岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

3月、また季節が進む。

2012-03-03 04:42:10 | 日本の仲間
2月はなかなかな月でした。
記憶に残る月になるでしょう。

ネットのつながりが有難かった。
ネットで語れないことも多いのですが、それは皆さん同じこと。
岩清水日記裏版(masaさんコピー)も必要かと。
ただ私の場合は、未公開でしょうが。

2月は父の転倒、体調不良での入退院。
住宅改修、昼夜の見守りへ。

母の体調不良での入院でした。

入院を繰り返すごとに心身共に変化していきます。
簡単にいえば、低下します。
むろん、介護負担は増していきます。

心と身体は一体ですから、厳しくなります。
特に次への展望が開けないと思考の空回りが始まります。
そこからは抜け出せたように感じています。

3月は家族にとってもよい月になることを祈ります。

3月11日が近づいてきました。
もうNHKは大震災一色です。
どれほど大きな衝撃だったか。
この1年間、新聞紙面は一日たりとも原発、津波被害の記事が乗らなかったことはありませんでした。
そのような国内記事発信がいかほど海外発信へ繋がったか。
世界は日本被災後の情報に飢えていると言われ続けました。
その状態は今も続いています。

言語の壁は自動翻訳機能が向上しても低くなったような実感はありません。
この方面での打開も急がれます。
東大の秋入学チャレンジも意味するものは少し違うかもしれませんが、金融グローバルに遅れるをとる「情報・言語グローバル」への一助になるかもしれません。

未来への希望へとつながる月にしていきたいですね。

※キーボードを撫でていると、父がベッドでもぞもぞ始めました。
衣服交換が必要になりました。
ネットブックは休止しなくては。





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1 コメント

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no pholosophy (noga)
2012-03-05 17:13:36

日本語には時制 (tense) はない。
過去・現在・未来のそれぞれの世界を脳裏に描くことは難しい。
前世・現世・来世に関するインド人の教えも、日本語脳では定かでない。
「我々はどこから来たか」「我々は何者であるか」「我々はどこに行くか」といった哲学的命題は考えられない。

理想 (ideal) は、未来時制の内容である。
意思 (will) も未来時制の内容である。
理想がなければ、未来社会の建設計画もない。
意思のないところに方法はない。(Where there’s a will, there’s a way).

意思はなくても恣意 (self-will) はある。
建設的な話はできなくても、出来心はある。
問題解決の能力はなくても、事態を台無しにする力だけは持っている。
政治は遅々として動かない。人々の頭を閉塞感が襲う。

英語のリスボンシビリティ (responsibility) は応答可能性であり、自己の意思により現実対応策を考えて行使するものである。
責任は、自由意思により果たすところが大切なところである。
意思なくしては、責任は果たせない (責任はとれない)。とかく、この世は無責任となる。

ところが、日本人には意思がない。子供・アニマルと同様である。
場当たり的な行動にでるしかない。
ただ目的の遂行だけを求められるならば、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことになるのは必定である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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