北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

排泄に関するこころとからだの仕組み ~ 介護スクール11回目

2023-04-22 22:53:31 | 介護の世界

 

 介護資格のためのスクーリング授業も今日で11/15回目。

 今日は「排泄に関するこころとからだの仕組み」というテーマで一日授業が行われました。

 我々のクラスは中年おじさん4人のクラスなので、講師の女性の先生は「男性だけのクラスは珍しいのですが、逆にお互いに実技練習をやりやすいかもしれませんね。クラスにぽつんと男性一人とか女性一人だと却ってやりにくい面があるので」と、笑いながらの感想。

 やはり微妙に羞恥を伴う授業なのです。

 さて排泄とは尿や便(ほかにも汗や涙、呼気なども含むのですが)などによって体の中の不要な老廃物を体外へ出す行為の事。

 生きている限り逃れられない生物の仕組みですが、こと人間の排泄となると「身体的意味」に加えて、「心理的意味」と「社会的意味」が加わってきます。

 「身体的意味」とは文字通り、老廃物を体外に出すという生命維持に欠かせない行為であるという意味です。

 一方「心理的意味」とは、自分の陰部を他人の目にさらしたり触れられたりすることに羞恥と抵抗を感じるという面が強いことです。

 講師の先生によると、「実は介護をする側にとっては排泄の介助は日常茶飯事なのですぐに慣れて、そう負担には感じなくなります(笑)」ということなのだそうですが、やってもらう方は自分の問題と捉えると申し訳なさや負担感が募るのだそう。

 そのためできるだけお世話になりたくないという思いから、水を飲まなくなったり食事をとらなくなったりする人も出てきます。

 それは結局健康な日々の暮らしからは外れてゆくので、利用者に負担を感じさせないような介護がポイントになります。

 さらに「社会的意味」もあってこれは、排泄の自立度が低くなると「外出しなくなる」「人に会いたくなくなる」「行動範囲が狭くなる」といったことに繋がって行き、やはり前向きな暮らしの質が保たれなくなる恐れがあります。

 排泄って、実に大切なことながら介護を受ける側にとっては非常に繊細なことでもあるという理解が大切です。

 
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 排泄の動作一つとっても、それを苦も無く当たり前にするためには下記の手順を経なくてはなりません。

 ①「尿意・便意を感じる」→②「トイレの場所が分かる」→③「移動ができる」→④「トイレの扉の出入りができる」→⑤下衣の着脱ができる→⑥「便器の使い方が分かる」→⑦「着座・排泄姿勢・排泄ができる」→⑧「拭く・水を流す・手を洗う」

 …とまあこれだけの動作手順の連続を行っているのが我々の日常の排泄行為です。

 そして高齢化や病気などによって上記のどこかの段階ができないということになるとそこを介助しなくてはなりません。

 ただ、できることがあるのならそれは自分自身でやってもらうのが一番で、そこにもやりすぎないような細やかな気遣いが必要なのです。


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 そんなわけで今日の実習は、寝たきりで自分で排泄のコントロールができない人のためのおむつの装着練習、排泄後の陰部洗浄の事例見学、ベッドに座ることができるおむつ装着者のポータブルトイレへの移動介護とおむつ装着介助などを行いました。

 以前に私も実体験したおむつ装着と排尿体験ですが、背中にちょいもれが発生した苦い経験があります。

 それは実は「正しい装着をしていなかったからですね」と体験レポートを呼んだ講師から指摘を受けました。

 何が正しくなかったかと言うと、おむつを止める左右に二つずつあるマジックテープを、下の方は自然に引っ張って止めるのですが、上にあるテープは背中がぴったりになるように腰骨から斜め下に向かって強めにテープを貼るべきだった」ということでした。

 さらには「股間の部分にはおむつの吸収体を山と谷のように空間を作ってゆとりを持たせることで吸いやすくなりますよ」とも。

 講師からは「排泄の介助は施設では最も頻繁にやるので、実際にやればすぐに慣れますよ」とも。

 排泄を学ぶことで、やはりできれば他人の世話にはなりたくない、という思いがますます強くなりました。

 そのためにはできるだけ健康で移動ができるということが肝心です。

 皆さんもぜひ一度事前に学ぶことをお勧めします。

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