岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

2  沢知恵 大島青松園コンサート2024(中川五郎さんとともに)その2

2024-08-26 10:51:33 | 沢知恵さん

大島が近づいてきました。中央が港です。左手に納骨堂の屋根が見えています。

着きました。出迎えのスタッフの皆さんです。

港は現在工事中です。仮設の桟橋に着きます。

緑濃い松林が見えます。青松園の名の由来でしょう。

島の北側を望みます。一番右手に大島会館、そして納骨堂の屋根が見えます。正面の高速船もタコタコ海上タクシーです。

みなさん、すでに上陸しています、

下船です。

桟橋から大島に上陸します。

振り返ってみます。

左手に高松市の市街があります(映ってはいません)

次いで遠くに見えるのは五色台です。そしてほぼ正面の二つこぶがある島が女木島、鬼ヶ島とも呼ばれます。

そして、右端に映っているのが男木島です。

松林を通って園内に入ります。

正面に大島会館です。日差しがきついです。昨年よりさらに厳しくなりました。

大島会館まで70mです。

着きました。大島会館のコンサート会場です。エアコンも効いています。

準備ご苦労様です。すべて手作りです。

こちらが本日のスケジュールです。ご説明をいただきました。

まず納骨堂・宗教地区に行きます。祈りから始まります。

坂の途中から東の方角を望んでいます。近くに小さな島2つがあります。

坂を登って納骨堂に行きます。

納骨堂には2200名ほどの入所者の方々のお骨が納められています。

故郷から連れ去られるようにこの島に来られた人々です。

本名を名乗ることは出来ず島での氏名で生活していました。

故郷の墓に入ることはできませんでした。家族にハンセン病者がいるとなれば差別されます。

兄弟姉妹・親族の婚姻に影響すると言われた時代が長く続きました。

鎮魂の碑が並んでいます。

説明をしていただきました。全員で合掌いたしました。

続いて大島霊友会の教会堂に行きます。ここで中川五郎さんのミニ・ライブがあります。

この教会堂は1935年に米国のミッション団体の寄付により建てられたとあります。

滋賀県近江八幡にあったヴォーリズ設計事務所が設計しています。多くの有名な建物を建築しています。

創設信徒さんの碑です。

入口には特徴的なデザインがあります。室内に風が入ります。

礼拝堂の外観です。

中に入ります。

滋賀県から来ていただいた牧師さんに説明をしていただきました。

中川五郎さんがここで結婚式を挙げたときに執り行った方と聞きました。

さらに沢さんが生後6か月の時、父親に連れられてはるばる関東から訪問した時に入所者の皆さんと会ったのはこの教会だったと。

あの有名な話の現場なのですか!と驚きました。この初訪問の時の様子がネットで記事になっています。こちらです。

中川五郎さんは「後期高齢者になりました」と切り出されました。

五郎さんの演奏会はいつも撮影自由ですので写させていただきました。

曲は「1923年福田村の虐殺」です。最近、森達也監督で映画にもなっています。

もちろん五郎さんはもっと前から歌っていました。30分にも及ぶ長い曲です。

千葉県の福田村の虐殺事件をドキュメンタリータッチで語り歌っていきます。

行商人の一行を襲った悲劇です。

実はこの一行は、この香川県の被差別部落の人だったのです。

福田村の村人に「発音がおかしい!」と思われ虐殺に繋がっていきます。

時は関東大震災直後、朝鮮人が暴れているとの流言飛語の中です。

加害者である村民は軽い刑を受け、やがて恩赦になりました。

その後、村長までなった人もいました。

「忘れてならないことがある」と五郎さんが歌います。

知恵さんによる独唱(歌詞なし)が入ります。

切々と慰霊を込めて歌われます。

讃岐の地で生まれ讃岐を離れて行商するしかない人々の思いが詠われます。

この地で聴くこの歌はこころ震えさせるものでした。

私たちはこの時代から心の奥底が変われているのでしょうか。

問われています。

パンフレットの表紙の写真です。北側から航空写真です。

中央部に住宅が並んでいるのが分かります。港の南側が医療関係の施設です。職員施設もあります。

中央部の平地では塩分を含んだ井戸水しかなく、山から湧いた良質の水は少なく、絶えず水不足に悩まされていました。

四国本土から水道管が通じてやっと水不足は解消されました。

写真の上部には屋島、そして高松市の市街地が見えます。

島からも見えます。入所者の方はなかなか行くことが出来なかったでしょう。

お気持ちを察するにあまりあります。

沢さんはこの青松園コンサートでは必ず「ふるさと」(ウサギ追いし♬)を観客全員と歌います。

ここで歌う「ふるさと」は、故郷に帰れなかった人々の気持ちがダイレクトに伝わってきます。

隔離の島でした。

 

教会を後にします。

なお霊友会はもう牧師さんが訪問することもなくなっています。

沢さんが第4日 最終日曜日に訪問されてオルガンを弾いて聖歌を歌われているそうです。

そのうち必ず行きたいと思います。

坂を下って大島会館に戻って各自持参のランチタイムです。

花々と樹々が美しい島です。動物はいるのかな。猫はいます。

私は海辺を散策しました。

流れ着いたものが打ち上げられています。

官有船が着いています。ずいぶん立派になっています。左は工事のための砂ですね。

島の南部の小山が見えます。

西を望みます。

左手の島が女木島、中央の島は近くの小島、右手に見えるのが男木島です。

地図ではこんな感じです。

北を望みます。北部の丘と言っていい山です、風の舞(火葬場まわり)があります。

今回は訪問できませんでした。

老人会館を通って港に戻りました。

新しく桟橋を造っています。

新しい官有船はサイズが大きく旧来の波止場では停められないのではないかと思います。

現在の桟橋は仮設です。

来年は新しい桟橋から上陸できるかな。抽選に当たらなくてはなりませんが。

こちらが正門です。

考えてみればいつも脇道を通って大島会館にいっていました。

いよいよ沢知恵 青松園コンサートが始まります。

 

続きます。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

ウクライナに平和を!

ガザを救え!



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