ハンガリー動乱といってもご存知でない方も多いと思う。
今は昔 米ソ冷戦時代に 東欧のハンガリーで起こった反権力の戦いだ。
「チェコの春」といわれたチェコスロバキアの自由への戦いとともに
戦後の東欧史の最も大切な事件である。
ハンガリー動乱から、かなり後になるが ハンガリーを訪問した。
数人の英国人と一緒に入国した。
当時 東欧圏に入ることは可能だったが それなりの覚悟は必要だった。
ブタペストの町かどには 動乱時の弾痕があちこちに見られた。
われわれは市内の小さなホテルに宿泊した。
みなが寝静まった夜半、ドアをノックする音が聞こえた。
開けて見ると警官だった。
パスポートのチェックだ。
私は無事だったが、英国人の一人は連行されていった。
再び帰ってくることはなかった。
当時の東欧圏は治安が安定しているといわれていたが、当局ににらまれると
明日をもしれぬという危険性があった。
1990年代、東欧は自由と民主主義も獲得したが 同時に規制緩和を
行われた。もちろん日本と同じように痛みをともなうものであり、
格差は広がった。それが事件に発展した。
日本はどうだろう。もはや、デモをする人さえほとんどいないのではないか。
自分たちの意思も明確にできなくなったのだろう。
今は昔 米ソ冷戦時代に 東欧のハンガリーで起こった反権力の戦いだ。
「チェコの春」といわれたチェコスロバキアの自由への戦いとともに
戦後の東欧史の最も大切な事件である。
ハンガリー動乱から、かなり後になるが ハンガリーを訪問した。
数人の英国人と一緒に入国した。
当時 東欧圏に入ることは可能だったが それなりの覚悟は必要だった。
ブタペストの町かどには 動乱時の弾痕があちこちに見られた。
われわれは市内の小さなホテルに宿泊した。
みなが寝静まった夜半、ドアをノックする音が聞こえた。
開けて見ると警官だった。
パスポートのチェックだ。
私は無事だったが、英国人の一人は連行されていった。
再び帰ってくることはなかった。
当時の東欧圏は治安が安定しているといわれていたが、当局ににらまれると
明日をもしれぬという危険性があった。
1990年代、東欧は自由と民主主義も獲得したが 同時に規制緩和を
行われた。もちろん日本と同じように痛みをともなうものであり、
格差は広がった。それが事件に発展した。
日本はどうだろう。もはや、デモをする人さえほとんどいないのではないか。
自分たちの意思も明確にできなくなったのだろう。