朝のNHKラジオの今日の話題は、「若者と"ゆるブラック企業"」というもの。
"ゆるブラック企業"とは、仕事がゆるすぎて若者が成長できないと嘆く企業のことだそう。
そもそもブラック企業というのは労働時間や要求レベルが厳しいために社員がついて行けず苦しんだり離職したりしてしまうような企業のことでした。
その反省で労働時間短縮を法律で定めたりするなど、過剰な労働を排除しようとしてきたはず。
さらにはコンプライアンス遵守への機運が醸成されてきて、暴言を浴びせたり厳しい指導というものが、上司として不適切という時代感覚になってきました。
そんななか、いわゆる上司としては部下を鍛えようと思うときに、どれくらい負荷をかけても良いのかが分からなくなってきてはいないでしょうか。
結果的に「上から怒られるような指導はしないでおこう」という雰囲気が蔓延してしまうと、会社に入りたてだったり若いうちに自分の能力を磨いておきたいと願うタイプの若者にとっては、生ぬるくて仕事の過程で自分の成長を実感できないこともありそうです。
そうなると"若者"や"新人社員"などという年齢的なくくりはもはや成立しなくて、個々人の能力と意欲に合致した指導レベルが求められているということなのでしょう。
厳しすぎてブラックと呼ばれた企業が、ならば厳しくしないでおこうと舵を切ったとたんに今度は「ゆるすぎる」と言われるのでは溜まったものではない感じもします。
しかしゆるすぎる会社に絶望して会社を辞めてしまう若者がいるとなると、意欲のある将来有望な若者をみすみす逃してしまっていることになります。
逆にそんな環境で残っている者は、ゆるすぎる日常にすっかり満足してしまっている人たちという事にもなり、これでは会社の将来はお先真っ暗です。
若者の教育の在り方は、厳しすぎずゆる過ぎず、早すぎず遅すぎず、個々人に適切な指導であるべき、と言われると、それ自体は正論です。
問題は個々人のレベルと要求度合いに合致した指導とは何か、ということで、それは現場の最前線で一人ひとりにアジャストしてゆく能力にほかなりません。
厳しくてもダメで、ゆる過ぎてもダメで、それを決めるのは指導を受ける若者の側だというのですから、なんとも難しい時代になりました。
自分の求めるものが得られない状況からいかに学ぶか、も指導される側の工夫と能力のように思いますが、「それを言っちゃあお終いよ(=コンプライアンス違反)」というのでは、フーテンの寅さんも二の句が継げますまい。
いやはや