年末のこの時期は、古巣の職場で4月に転勤になるような後輩たちを訪ねて歩きます。
「今度は札幌から釧路に転勤で単身赴任です」とか「稚内での初勤務になります」などという声を聞くと、行く先の風景が頭に浮かんできます。
引っ越しも値段が高くなったり、そもそも引っ越し業者さんが忙しくて引っ越しの日程が組めないような悩みを聞くと、近頃の転勤は以前に増して余計な苦労があるのだなあ、と思います。
転勤そのものも最近は職場で嫌われる要素になっていて、「転勤が嫌なので公務員を辞めて地元の市町村役場に再就職します、という職員がいるんですよ」と言う話を聞くことも増えました。
転勤生活というのは、新しい人間関係に飛び込んでそこで新たな関係性を構築するうえでは苦労が多い反面、それがうまくいけば人間力を向上させる格好のチャンスとも言えます。
幼い時から親の転勤によって転校生活を余儀なくされた私としては、転校することも「よくある話」でした。
昔はそれほどいじめなどの問題も大きくなくて、あまり苦労した記憶もありませんが、それが私自身の性格なのか、鍛えられていった結果なのかも今ではよくわかりません。
公務員になったことで転勤も当然で仕方のない事だと思っていましたが、子育て期間になると自分はともかく子供の転校や終の棲家はどこになるのか、家族と離れる単身赴任などが家族の問題として浮上してきます。
そんなことも少子化問題の原因になっているのだとしたら、昔の人はどうしてやれたのだろうか、と思わざるを得ません。
皆それなりに苦労をしつつ、それが定めと現実に折り合いをつけていたのですから。
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転勤生活が当たり前になると、転勤そのものを何とも思わないどころか、同じところに3年もいるとその雰囲気に飽きてくるようになります。
「3年間をこの土地で頑張れ」と言われると、400m走くらいのスピードで走り抜けられそうですが、「一生この土地で、周囲の先輩後輩に囲まれているから頑張れ」と言われると、走るスピードはマラソンくらいのペースになるような気がします。
有期だからこそ頑張れるという事もあると思います。
この土地をいつか離れなくてはならないという切迫感があると、少ない機会を作って地域を回ったり、住まいを拠点にして積極的に旅行に行ったりするようになります。
それでも子供たちが多感な時期に単身赴任で家を離れて暮らすというのは、振り返れば寂しいことだったようにも思います。
結局は「人間万事塞翁が馬」と思って、降りかかってくる運命を面白く受け止めて前向きに過ごすことが一番良いのではないか。
まだまだ苦労の多い後輩たちや若い人たちの幸多い4月になるよう祈るばかりです。