実はこの文章はブログを始めて501本目にあたる。
gooのブログはいまや50万人が利用している。
2004年11月に始めた時は確か5万人程度だったと思う。
1年ちょっとで10倍になったのだから凄い成長だ。
ではなぜ、こんなに急成長したのだろうか。
まずとても始めやすいこと。ホームページの比ではない。
そして、コメントやトラックバックという機能も付加価値となった。
ということは、簡単にコミュニケーションができるということ。
斎藤孝さんは、「日本人は本来、コミュニケーション力が非常に高いと、
私は考えている。人と話したいというコミュニケーション欲求も非常に強い。
この欲求がある限り日本はまだまだ大丈夫だという気がする」
と書いている。「このコミュニケーション力が非常に高い」とは、どのような
データを元に判断したのかわからないが、そんなものかとも思ってしまう。
現代人も、過去の日本人と同じように日記が好きなようだ。
それがブログの隆盛でわかる。同時にコミュニケーション欲求も強いのだろう。
有名なブログの資産価値で発表されたようだ。
かの「きっこのブログ」は2億円という。ならば、ブログの時価総額は
いくらになるのだろう。今後は株のように売買の対象になっていくのだろうか。
なんでも貨幣価値の置きかえられる時代だと実感する。
さて最後に養老孟司さんのことばも紹介しよう。
「考えることは、貧乏人にぴったりの娯楽だ」。
確かにそうだ。考えることにお金はいらない。
貧乏人には最適な娯楽である。
かって、一緒に登山をしていた大学の教員に「歩きながら論文をまとめる
から話しかけないでほしい」といわれたことがある。
山に登りながらも考えられる。そのうえ金が要らない。
もちろんウオ―キングやランニング中でも考えられる。
それは、思考というものが「流れる」感覚の中にあるからだ。
止まっていては考えられないと、ぐるぐる回りながら考える人がいるが
それは正しい考え方である。
ブログは、とても安い娯楽だとと思う。
実際、パソコンとインターネット接続という既存のインフラだけで始める
ことができる。
そして、日記も書かなかった人々がブログを書くようになった。
思考は深まったにちがいない。
おまけに正真正銘の活字文化だ。
活字離れを言われているが、数百万人が新たに日記を書くようになっている
なら私はなんにも悲観的になることはないと思う。
考えるということを娯楽にしたブログだが、物事には必ず二面があるという。
ブログにも必ず影の部分がある。
それはなにだろうか。
問いは続く。
gooのブログはいまや50万人が利用している。
2004年11月に始めた時は確か5万人程度だったと思う。
1年ちょっとで10倍になったのだから凄い成長だ。
ではなぜ、こんなに急成長したのだろうか。
まずとても始めやすいこと。ホームページの比ではない。
そして、コメントやトラックバックという機能も付加価値となった。
ということは、簡単にコミュニケーションができるということ。
斎藤孝さんは、「日本人は本来、コミュニケーション力が非常に高いと、
私は考えている。人と話したいというコミュニケーション欲求も非常に強い。
この欲求がある限り日本はまだまだ大丈夫だという気がする」
と書いている。「このコミュニケーション力が非常に高い」とは、どのような
データを元に判断したのかわからないが、そんなものかとも思ってしまう。
現代人も、過去の日本人と同じように日記が好きなようだ。
それがブログの隆盛でわかる。同時にコミュニケーション欲求も強いのだろう。
有名なブログの資産価値で発表されたようだ。
かの「きっこのブログ」は2億円という。ならば、ブログの時価総額は
いくらになるのだろう。今後は株のように売買の対象になっていくのだろうか。
なんでも貨幣価値の置きかえられる時代だと実感する。
さて最後に養老孟司さんのことばも紹介しよう。
「考えることは、貧乏人にぴったりの娯楽だ」。
確かにそうだ。考えることにお金はいらない。
貧乏人には最適な娯楽である。
かって、一緒に登山をしていた大学の教員に「歩きながら論文をまとめる
から話しかけないでほしい」といわれたことがある。
山に登りながらも考えられる。そのうえ金が要らない。
もちろんウオ―キングやランニング中でも考えられる。
それは、思考というものが「流れる」感覚の中にあるからだ。
止まっていては考えられないと、ぐるぐる回りながら考える人がいるが
それは正しい考え方である。
ブログは、とても安い娯楽だとと思う。
実際、パソコンとインターネット接続という既存のインフラだけで始める
ことができる。
そして、日記も書かなかった人々がブログを書くようになった。
思考は深まったにちがいない。
おまけに正真正銘の活字文化だ。
活字離れを言われているが、数百万人が新たに日記を書くようになっている
なら私はなんにも悲観的になることはないと思う。
考えるということを娯楽にしたブログだが、物事には必ず二面があるという。
ブログにも必ず影の部分がある。
それはなにだろうか。
問いは続く。
toxandoriaです。“ブログ記事500本達成”おめでとうございます。
お祝いになるかどうか分かりませんが、映画『博士の愛した数式』の鑑賞記事を書いたばかりなのでTBさせていただきました(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060303)。
とても素晴らしい映画でした。たまたま、ここ数ヶ月の間に鑑賞の機会に恵まれた『蝉しぐれ』、『単騎、千里を走る』そして『博士の愛した数式』の三本の映画には、今、日本人の多くが求めている何か共通したものがあるような気がしております。
toxandoriaも、この3月6日で「はてな版、toxandoriaの日記」の1周年になります。他の“紆余曲折版”を入れると約3年目です。
おっしゃるとおり今になってみると、ブログに限らずパソコンや携帯ツール等の便利さには様々な意味で“光と影”があることを実感しています。
これからは、熱中するだけでなく余裕を持ちながら、これらの便利なツールと付き合ってゆくつもりです。
余談ですが、映画『博士の愛した数式』の公式HPで「作曲家・加古 隆のテーマ音楽」を聴くことができますので、ご案内します。
実は、大分むかしから加古 隆のファンで、ピアノ演奏会へ出かけたことが度々あります。
彼が無名に近い頃は、よく美術館で絵画とのコラボレーション演奏などをやっていました。
久しぶりに聴いたら、いよいよ円熟期に入ったのか音の深みが出てきたように感じました。
コメントを書けばよいのですがなかなかできなくて失礼しています。
いつも感嘆しております。ゆえにコメントやTBができないこともあります。言い訳がましいでしょうが事実です。
うんうんと腑に落ちるのはこちらも多少知識のある社会福祉関係です。
映画や音楽についても、もちろん政治に関しても勝手に身近に感じさせていただいています。
これからも末永く書きつづけていただきたいと思います。
継続は明らかに力だと思います。
加古隆さんの音楽はとても素晴らしく、映像の世紀では
曲を聴いただけでジーンとしていました。
ありがとうござました。
私もよく読ませていただいています。
いつも本の紹介を載せてられますが、
すごい読書量ですね。
感嘆しております。
これからも細く長く頑張りましょう。
ありがとうござました。