岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

長泉寺・寺子屋文化講座『俊乗房重源と岡山地域』 久野修義先生

2017-06-07 20:59:52 | 岡山

長泉寺は岡山市北区南方にあるお寺です。

実家から自転車で10分程度で行くことができます。

このお寺に参るようになったのは東日本大震災直後からです。

東北に送る文房具の包装作業に行きました。本堂の中まで文房具が並べられていました。

若い住職さんが率先された活動をされています。

その内容はホームページをご覧ください。

6月6日は、文化講座の聴講に参りました。

久野修義先生は岡山大学の名誉教授です。このお寺と岡山大学はそれこそ自転車で10分足らずです。

先生は日本の中世史が専門であり、この夜は日ごろはほとんど聞くことができない平安末期から鎌倉の始めの世情や

東大寺再建に尽くした重源の活動についてお聞きしました。

確かに高校では重源が東大寺再興を果たしたことは学びます。

しかし、どのような時代背景でどのような思いを抱いて行動したかは知る由もありませんでした。

南都・東大寺が焼失したのは1180年です。このとき重源は還暦です。

その年に東大寺造営勧進の宣旨が発せられた。

これから23年後に東大寺供養が執り行われました。

3年後に重源が没します。

ですから定年後のほとんどすべての歳月を勧進に費やしたのです。

ときあたかも源平の争乱、飢饉は毎年のごとく、京都では直下型大地震も発生します。

国中が惨憺たる有様だったのですが、その間に莫大な資金が必要になる大仏造営を始めていたのです。

なぜか、久野先生は仏国土を造り安心立国を目指したのではないかと。

例えば、平泉のように。

大変興味深いお話です。

重源は東大寺以外にも、各地でいわゆる公共事業を行っています。

道も整えています。もちろんお寺や仏像は数えきれないほど建立や修復をしています。

当時、志度第一と言われたそうです。志度とは、準備や仕切りのことですから、計画を立て実行する力量が並外れていたのでしょう。

このようなお話を聞くと本当にすっきりします。

ありがとうございました。

 


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