12日付、朝日新聞の記事を読みました。
記事を読んでひとつ大きな変化があった。
それは、今まで「脱線事故」という書き方をしてきた新聞が今回は「脱線転覆事故」となっていることだ。
事実はそのとおりで、今までの「脱線事故」という書き方では事故を正確に表していない。
どのような経緯で変わったのか知らないけれど、安堵とした。
事故が遠ざかるに従い、文字からみる印象が優先されるようになる。
重要なことだ。
しかし、今回の井手元社長の答弁にはあきれた。
この事故を起こした責任の多くはこの人にある。
直接的とはいえないながら。
良心というものが心のどこかにあるのかと疑問に思った人だ。
遺族からの質問
「井手さんが利益優先の会社をつくった。企業体質を一新しないといけないとは思いませんか』との問いには「とくに変えなければいけえないという気持ちはありません」とはっきりした口調で否定した。
事故以前の資料を読んでいると、安全対策は営業優先の陰に隠れていたことがわかる。
旅客を安全に運ぶという大原則が、許されざる無知からなおざりにされていた。
この事故がなぜ今も追及され続けているか。
私たちは忘れてはならない。