岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

堤の上に町をつくる。

2009-03-02 21:29:17 | 岡山

昨年、玉島の町を見に行きました。
良寛さんが若き日に修業をした円通寺がある町です。
玉島という町は江戸時代に港町として繁栄しましたが、元はと言えば沼地です。
岡山県の沿岸部はたいてい干拓地です。
その干拓方法は、海の中に堤を伸ばしていき、沼地を囲んでしまい、
水門から潮水を干潮時に出してしまった後、閉門して潮水が逆流しないように
していたようです。
 
このため、堤は非常に重要で、よもや崩れるようなことがあってはなりません。
多くの人が懸命に踏み固めたといいます。
実は玉島では、すごい方法をとっています。
堤防に家を建て、町を造っていきます。
当時の絵図を見ると、これが日本かと思うほどの珍しい風景です。
1本の堤防の上に蔵や商家が並び人々が往来しているのです。
そうです。ベニスのような風景なのです。

この方法は江戸でもとられました。
こちらはもっと人間の欲望を利用しています。
日本堤に吉原を移動させて人々の往来で堤を踏み固めさせたというのです。
吉原の話は『本質を見抜く力』養老孟司、竹村公太郎著 PHP新書に書いてありました。

江戸時代の土木工事は本当にすごいです。
私は海から約20キロ離れた土地に住んでいるのですが、20kmのうち、
8割は干拓地です。
6割は江戸期の干拓でしょう。

私たちは、このような遺産の上に暮らしているのですね。

※写真は、旭川から水路を引いている取り入れ口あたり。
津山線の鉄橋の下に水路があります。
旭川自体、江戸期のはじめに河の流れを人工的に替えています。
城下町をつくるためです。
そして水路を縦横に張り巡らしました。
生活用水と農業用水のためです。
いまでもその水路は健在です。

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