北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

お続けなさい

2007-10-07 23:30:04 | 東京ウォーク
 今日も快晴で涼しい一日。まさに絶好の行楽日和です。今日も東京自転車巡りにお付き合いください。

 私の自転車の旅は、ぎりぎりまで行く先を決めません。貸し自転車場へ向かう地下鉄の中で、なんとなく東西南北の方向性だけを決めて、適当に出発し、途中で気が向いたり縁が導くままに神社やお寺を巡るという旅なのです。

 今日は自転車を借りる前は、隅田川を越えて東へ向かおうと決めたはずだったのに、突然五色不動の一つである目白不動を先に見に行こうと思い立って、全く逆の西へと向かいました。

 目白不動は、宿坂という坂の途中にある金乗院慈眼寺(こんじょういん・じげんじ)というお寺の中に鎮座しています。このお寺の墓地には、槍術の創始者といわれる丸橋忠弥のお墓もありました。探せば有名人はどこにでもいるようです。

 これで、目赤、目黄、目白と三つの不動さんを見て歩きました。残りは二つです。

  

  

    ※    ※    ※    ※

 続いては坂を下って氷川神社へちょっとご挨拶。江戸も含まれる武蔵の国の一宮は大宮市にある氷川神社。そのため東京にはそこかしこに氷川神社を分霊した神社があるのですが、これはその中でも歴史のある神社です。
 もっとも、東京大空襲で焼けてしまったので今の社殿は昭和29年に再建されたものだそうです。

  

 さて、ここでお参りが終わったところ、近くで地図を見ていたお爺さんに声をかけられました。写真の左の狛犬の陰にちらっと見えている方です。

「すみません、ここからだとJRは高田馬場と目白とどちらが近いでしょうかね?駅が持っている地図からはみ出ちゃって分からなくなっちゃって」「ちょうど地図を持っているから見てみましょう。うーん、高田馬場の方が少し近いみたいですよ」

「そうですか、すみません」
「お寺を巡ってらっしゃるのですか?」

「ええ、今度地区の老人会をつれてこようと思って、トイレだとか駅を下見するのに歩いていたら疲れちゃいました」

 聞けば、もう82歳になるこの方は、50歳を過ぎたときから思い立って、歴史や絵の勉強を続けてきたのだそう。絵などは、東京都展覧会で参議院議長賞まで取ってしまったのだそう。

「へえ、きっかけは何だったのですか?」
「きっかけはねえ、伊能忠敬ですよ。彼が測量を始めたのが50歳からでしょ?それを知ってから、よーし、50歳になったらいろいろなことを始めようと思いましてね。絵も随分書いたんだけど、都展で賞を取ったところで眼をやられましてね、視力が落ちちゃった。それからは今度は歴史的なものを見て歩くようになりました」

「私も神社を巡ったり、富士講の富士塚を見て歩いています」
「富士塚?それじゃ庚申塚は見て歩くのはどうですか」

「庚申塚も見ますが、あまり詳しくはありません」
「庚申塚はね、感心なことに作ったときの年号と日付、それにどこの誰が作ったか、ということを石に刻むんですよ。それにお金をかける作り方とお金をかけずに作った様子が見ていると分かってくるので、それを作った庚申講がお金持ちか貧乏かも分かるんですよ」

「そうですか、じゃ今度から気をつけてみてみることにします」
「それがいいよ。あなたはまだ若いから、これから一生懸命見ると眼力がつきますよ」

 『眼力』という単語を久々に聞きました。しかもなんとこの方、最近前立腺ガンが分かって調べてみると骨に転移までしてしまっているのだとか。
「だから家になんているとしょぼけっちゃうし、歩いている方がいいと思ってね。あと5年くらいは生きてやろうと思ってますよ、はっはっは…」

 この方から見ると私などはまさに若造に過ぎませんが、いつ初めても何かを見続ける、やり続けることが大事なのですね。

 神社の境内で出会うなんて、これも神様の導きなのでしょうか。
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土地の記憶~吉原界隈

2007-10-06 23:47:17 | 東京ウォーク
 行楽日和の三連休。関東地方は今日明日は天気が良さそうです。

 行楽地へ向かう高速道路は朝から混雑していたみたい。郊外へのドライブも良いですが、私の週末は東京巡りです。

 今日も文京区の春日から出発して北東方向に走ります。菊坂というところで樋口一葉の旧居跡というところがありました。看板がよく分からずに当たりをうろうろしてまた元に戻ります。たまには探せないということもあるもので。

 続いて本郷の東大敷地を南北に分ける言問通の坂を上っていると、右手に木造三階建ての古そうなとんでもない建物がありました。

「こ、これは一体…?」

  

  

 近くへ寄ってみると、どうやらだいぶ昔に建てられた木造の下宿のようです。入り口には「本郷館」と書かれていますが、由緒や看板は特にはありません。そこで家に帰ってきてからネットで調べてみると、確かにこの「本郷館」は明治時代に建てられた下宿なのだとか。
 入り口には「見学禁止」の張り紙があるだけで、今でも学生さんが生活をしている様子は伺えました。本郷は東大があるだけではなく、学生さんが住むまちでした。

    ※    ※    ※    ※

 今日は天気がよいので自転車も快調。「恐れ入谷の鬼子母神」と詠われた入谷の鬼子母神にもご挨拶。子供の健やかな成長をお願いしてきましたよ。

  

    ※    ※    ※    ※

 さて今日の一つの目的は吉原界隈の散策です。かつては江戸幕府公認の遊郭でしたが、昭和33年の売春防止法の施行により公認ということはなくなりました。

 その後には地名の変更により「吉原」という地名もなくなって、今は千束(千束)3、4丁目という味気ない地名になってしまっています。実際に当たりをうろついてみると、地名はなくなっても、実際には今でもその手のお店が軒を連ねているので、色街の持つ独特な雰囲気です。

 そしてこの周りの地図を見ていると、おお、ここに一葉記念館があるではありませんか。なるほど~、さっき旧居跡にたどりつけなかったのはここにいらっしゃい、という意味かも。今日は樋口一葉に招かれたようです。

  

 一葉館に到着してみると、ずいぶんと近代的なデザインの建物です。樋口一葉は、この吉原の隣町だった当時の竜泉寺町に住んで商売をして生活をしていたことがあって、そのときの経験や風景感が小説「たけくらべ」に結晶しました。

 そのことを地域の住民の皆さんが大切に思って、地域で土地を購入してそれを区に寄付するなど、一葉の記念館を作りたいという地域の熱い思いを行政も受け入れて、旧館は昭和36年に建てられ、それが平成18年に建て替えられて今の建物になっているのだそうです。
 女流文学者の単独記念館としては我が国初めてのことだったそうですから、地域アイデンティティを大事にする土地柄なのが分かります。

 樋口一葉は明治5年に生まれ、同29年に24才の若さで結核のためにこの世を去っています。

 一葉館の展示は、一葉の人世をたどりながら、まだ女性が世に出ることが難しかった時代背景を、周辺の人たちの姿とともに教えてくれます。

 小説『たけくらべ』は、いつか吉原デビューをしなくてはならない女の子と淡い恋心を中心にこの界隈が描かれていて、ここでの生活がなければこの作品は誕生しなかったとも言われているのです。

 展示を見ていると、地元のおじいさんおばあさんが入ってきました。「へえ、昔はこういう地名だったんだねえ!」なんてやっています。

 最後のエレベーターのところで、売り物の『吉原今昔図』が貼ってありました。図の中には明治27年、大正12年の関東大震災前、昭和20年の東京大空襲時、昭和33年の公娼廃止時、そして平成5年の5種類の地域図が書かれています。眺めているとちょうどご老人ご一行様と一緒になりました。

  


「この図面を見ると昔のことを思い出しますか?」
「ええ、昭和33年の図がありますが、これだとよく覚えていますよ。この下の方にね、病院があったんですよ、吉原病院ってね」

「へえ、遊女がくるんですか」
「そう、彼女たちは週に一度ここへきて診てもらったもんですよ。地域に友達がたくさんいましてね、『おい、今日診察やってるぞ、見に行くか~』なんてね。大らかな時代でしたよ、ははは」

「この界隈で遊んだりもしましたか?」
「いやいや、こんなところで遊んだら素性がばれちゃうからね」

「近くにはここの女性の関係者も多いんですか」
「千束小学校なんかはそういう方の子供も多かったよね。そういう子は髪を結い上げて着物で来たりね、ちょっと違ったね」

「風景は変わったんでしょうね」
「昔は弁天沼って沼がありましてね、今は駐車場になっちゃってるところ。よくそこで魚を釣ったなあ…」

 吉原の風景も文学と記憶の彼方になっているようです。

    ※    ※    ※    ※

 もと弁天沼があったところには観音様が祀られていました。この沼でも関東大震災で火事になったときに逃げ込んだ人が490人も溺れ死んだという記録があるそうです。こんなところにも土地の記憶として関東大震災が生きていました。

 土地の記憶はいろいろな形で残るものですね。
 
  
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伝統と現代の融合~日本工業倶楽部会館

2007-09-27 23:29:24 | 東京ウォーク
 知人と夜に東京駅界隈を歩いていて、不思議な形の建物を見つけました。

 昔風の煉瓦造りの建物の上に覆い被さるように現代的な高層ビルが建っています。場所は東京駅の丸の内北口から皇居に向かって一町角歩いた右側の建物です。

 なんとも不思議な建物ですが、聞けば元の伝統的なほうは日本工業倶楽部会館で、大正9年の建築だそうです。

  

 しかしそれが老朽化し耐震性も劣るということから立て替えを決め、様々な検討を加えた結果、それでも何とか一定の規模で伝統的建造物を保存しようと言う試みがなされたのでしょう。

 この建物の上に高層で立っているのは三菱信託銀行本店ビルでビルの完成は平成15年。85年の時間差の組み合わせです。こちらはもっときれいな写真とともにホームページがありますからそれをご覧いただくのがよいかも知れません。

 http://www.citta-materia.org/?itemid=95

 今度完成する虎ノ門の文部科学省のビルもそうですが、伝統的建造物の一部を残しながらその敷地の中で高層~超高層化されたビルを組み合わせるという手法があちこちで見られるようになってきました。

 伝統の継承と都会での効率的な土地利用の両方を満足させる手法として、次第に日本ならではの新しい景観を生み出して行くのかも知れません。

 見慣れないと不思議な感覚かも知れませんけどね

 
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東京巡り 東雲~豊洲地区

2007-09-13 23:46:25 | 東京ウォーク
 総理辞任から一夜明けると、もう話題は次の総理選択のこと。国民生活を第一に考えると、政治に空白は許されません。早く政治の正常化を進めて欲しいものです。


 さて、今日は午後から都内の施設を視察してきました。まずは江東区の東雲(しののめ)地区に新しい住宅地として作られた東雲キャナルコートです。

  

  

 ここは、約16haの敷地に6000戸の住宅が計画されていて、特にその中心に位置する4.8haに6区画約2000戸が計画されているのが中央ゾーンで、ここに我が社の賃貸住宅が建てられています。

 東雲地区は銀座から地下鉄で10分という至近の距離にあって、かつては工場が林立していた地区でしたが、ここで新しいまちづくりを行ったもの。

 特筆すべき事は、全体を包む緩やかなデザインガイドラインを設定して、個別の住棟はそれぞれの建築家がその範囲で柔軟な建築提案を行ったということです。

 その結果、特定の建築家への憧れや好みを受け止められるデザイナーブランドとしての住宅ができあがったというわけです。
 
 住宅の申し込み受付を訪ねて、空き部屋があるのですかと訊ねると、「一つだけ空いていますけれど、それももう予約が入って、いまは空きがありません」とのこと。これだけ入居率が高く、支持されている団地も珍しいのでは。

 面白いのは一階の高さの通りと、階段を上がった二階にウッドデッキがあって、デッキの上は広場になり、その下には住宅街の真ん中を通る通り沿いのお店と駐車場、駐輪場がはめ込まれています。

 もっと木が大きくなるとまた品格も高まることでしょうね。

    ※    ※    ※    ※

 その次はバスで移動して今度は豊洲の区画整理地区を見てきました。

 こちらはかつて石川島播磨工業の造船所があったところなのですが、そうした歴史を風景として生かしながら新しいまちづくりを行った地区です。

  

  

 人気があるところではララポート豊洲というショッピングモールが有名です。そしてこの一角にあるのが子供達に働くことの楽しさを遊びながら伝えようという「キッザニア」という施設です。

  

 この施設は有料で、大人が2千円、子供(2~16才)が3千円と子供の方が高い料金設定になっています。

 おまけに子供連れでなくては親も入れません。大人だけで視察にいった我々は入れてもらうことができず残念。

 子供連れで行こうにももう子供も大きくなってしまった私としてはそのうち(まだいませんが)孫でも連れて行くことにしましょうか。

    ※    ※    ※    ※

 さて、この豊洲地区は昨年度の地価上昇率が日本で一番だったとか。次々に超高層の建物が建つ様に勢いがありますが、東京の中でも指折りの場所だからこそでしょう。都心にこれだけ近くてこれほど大きな土地が生まれたところってほとんどないのですから。
 行ってみる価値がありましたよ。
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東京に緑を 秋葉原~汐留

2007-09-08 21:40:58 | 東京ウォーク
 台風が引きずってきたのか、東京は今日も真夏日。この暑さも今日までのようですが、やっぱり暑いのはつらい。


 さて、今日も東京を巡るツアー。東京の緑も訪ねながら自転車で走りましょう。

 今日の出発は文京区春日にある区の貸し自転車場。貸し自転車場の受付には今まで気づかなかった、「サイクル倶楽部」へのお誘いのポスターが貼ってありました。
「いままでも貼っていましたっけ?」「多分…」
 早速、会員になりました。10回乗ると一回がタダになるそうですよ。

  

    ※    ※    ※    ※

 まずは秋葉原の駅前広場へ向かいます。ここでは知人が緑化の実験をしていると聞いたのです。会場の秋葉原駅前広場には、樹木が何本もコンテナで運ばれたうえに芝生が敷かれていて臨時に小さな林ができています。

  

  

 そしてそこにはベンチが置かれていて、座って憩えるようになっています。実験の目的は、あえてビルの広場に緑をつくって、道行く人が緑をどう考えるかを捕らえようというもの。

 ちょうど知人のAさんもそこにいたので、アンケートにも協力をしてきました。木陰のベンチに座っているとコンクリートの広場よりも涼しい気がします。緑って大事ですよね。

 涼しくするだけなら、霧を散布して涼しくすればよいというそんな装置もありました。駅前のエスカレーターには、気温が高かったり風が弱いなどの条件がそろったら空気を冷やすために細かな水の霧が出る装置がついていました。

  

  

 確かにその周りはひんやりとするのですが、何でもかんでも涼しくなればそれで良いのだろうか、と思います。やはり自然の緑が与えてくれる涼しさの方が品があると思うのです。

 この緑の実験は月曜日までだそうです。

    ※    ※    ※    ※

 秋葉原からは日本橋~京橋~銀座と自転車を走らせて、新橋の裏の汐留地区を一走り。そういえば汐留地区の海側には浜離宮がありました。まだ行ったことがなかったので、こちらもちょっと一巡り。

  

  

 こちらはもともと将軍家の鷹狩りの場所だったのですが、六代将軍家宣が大規模な改修を行って、ほぼ今の原型をつくったのだそう。

 園内の池には海の水を取り入れる汐入庭園として、最もよく残っているものと言えるでしょう。

  

 そんな池や緑越しには、汐留の超高層オフィスビルが並ぶというのも伝統と現代が同時に息づく東京ならではの風景です。
 
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サタデー・ウェイティング・バー 「アヴァンティ」の出店

2007-08-26 23:47:01 | 東京ウォーク
 とにかく週末が晴れれば東京巡り。しかし今日も暑かった~、熱射病の一歩手前まで行きました。ふー

 今日は文京区の春日で自転車を借りてまち巡り。私は東京FM系列で土曜日の夕方5時から放送されている、「サタデー・ウェイティング・バー アヴァンティ」という番組をよく聞くのですが、この放送の中で、ときどき登場するのが麻生十番祭りです。


 これは「アヴァンティ」という架空のウェイティング・バーが麻生十番商店街の近くにあるということから、麻布十番祭りを盛り上げているという設定なのですが、その架空のレストランが実際に麻布十番祭りに出店しているそうなのです。

 そこでせっかく東京にいるのだから是非見たいものだと思って、麻布十番商店街を訪ねてみることにしました。

 六本木ヒルズの坂を下って行くとすぐに、それほど広くはない路地の上が賑やかで、お祭りの雰囲気です。

   

 出店はまさにこれから始まる準備も真っ最中で、それでもお客さんでごった返している状態。出店の時間は3時から9時までなのだとか。暑い日中を避けて涼しい夕方を楽しもうという作戦のようです。

 さて、お目当てのアヴァンティの出店も広場の脇に出ていましたよ。訪れる時間帯が早すぎて、ペンネ・アラビアータなど美味しいイタリア料理にありつけなかったのは残念ですが、次の機会に譲ることにしましょう。

   

   

 ちなみに、後ろのビルまでそれらしく化粧をしてあったのですが、普段からここにレストランがあるわけではなくて、あくまでもこのイベント限りのことだとか。

 過ぎゆく夏を惜しむような、商店街のお祭りです。
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人気の商店街

2007-08-25 21:38:02 | 東京ウォーク
 今日も晴れの一日。気温は34℃と予想されていますが、それほど厳しい暑さには感じられなくなりつつあります。体が慣れちゃったかな。

 暑いけれど今日も都内を巡りましょう。

 今日も三軒茶屋で自転車を借りて、目黒川に出たところで川沿いに下流へ向かって走ります。目黒川の両岸は桜が植えられていて、春はきれいなことでしょう。

 目黒川は都市の中の貴重な風の通り道として有効な空間ですが、この時期水面は入浴剤でも入れたような緑色なのが残念。下水を処理した水で水質浄化している場所もありますが、もっときれいになると良いのにね。

   

   

 目黒川沿いに走って行くと、賀茂真淵のお墓があるという墓地がありました。賀茂真淵といえば江戸時代に国学を起こした偉大な四人の学者の一人(国学の四大人=しうし、と読みます)ですが、ここにお墓があったとは知りませんでした。まさに犬も歩けば棒に当たる、ですね。

   

   

    ※    ※    ※    ※

 今日の商店街は、戸越銀座と武蔵小山商店街。どちらも人手が多くて賑わいあふれる商店街ですが、武蔵小山のご自慢は、東京都内最長の800mのアーケード。これはすごい!

   

   

   


 利用客もマナーを心得ていて、混んだ道は自転車を降りて歩きますよ。しかしどこからこんなに人が来るんだろう。さすがは東京ですね。

 商店街にお祭りが多いのは夏休み最後の週末だからかな。歩いて楽しい商店街でした。
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自転車のまち巡り~江東区かいわい

2007-07-28 23:21:25 | 東京ウォーク
 暑い!しかし雨が降りさえしなければ、まち巡りはできます。紫外線対策が欠かせません。

 今日は東側の墨田区、江東区方面をぐるぐる走りました。まずは本所横網町公園のすぐ隣にある旧安田庭園。
 ここは、元禄の頃に下野足利二万石の領主だった本庄因幡守宗資(いなばのかみむねすけ)が幕府から拝領して下屋敷を構え、宗資の時代に築造されたものとのこと。

 その後、明治24年に明治時代の実業家安田善次郎の所有となり、善次郎の没後はその遺志により大正11年に東京市に寄付されたのでした。その翌年の大正12年には関東大震災があって、ほとんどその姿をとどめないほどになったのですが、昭和2年には復元されて市民の庭園として開放されたのです。
 ここの特徴は池の水が隅田川から導かれていたことで、江戸時代の名園の一つです。写真の背景に移っているのは安田善次郎が寄付した昔の公会堂です。昔のお金持ちはすごいですね。

  

    ※    ※    ※    ※

 旧安田庭園のすぐ南側にあるのが両国国技館と江戸東京博物館。江戸東京博物館では「生誕150年周年記念 後藤新平展」が開催されていました。

 以前に本で読んだ彼の生涯が、様々な資料や模型などでわかりやすく説明されています。昨日見たばかりの同潤会の集合住宅の模型も展示されていました。
 気になる話題というのはつながってくるものですね。不思議だなあ。

  

    ※    ※    ※    ※

 その後は東へと自転車を走らせて亀戸天神へ。社も立派ですが、ここは藤が有名なのですね。有名な神社をまた一つ巡ることができました。

  

 亀戸といえば、都市プロデューサーの北山孝雄さんの手による、亀戸サンストリートがありました。ここは工場の跡地を人工的な町並みに変えたものです。曲線を使った商店街と、お店に囲まれた広場空間が賑わいを演出します。
 そういえばまちなかに賑わいを醸し出す広場はこういうことなのだというイメージがよく分かります。

  

    ※    ※    ※    ※

 ところでここ江東区には清澄庭園もあります。ここは三菱財閥の創始者である岩崎彌太郎(いわさきやたろう)の所有となり後に東京市に寄付されたもの。ここもまた明治の名園です。

  

 今日の江東区周辺はなんだか騒がしいと思ったら夜に隅田川の花火大会があるのでした。まちなかに浴衣姿の若い人たちの姿が多かったのはそのせいでしたか。

 今日は名園巡りになりました。
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北東京を巡る~谷中・根津・王子・十条・板橋・巣鴨

2007-07-21 23:03:36 | 東京ウォーク
 気温もそれほど上がらず涼しいくらいの一日。日差しも弱くて外を巡るには最高の一日。週末は東京巡りです。

 文京区春日にある貸し自転車場を起点にして、今日は北方面への足を伸ばすつもりです。

 今日は電動自転車を借りてみました。どんなものだか一度乗ってみたかったのです。料金は他と変わらず一日500円。左に電気のはいるスイッチがあって、右にはふつうの自転車と同じく三段の変速機能もついています。スイッチを入れなければ少し重たいだけの普通の自転車です。上り坂にだけ使えば良さそうです。

  

  

  

 そんな自転車でまずは「谷根千(やねせん)」と呼ばれる、谷中・根津・千駄木方面へ向かい、根津神社へ。

  

 ここ根津神社は、日本武尊が千駄木の地に祀ったと伝えられる古い神社で、文明年間には太田道灌も社殿を奉建しているそうです。江戸時代の五代将軍徳川綱吉が、世継が定まった際に現在の社殿を奉建し、千駄木にあった旧社地から今の地へ御遷座したのです。
 宝永二年のこのときに五大将軍綱吉は、世に『天下普請』と言われる大造営を行ない、現在の権現造りの社殿・唐門・楼門・透塀等をつくり、これらは昭和六年国宝(現重文)に指定されています。

 後に六代将軍家宣は正徳四年に、江戸全町より山車を出し、俗に天下祭と呼ばれる壮大な祭礼を執行しましたが、江戸の三大祭りとは、山王祭、神田祭、そしてこの根津神社のお祭りなのそうだそうですよ。いや、立派な神社でした。

    ※    ※    ※    ※

 続いては谷中~千駄木の裏路地の密集地帯を散策。へび道路と呼ばれる左右にくねくねと曲がった道路を走ると「なんでこんな道路ができたのか」と不思議に思います。

 密集地区によく見られるのは元気のある商店街。よみせ通りを走っていると「谷中銀座」という路地があったので入ってみると、これがまた人通りが多く賑わいにあふれています。

  

 お腹がすいたので立ち食い蕎麦屋さんに入れば、店主のお爺さんとも会話が楽しめます。
「おじさん、地図にある『夕焼けだんだん』ってなあに?」
「そりゃ、店の前にある階段がそうさ」

  

「なんで『夕焼けだんだん』って言うんですか?」
「あの段々から観る夕焼けがそりゃきれいでな、それで夕焼け段々って言ったんだ。今はビルが建っちまって駄目になったがナ。このあたりは東京でもひときわ高いところでナ、富士山もよく見えたもんであちこちに富士見○○という地名があるんだよ」

  

「へー、おじさんは何でも知ってるねえ」「へっへっへ~」

 こういう会話ができるのが商店街の触れあいですね。それに、ただの階段が「夕焼けがきれいに見えた」というだけで地域の名所になるというのもすごい。地域の財産はこんなところに転がっているのか、という思いです。

    ※    ※    ※    ※

 それから今日は庭園巡りとしゃれ込みました。まずは六義園(りくぎえん)。

  

 ここは柳沢吉保が元禄15(1702)年に築園した本格的な大名庭園です。明治時代になって三菱の創業者岩崎弥太郎の別邸となり、その後昭和13年に岩崎家から当時の東京市に寄付され、今では国の特別名勝に指定された貴重な文化財です。すばらしく目の保養になりました。
 六義園の六義とは、中国の詩の分類法(詩の六義)にならい、古今集の序にある和歌の分類の六体に由来したもなのだとか。名勝はその名の由来を知るにも教養が必要なのです。

    ※    ※    ※    ※

 六義園に来たならすぐ近くにあるのが旧古河庭園です。ここは上野御徒町にある旧岩崎邸の洋館設計や鹿鳴館、ニコライ堂などを手がけ日本の建築界に偉大な足跡を残しているジョサイア・コンドルの設計した洋館が残されています。

  
  
 そしてこの西洋建築に、日本の庭園技術を併せ、洋風と和風の組み合わせの妙が観られるこれまた名園なのです。

 こちらの洋館は、内部の見学の時間帯を決めたボランティアツアーによらないと見せていただけないのがちょっと残念。洋館を観たければ時間を確認してから行くのがよいですよ。

    ※    ※    ※    ※

 そこからさらに自転車を走らせて、飛鳥山公園、王子から十条の密集地区などをぐるりと観て回りました。

 最後は板橋から旧中山道を通って帰ってきましたが、この旧中山道はずーっと商店街が続いています。そうして都電荒川線と交差するところにあるのが、以前も紹介した駅直結で甘味処のある庚申塚駅。

 その庚申塚というのは、巣鴨地蔵通り商店街の入り口にある猿田彦神社と一緒になったところ。
 そうか、やっと地図が実感としてつながりました。

  

 巣鴨地蔵通りはこれまた人通りの多い商店街ですが、一番の賑わいはやはりとげ抜き地蔵として知られる高岩寺です。

 観光客の多くはここへお参りに来て帰るというパターンが多く、賑わいのある商店街として巣鴨地蔵通りを見学して、「商店街にこうした信仰を集める施設があるとにぎわう」と感じがちです。

 しかしこの中山道はずっとこうした通りが続いているわけで、そもそもは周辺の住民の人たちとの密接なつながりがベースにあるということを知ることが大切です。

 はやらなくなった商店街にお地蔵さんを置いてもそれだけでは駄目なのです。

    ※    ※    ※    ※

 電動自転車は坂道ではぐいぐいと引っ張ってくれるので非常に楽。自転車乗りとして少し恥ずかしいけれど、はまりそうですよ。

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東京自転車巡り~十思公園・月島・将門首塚

2007-06-30 23:15:03 | 東京ウォーク
 週末は雨の降らない今年の梅雨。都内巡りにはうれしい状況が続いています。

 ここのところ三軒茶屋を中心に自転車で回ることが多かったのですが、今回は久しぶりに文京区の春日駅から出発です。

 前回と同じジャイアントのスポーツ自転車を借りて、軽快に都内を疾駆するのです。今日のとりあえずの目標は中央区にある十思公園。
 ここは、ここのところお付き合いの深まった吉田松陰が捕らえられ処刑された小伝馬町牢屋敷のあった場所なのです。神社や本に巡り会った縁尋の機妙の最後は、松陰先生ゆかりの場所に行く必要があると思ったのです。まずは松陰先生完結の旅路です。

    ※    ※    ※    ※

 さて軽快に走り出したものの、まずは孔子様にあやかって湯島聖堂へお参り。論語をまた一から学ばなくてはだめですかね。

 中央区へ向かう途中には久しぶりの秋葉原へも立ち寄りました。何年かぶりで地区内をうろついてみましたが、駅前は再開発ビルが建って全く様変わりをしていました。

 しかし一歩中通りにはいるとそこには昔と同じく、秋葉原独特のオタク族っぽい人たちが闊歩するにぎやかな通りです。

 電気街、パソコン街としての趣はやや薄れた感がありますが、それでも中古品やジャンク品の宝庫。ついつい中古パソコンを眺めているうちに、超掘り出し物と思われる一台を見つけました。
 パソコン話はまた別の話題で書きますが、秋葉原は以前にも増して活気に満ちていました。ここには情報と話題とソフトが日々生まれているという印象です。アニメも、そこから派生するコスプレも、またそうした変化の仕方も「ジャパン・クール」なのです。

    ※    ※    ※    ※

 さて、自転車はいよいよ中央区の十思公園へ到着。この公園は、表の太い通りには面していないので地図を持って、しっかりとゆく気にならないとちょっとわかりづらい場所。昔の小伝馬町牢屋敷はこの十思公園の隣の日本橋小学校の敷地も含めた広い場所だったようなので、日本橋小学校を目標にくると良いかもしれませんが。

 公園は50m四方の、それほど広くはない児童公園のような有様です。しかしその奥に「留魂碑」が建てられていて、まさにここが松陰先生最期の地であったことがわかります。
 今は静かなたたずまいの公園になっています。土地の記憶をとどめるには公園という形が一番良いのでしょうね。

 勤王の志士の中では、橋本左内や頼三樹三郎(らい みきさぶろう)などもこの地で刑場の露と消えています。
 志半ばの志士たちに 合掌。

    ※    ※    ※    ※

 続いては先日視察で近くまで来ていながら楽しむところまでいかなかった、もんじゃ焼きで有名な月島界隈を自転車で回りました。

 月島地区も家同士がくっついていて、家の前の通りがめちゃくちゃ細い密集地区の様相を呈していますが、こちらは道路がしっかりとした直線でただ細いだけの、計画的な密集地区といえるでしょう。

 インターネット百科事典のWikipediaで「月島」を調べるとこのように出ていました。

 ***Wikipediaより引用***

 月島(つきしま)は、東京都中央区にある地名である。

 明治25年の「東京湾澪浚(みおさらい)計画」に基づき、東京湾から浚渫した土砂を利用して埋め立てられた、月島1号地(現在の月島一丁目から月島四丁目まで)として完成した。ちなみに月島2・3号地は勝どき、月島4号地は晴海である。

 当時の月島は、富国強兵の国策に沿い鉄工業地帯とされていた。また、月島の名前は「築島」の字を変えたものといわれている。広義では、佃島(現在の住居表示で)佃、月島、勝どき、晴海を含む島を言う、縂面積は2.279km2[1]。

 ***引用終わり***

 なるほど、「築島」から「月島」とはねえ。なかなかロマンチックな命名をするものです。

 中通りは商店街になっているのですが、ここは「もんじゃ焼き通り」と言われているくらい、地元の名物であるもんじゃ焼き屋さんがたくさんあるところ。

「もんじゃ焼きって、美味しいところは美味しいけれど、不味いところに当たるとひどい目に遭いますよ」とは職場の同僚のアドバイス。

「じゃあどこがいいのか教えてくれませんか」「じゃあ調べてみましょう」ということで、紹介してくれたのがこちらの「近どう」という老舗のお店。老舗と言うからには古い店構えを想像していたのですが、実際は近代的なお店に変わっていました。

 さすがに名物の味だけは見てきただけでは物足りないので、エビ・タコ・イカなどがボリュームたっぷりに入った特製もんじゃを注文。なるほど、これが月島もんじゃのお味ですか。非常に美味しくいただきました。


 店内はグループやカップル連ればかりで、一人でのもんじゃ焼きというのはどうにも絵になりませんでしたね、ははは。

    ※    ※    ※    ※

 月島を後にして、築地の場外市場、築地本願寺などを巡りつつ、帰路につきました。

 最後に、以前近くまでいきながらついぞ見つけることのできなかった平将門の首塚へもお参りをしてきました。高層ビルの狭間にひっそりと祀られていましたが、やっとたどりつきました。

 今日は吉田松陰先生の十思公園に始まって平将門の首塚にいたるお参りの旅。心残りを一つずつ消して行くと、この都会が少しずつわかってくるような気がします。

 
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