まずは「まちなみ保存地区」のイラストです。全景です。
思いのほか、広くて見事に保存されているのには驚きました。
実際の風景です。
保存地区に入る橋端に頼山陽さんの像がありました。頼山陽さんについてはこちら
山陽さん自身は竹原に住んでいないのですが、wikiに書かれているように幾度か訪問しています。
↑ 町屋の街並みが始まります。
白壁の住居が並んでいます。住まれているようには感じられません。
中心部に入ってきました。
笠井家が右端にあります。内部を公開しています。※イラストでは笠井府になっていますが中国語パンフのためです。
庭です。
2階から北側を望みます。見事な保存状態です。
2階です。天井やふすま、畳などが取り払われています。演芸など開かれそうですね。
修復している箇所も。
アニメのこころみも。
ギャラリーにも
ランドスケープとしても見どころがいっぱいです。笠井家から東を眺める。
笠井家を正面から望みます(南をみています)。前の画像と似ていますが異なる場所です。
地蔵堂です。
カフェ&レストランです。後から寄りました。雨が降っています。
竹鶴酒造の前です。
西方寺に向かう角です。西方寺にはのちほど参拝しました。
半世紀まえの竹原の写真です。変わりませんね。竹鶴家が奥に見えます。神明掛町道です。
西方寺が右上にあります。
岡山県の倉敷もかつてはこのような街でした。今は観光客や土産物屋があふれています。
突き当りに胡堂があります。中央に見える白い洋館は歴史民俗資料館です。
歴史民俗資料館の中庭です。
朝ドラで有名になったマッサンとリタ婦人です。
雨あがりました。
頼惟清旧宅 - 広島県竹原市にある祖父の頼惟清が紺屋を営んでいた家。父の頼春水が幼少期に暮らしており、頼山陽も何度か訪れ詩を残している。wikiより
山陽さんの詩も残っています。
奥の庭です。居宅になっていたのでしょう。
本町通です。
照蓮寺 参拝しました。
イチョウの黄葉が見事でした。
西方寺にも参拝しました。
石段の上から。半世紀前の写真(左)と比べてみると石段右側の建物は変わっていません。頼惟清旧宅です。
西方寺境内に入りました。
鐘楼です。
西方寺・普明閣です。
竹原のランドスケープです。
北を望みます。
下りてきました。
本町通です。
歴史民俗資料館です。
大小路を歩きました。
復古館、春風館です。
阿波屋小路だと思います(-_-;)
古い町並みの中を歩き回りました。同じどころをなんども。
少しわかってきました。
これだけの町ができるには莫大な富の蓄積があったということです。
塩田開発には赤穂に習ったといわれます。塩つくりはお金になるのですね。
江戸時代後期の「塩田」と「酒造」により発展し、忠海町には関所払いができたほどである。また、塩はその当時広島県が全国の80%のシェアを占め、遠く大阪や江戸まで北前船で輸送した。wikiより
「塩田」と「酒造」がビッグビジネスだったことがわかります。
山陽路の旅を終わります。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナと中東に平和を!