく)に従い、多くの専門職が追加されてきました。
具体的には「資格」という形で表れます。
身近なことでは運転免許や技術者の業務用資格です。

社会福祉の世界も、1990年に新たに社会福祉士、介護福祉士法が施行されました。
新たな資格は、それまでは「専門性」を問われることの少なかった業務に及ぶこととなり、資格取得者は、
自らのアイデンティティを確立するためにも、自らの資格の専門性を追求せざるを得なくなります。

その追求自体は必然でもありますが、前にも書きましたように、常に「権威・権力」に無自覚であってはなりません。
例えば、私たちが「資格の専門性を問い、追求する」ことが、関わる人々に有意義なことなのが、資格を得ることが、
利用者や患者および関係者に有益なのか。

もちろん、有益であるようにするしかないのです。

「私は素人です。素人でいいのです」という方も大勢おられます。
これは、「専門性」が持つうさんくささを敏感に感じての発言だと思います。

残念なことですが、資格を獲ることに力が入り、資格取得を自慢して、実務は?という人々が多いのも事実です。
これは、わたくし自身への自戒でもあります。

※写真は北アルプスの夕日

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