北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

社会保障は利用者としても負担者としても勉強しておく方が良い

2023-06-12 22:56:02 | Weblog

 

 先日ある人と会ったときに私が「思うところがあって介護の資格を取りました」というと、「それってある種"理想の介護"の世界でしょ?現実は全然そんなのじゃないから」とちょっと気色ばんでおられました。

「ご自宅でも介護をされておられるのですか?」と訊ねると、「いいえ、それ以前の問題ですね。話ができないのでほぼ絶縁状態に近いです」とのこと。

 聞けば、離れたところに暮らしているご両親のうち、要介護1の認定を受けていたお母様が脳の疾患で倒れて今もリハビリ入院中なのだとか。

 一方お父様の方は認知症が進んでいるようで、何かにつけて怒り出してしまい、頼み事やアドバイスも全く聞いてくれないのだそう。

 それでいて日が過ぎると「そんなこと言ったか?」と全くそれを覚えていない。

 何しろ話が合わないので会うたびに喧嘩になって、「そこまで言うんだったら勝手にしたら」と捨て台詞を吐いて帰ってくるのだそう。

 
「そんな状態が続くのは何も問題が解決できなくて不毛ですね」
「でももう意見交換とか意思疎通なんてできませんよ」

 そんな事態ももう長く続いているようで、第三者が勝手なことを言っても通じないような勢いです。

 しかしまずはこの方とお父様が一対一の相対で話している状態がまずいと思いました。

「行政の第三者に味方になってもらって、行政の力を借りる方が良いのでは」
「そんなの誰に行ってもたらいまわしで終わりですよ」

「お母様が要介護1と認定されたと聞きましたが、それを認定してくれたケアマネージャーやご両親がお住いの地域包括支援センターに相談しましょうよ。そういう経験が豊かな人のアドバイスを受け止めて、やれることからやった方が良いのではないですか」
「だって自分が何を言っているのか覚えていないし分からない人が相手ですよ」

「認知症の方とのやりとりに腹を立てるべきではありません。相手だってわかっていてわざとやっているわけではありませんので。そういうことも含めて専門家の意見をちゃんと聞く方が良いです」


 その方はもうすっかり父親に忠告やらアドバイスをしても無駄なことに心が折れているようで、「もうどうなっても良いんです」とやや自暴自棄にも見えました。

 習った介護の世界など理想論ばかりで現実はその真逆で甘くない、とはよく言われますが、それでも理想がどこにあるかが分かり、人にとって老いはどんな形で押し寄せて来るのか、問題に直面したときにどこのだれを頼れば良いのか、を知っておくだけでも道は開けそうです。


     ◆

 
 国は少子化対策で社会保険からの資金拠出を狙っているようですが、年金保険からの拠出はまず無理だとすると、医療保険と介護保険からの拠出が想定されます。

 いわゆる公定価格で仕事をしているこの世界の人たちの賃金が上がらないのは、その需要に応えるだけの財源を用意していないからの一点です。

 やっぱり社会保障の現実と行く末は利用者としても負担者としても腰を据えてちゃんと勉強した方が良いと思うのです。

 

コメント
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