昨夜は父に会ってきた。
もうかなり前から会話はできないし、私のことがわかっているのかどうかも。
流動食ものどを通りにくくなっている。
晩秋の夜 さみしさが募る。
9月から新しい仕事に取り組んでいると先日このブログにも書きました。
やりいがいがあるのですが、頭の油が切れかかっているようで、困ります。
課題が多すぎるということもあるけど、業務が統合できない。
「不統合」です。あるいは「統合不全」です。
業務を推進する疾走感というのがあって、よくそれを楽しんだ覚えがあるけど、
いまや、疾走しない。
この現実を受け止めて、歯車が空転しないようにしなくてはならない。
年を重ねると、何事においてもスピードを落とさなくてはならないと思う。
歩くにしても山を登るにしても、年相応のスピードというものがある。
いくら日ごろから鍛えておいても そのことが変わるわけではない。
頭もいくら使っても 年相応ということはあると思う。
愛車を丁寧に運転しても 20万キロ走れば いくらメンテナンスをしていても
それなりの扱いをしなくてはならない。
自らの体も同様だ。体の中の主要な部分は脳だから ここもスピードを落とさなくてはならない。
いや回転数の制御が必要という話です。
そうしないと暴走しやすくなる(笑)
ということで、新しい仕事には 今まで経験したことのない「未知の部分」がてんこもりで、
迷路に入りかけている。
今までの経験の応用が利きにくい部分が多い。
こうしてブログに書く意味は、ある種、クールダウンが必要だから。
再び、車に例えると、リッターカーに軽のエンジンを積んでいる感じ。
土台相応のエンジンがないということだからそれなりの対応が必要で、
線路でいえば、かつては複々線まで拡がっていたが、複線からさらに単線に戻ってきた。
単線になれば、駅で対抗列車の通過待ちの時間が必要になる。
それがいい。
待ち時間を楽しむことがいい。
登りはスイッチバックでじわじわと高度を稼ぐ。
下りだって高性能のブレーキがついているわけではないので、ゆっくり下る。
このように心がけたい。
こうしてブログに書いていると 気持ちが楽になる。
ブログは私の箱庭なのかもしれない。
もうかなり前から会話はできないし、私のことがわかっているのかどうかも。
流動食ものどを通りにくくなっている。
晩秋の夜 さみしさが募る。
9月から新しい仕事に取り組んでいると先日このブログにも書きました。
やりいがいがあるのですが、頭の油が切れかかっているようで、困ります。
課題が多すぎるということもあるけど、業務が統合できない。
「不統合」です。あるいは「統合不全」です。
業務を推進する疾走感というのがあって、よくそれを楽しんだ覚えがあるけど、
いまや、疾走しない。
この現実を受け止めて、歯車が空転しないようにしなくてはならない。
年を重ねると、何事においてもスピードを落とさなくてはならないと思う。
歩くにしても山を登るにしても、年相応のスピードというものがある。
いくら日ごろから鍛えておいても そのことが変わるわけではない。
頭もいくら使っても 年相応ということはあると思う。
愛車を丁寧に運転しても 20万キロ走れば いくらメンテナンスをしていても
それなりの扱いをしなくてはならない。
自らの体も同様だ。体の中の主要な部分は脳だから ここもスピードを落とさなくてはならない。
いや回転数の制御が必要という話です。
そうしないと暴走しやすくなる(笑)
ということで、新しい仕事には 今まで経験したことのない「未知の部分」がてんこもりで、
迷路に入りかけている。
今までの経験の応用が利きにくい部分が多い。
こうしてブログに書く意味は、ある種、クールダウンが必要だから。
再び、車に例えると、リッターカーに軽のエンジンを積んでいる感じ。
土台相応のエンジンがないということだからそれなりの対応が必要で、
線路でいえば、かつては複々線まで拡がっていたが、複線からさらに単線に戻ってきた。
単線になれば、駅で対抗列車の通過待ちの時間が必要になる。
それがいい。
待ち時間を楽しむことがいい。
登りはスイッチバックでじわじわと高度を稼ぐ。
下りだって高性能のブレーキがついているわけではないので、ゆっくり下る。
このように心がけたい。
こうしてブログに書いていると 気持ちが楽になる。
ブログは私の箱庭なのかもしれない。