![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/da/48ed284c68d37eb7fba846d1f5fdb73f.jpg)
近所の女性と話していたら、最近体調を悪化させたとのこと。
「私は心配性」だからと話される。
医師からは、「あなたのような境遇で心配することはなにもないでしょう」と言われたという。
確かに、経済的にも恵まれている人し、家族にも恵まれている。
しかし、医師も配慮が足りないと思う(人のことは言えないけれど)。
ブッダは、この世は「苦しみに満たされている」と言ったそうだ。
この言葉に素直にはうなずけないかもしれない。
確かに楽しみもある。
ネットを覗いても、この世を楽しんでおられる言葉や写真が溢れている。
でも、それだけではないことは確かだ。
人前(ネット前)に、自らの苦しみを表すことをよしとしない人も多いだろう。
ネットを覗いて心が痛むことに、「捨てられた犬の処分期限」の告知がある。
これは「苦しみ」である。
捨てる神あれば拾う神あり。
助かることになったら、心底ホッとする。
投稿者には、現代の「社会的な原因による苦しみ」を、情報としてアップしておられる方もおられる。
マスメディアもそのようなことを報道することは多い。
人々は、身の回りだけではわからない「苦しみ」の情報をこうして知ることになる。
世界を知れば知るほど、苦しみは多くなる。
苦しみは、自分自身や家族だけのことではない。
世間の苦しみも、やはり自分自身の苦しみなのだ。
だから、「あなたは心配するようなことはないだろう」などと発言するのは医療従事者として問題だと思う。
苦しみから遠ざかろうとすることがよいのか。
いや、苦しみを見つめることが、ブッダの慈悲を知ることにつながるのではないかと思う。
「私は心配性」だからと話される。
医師からは、「あなたのような境遇で心配することはなにもないでしょう」と言われたという。
確かに、経済的にも恵まれている人し、家族にも恵まれている。
しかし、医師も配慮が足りないと思う(人のことは言えないけれど)。
ブッダは、この世は「苦しみに満たされている」と言ったそうだ。
この言葉に素直にはうなずけないかもしれない。
確かに楽しみもある。
ネットを覗いても、この世を楽しんでおられる言葉や写真が溢れている。
でも、それだけではないことは確かだ。
人前(ネット前)に、自らの苦しみを表すことをよしとしない人も多いだろう。
ネットを覗いて心が痛むことに、「捨てられた犬の処分期限」の告知がある。
これは「苦しみ」である。
捨てる神あれば拾う神あり。
助かることになったら、心底ホッとする。
投稿者には、現代の「社会的な原因による苦しみ」を、情報としてアップしておられる方もおられる。
マスメディアもそのようなことを報道することは多い。
人々は、身の回りだけではわからない「苦しみ」の情報をこうして知ることになる。
世界を知れば知るほど、苦しみは多くなる。
苦しみは、自分自身や家族だけのことではない。
世間の苦しみも、やはり自分自身の苦しみなのだ。
だから、「あなたは心配するようなことはないだろう」などと発言するのは医療従事者として問題だと思う。
苦しみから遠ざかろうとすることがよいのか。
いや、苦しみを見つめることが、ブッダの慈悲を知ることにつながるのではないかと思う。