確か小学校2~3年生のときなのでもう55年以上前の思い出。
当時稚内で住んでいた家ははいわゆる「ニコイチ住宅」という、一棟に二軒が入る平屋の住宅でした。
当時はまだ車が少なく、家の前の道路に車が入ることもなかったので、冬になると50センチ以上の高さのところに踏み分け道を作って歩くという感じでした。
家の出入り口は外に開くドアでしたが、大雪が降るとしばしば開きにくくなる、そんな感じ。
私はわりとガキ大将というか、自分より年下の子供たちを従えて遊ぶことが多く、遊びのアイディアを出しては子供たちを喜ばせていました。
そんなある日、家の前の道路の雪が余りに高いので落とし穴を作ることを思いつきました。
悪い部下を引き連れて、道のど真ん中に直径70~80㎝、深さ50センチほどの穴を掘り、家から新聞紙をもってきてそれを穴の上に張り、薄く雪を撒いて地面の色に同化させます。
出来が良くて、そこに穴があるとは全く気がつかないくらいの出来栄えです。
そこでたむろしていると、何も知らない地域の友達がやってきました。
相手と落とし穴を結んで線上で「おおい、ちょっとおいでよ」と手招きをすると、友達は「なあに?」と言いながらこちらへ近づいて、見事に穴にはまり作った我々は大笑いしたものです。
引っかかった友人は始めはバツが悪そうにして怒りますが、「一緒に次の奴を待とう」と誘うと、今度はこちら側に組して新たなターゲットを誘う側に回りまた一緒に大笑い。
今でもそのときの情景ははっきりと頭に浮かぶので、余程楽しかったに違いありません。
その後小学校の高学年になる頃に札幌に引っ越してきてからは、モータリゼーションの波が押し寄せてきて、次第に除雪後の道路の雪の厚さが少なくなってゆき、道路に落とし穴を作れるようなところは全くなくなりました。
逆に冬の除雪の管理水準はどんどんレベルが上がり、そのうちスパイクタイヤも登場して、春先には道路の舗装がガリガリ削られて春先には粉塵が社会問題になり、そこからスタッドレスタイヤが登場して今に至ります。
昭和の最後の頃は春先には雪で動けなくなる車が続出して、車のトランクにはヘルパーと呼ばれる金属製の板を二枚セットで積んでおくのが常識でしたが、そんな雪道の常識はすっかり過去のものになってしまいました。
いや、過去のものになったと思っていたのは幻想でした。
今や落とし穴が作れるのではないかと思うくらいに厚い雪に覆われた道路が珍しくはなく、敷地内にロードヒーティングをしていようものならば、積雪ゼロの敷地から厚さ50センチの雪道に乗り上げることが難しいという、そんな場所もあちこちに見受けられます。
ロードヒーティングがエネルギーや経費の問題からではなく、路面管理の状況と整合しないというのは初めてみる不思議な光景です。
道路も下水道のマンホールのところは下水道水の暖かさで解けて丸く深い穴になっているところあります。
まるで天然の落とし穴のようで、50年前の子供の頃を思い出してちょっと笑ってしまうのでした。