今日は孫たちの運動会がありました。
コロナ禍のときには観覧は親だけで祖父母はだめ、ということもありましたが今は全て開放されて観に行くことができました。
運動会というと、お昼には親が陣取ったシートに戻ってきてそこでお弁当を食べて午後の部に臨む、というのが我々の運動会でしたが今はすっかり様変わり。
運動会が終わるのはお昼の12時前で、当然グラウンドでのお弁当はありません。
午前で終わるという事はプログラムも相当に簡略化されています。
基本的には学年単位の50メートル走が運動能力を競う唯一のプログラム。
あとは団体競技の枠で、1、2年生は玉入れ、3,4年生は綱引き、5、6年生は竹の棒を取り合う競技。
表現の枠では1、2年生と3、4年生と5、6年生がそれぞれ一緒になって三種類の踊りやダンスを見せてくれました。
プログラムは以上で、騎馬戦のような肉弾相打つようなものはありませんし、なんと運動会の華ともいえる赤白対抗全学年によるリレーもありません。
誰かが「リレーって朝練習が必要だから先生たちも面倒を見られないのかな」と言っていて、本当かどうかは分かりませんが、なんだか運動会に掛ける教育的な期待というか情熱のようなものが昔よりは少なくなっているのかな、という感じがしました。
まあ英語やらプログラムまで次々にいろいろな教育が学校教育に期待されて詰め込まれていますが、子供たちがこなせる時間は有限ですし、先生たちがかけられる時間にもおのずから限界があるのでしょう。
これも時代の流れでしょうけれど、子供たちが活躍する姿を見ながらジンギスカンをしてビールを飲んでいたのがどんどん不適切化して行った昭和世代としては、昔の運動会の姿を懐かしむことしかできません。
幸いというか、紅組と白組の対決という構図は残されていて、開会式ではそれぞれの組の応援団長が口上を述べて対決を煽り団結を促すという場面は見られました。
私の二人の孫たちはどちらも白組で、かけっこや団体競技でさほどの活躍と貢献も見せられませんでしたが勝負の結果は白組の勝ち。
その瞬間は大いに飛び跳ねて全身で喜びを示していたのでこれも良い思い出になったと思います。
少子化と高齢化という社会構造の変化は、思い出を記憶のなおかなたに追いやっているように感じます。