北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

釣りは心の充電装置 ~ 釣れても釣れなくても良いのです

2022-07-25 23:38:29 | Weblog

 仕事が終わって家に帰ると、待っている孫を抱いてやるのが私の仕事の一つ。

 孫も私に抱かれていると安心していて、剥がされるとちょっと不満げに暴れたりします。

 またこちらが疲れたからと床に置こうものなら床に突っ伏して泣きわめきます。

 それを見て私はかいかぶりかもしれないけれど、(ああ、まだじいじの充電がたりないんだな)と思うのです。

 孫は私と接する充電が満たされれば床におろされても自分一人で遊んでいますが、それで泣くという事はまだ気持ちが満たされていないということなのだろう、と。


     ◆


 ときどき、無性に川を歩きながら釣りをしたくなります。

 魚を釣って釣果を上げたい、というよりは、川の中で自分が思うようなキャストを繰り返す自分でいたいという感じ。

 自分の理想とするキャストができて、思うようにフライが飛んで思うところに落ちてくれるのを見ているのが幸せなのです。

 野球の試合に出てヒットを打つよりも、バッティングセンターでヒット性の当たりを何本も出したいという気持ちに似ています。

 それもまた釣りの充電が切れている状態に思います。

 結果として魚は釣れなくても、川の中で無心にキャストしていることが無上の幸せです。

 キャストがうまくいくと、(ああ、今この下に魚がいれば絶対に出て来るのにな)と思うこともあります。

 まあ大抵は魚は出てこないのですが、どうせでてこないだろうと油断しているときに限って、またどうせ小さなヤマベだろうと思っているときに限ってそれなりの大きさのニジマスが出てくれたりして。


  【水中でリリース】

 昨日は結果として魚も釣れてよい充電ができました。

 魚たちも(新しいウェーダーなら釣りになるでしょう?)と言ってくれているような気がします。 

コメント
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