北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

10年前のあの日、あなたは思い出せますか ~ 釧路での津波諸相

2021-03-11 21:53:19 | Weblog

 

 東日本大震災のあった日からの10年目を迎えました。

 10年前のこの日、私は釧路市副市長として市役所の中におりました。

 いつまでたっても収まらない強くいやらしい揺れを感じながらテレビをつけると、三陸地方のいくつもの港での津波が報道されていました。

 同時に釧路市でも津波注意報が津波警報に、そして大津波警報へとレベルが上がり、いやがうえにも緊張を強いられることになりました。

 最大で潮位6mもの津波になると、釧路湿原に至る平野部はことごとく海に飲み込まれることになり、幣舞橋をはじめ釧路川にかかる3本の橋も被災し高台地区との交通は分断されてしまいます。

 6m以上の津波ともなると釧路市役所本体も水に浸かることからかなりの緊張を強いられましたが、幸いに予報ははずれ、津波の高さは2mで済みました。

 それでもそれによって浸水被害を受けた家屋や施設は多く、市民生活は混乱を極めました。

 その当時は、釧路市のホームページも力不足で、被災状況を的確に伝えることができず、微力ながら私もブログでわかっている範囲のことを書いて伝えようとしたものです。

 するとブログのコメントに海外在住の方から「私の両親が〇〇地区にいるのですが、大丈夫でしょうか」という書き込みがあり、「その地区には津波は到達していないので大丈夫ですよ」と返信したことを思い出します。

 ともするとマスコミは、センセーショナルなシーンやわだいにこぞって食いつくものの、それほどではない被災地の状況には触れる余裕を失います。

 いまでこそ地域SNSがさらに身近なツールになりましたが、きめ細やかな情報を目の前の被災者や遠隔地に提供することが今では可能な社会になったでしょうか。

 
     ◆


 災害の後に私たちの行動は、とくに防災のための行動は変容したでしょうか。

 知人の一人は、市役所近くの昔は一等地だったであろう家と土地を売り払って、津波の届かない高台に家を建てて移り住みました。

 年月が経つと、あの時の恐怖や「やらなくちゃ」もそのエネルギーを次第に失ってゆくものです。

 その後も幾多の地震や台風被害にあっている日本ですが、そのたびごとに「やらなくちゃ、はやらなくちゃ」と叫ばれるものの、ではその重い腰はあがっているのかどうか。

 実際には自分の身の上には被災をしておらず、ときどき被災地のことに思いを寄せるだけのわが身です。

 この節目を周りに迷惑をかけない自助への意識に変えて、改めて災害への備えを進めたいものです。

 「やらなくちゃ」はやらなくちゃ!

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