またチラシを掲載します。よくできたチラシですね。必要なことはすべて含まれていて簡潔明瞭。手慣れた方がいらっしゃるようです。
そろそろ時間になりました。アッ まだ池田さんが名無しだ。
準備できました。扇風機がこちらむきだけどいいのかな。
四國五郎追悼の会の土屋時子さんと池田正彦さんです。
司会の杉浦さんとお二人は日ごろから親しくされているようです。
時さん、池さんと話しかけられていました。
まずお二人の自己紹介から。
土屋さんが手に掲げているのは四國五郎さんに書いていただいた似顔絵だそうです。普段は額に入れて大切にされているとのこと。
四國五郎さんの似顔絵は大変人気があり順番を待つ人が並んでいたそうです。ということは広島の街の家々には、土屋さんと同じように四國五郎さんの似顔絵が
飾られているのですね。想像してしまいます。
夫君の土屋清さんとともに前出『反戦平和の詩画人 四國五郎』に詳しく記述されています。
土屋時子さん133、137、310頁 土屋清さん 134-5、137、170頁
広島文学資料保全会 土屋時子さんは代表、池田正彦さんは事務局長です。
続いて、池田正彦さんです。
まず足元の説明から。日頃、セッタを履いているのでそのまま来てしまいましたと。
決して皆様を軽んじているわけではないと話され会場の笑いを誘いました。
『反戦平和の詩画人 四國五郎』では133、137、310-316、365頁で紹介されています。
高校時代に四國五郎さんに詩誌『詩人会議』の会合で会われたと聞きましたから1960年前半のことでしょう。
なんと60年前です!半世紀に渡る交流があったのですね。
私事になりますが、このライブに参加したいと思った理由のひとつに池田正彦さんにお会いしたいということがありました。
今までもお手紙をいただいていましたし書籍の購入もお願いしました。
しかし面識はありませんでした。
非常にていねいなお手紙に感心し手元に残しています。紹介いたします(許可なしですが)。
これだけの資料(右)が手製の封筒(左)に入っていました。2021年9月7日です。
まさにコロナ流行の真っ最中です。土屋時子さんのお名前や、堀川惠子さんが「文學界」2015・9(文藝春秋)に書かれた「ヒロシマ文学を世界遺産に」の全文もあります。
池田さん自筆のていねいな文章が添えられています。この驚くほどの繊細さと構成、そして独創性的な封筒。受け取っただれもが驚くと思います・
最初は少し硬い雰囲気でしたが杉浦さんがリードしてこんなに和やかに。
杉浦さんが掲げているのは『四國五郎平和美術館 ひろしまの母子像/ひろしまの街』 1999年です。
『反戦平和の詩画人 四國五郎』の365頁に以下の記述があります。
「1999年に前述した池田正彦さんの発案により『四國五郎平和美術館①②』と題した2巻もの画集を出した。
父がこれまで描き溜めた絵画の集大成であったが、既にこの時、父がこの画集のために新たに書いた文章の各所に微妙な異変が見られた。」
このトークでは池田さんが画集の制作過程についても細かく話されました。千枚以上のポジフィルムから最適なフィルムを選び、
レイアウトし、実物を手に色校正を重ねられたことだと思います。画集の印刷は本当に大変な作業なのです。
そして四國五郎さんのこの画集が私たちの手元に残されたのです。
カレンダーの紹介です。
戦前の華やかなでにぎやかな広島の街かど、芝居小屋など。
失われた街の風景が鮮やかによみがえります。
私たち、他の地域で育ったものにも懐かしい正月風景です。一瞬にして消えてしまった多くの家族の風景を思います。
大好きです。
館内には池田正彦さんの作品も展示されています。
ここで四國光さんが突然登場されました。びっくりです。
ところがにこやかな杉浦さんの顔を見れば、これは事前に計画されていたことがわかりますね。
お父さんのことを話されていましたが動転したので内容が頭に入っていません(-_-;)
にこやかに退場です。
そうそう宮崎園子さんも取材にいらっしゃっていました。
朝日新聞記者時代に木内みどりさんの生前最後のインタビューをされた方です。いまは精力的にyoutube配信をされています。ポリタスTVでは四國光さんとの対談もアップされています。この日のライブもそのうち配信されるかもしれません。
最後に主催者の方からご挨拶がありました。
本当にありがとうございました。
いつまでも話し込むおふたり。
お話を聴いて、改めて作品を眺めます。
最後に、この「お話玉手箱」すなわち四國五郎さんを理解する上で最良のテキストを紹介いたします。
アマゾンでも購入できます。
検索は、「四國光」です。2冊並んで出てきます。
以上で4回連続となりました。報告を終わります。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナとガザに平和を!