網走から帯広~浦河と道東を大回りした年末のあいさつ回り第一弾が無事終わりました。
広尾から雪の天馬街道をおそるおそる抜けて浦河へ着くと、前回も食べた「寶龍(ホウリュウ) 浦河店」さんで日高昆布ラーメン塩味をいただきました。
こちらのご主人は話し好きなので、ちょっと水を向けるとラーメンができるまでの間に会話が楽しめます。
こちらのお店はもう営業して40年になるのだそうです。
「食べ物屋は難しいですよ(笑)」というので、「それでも40年続いているという、そのキモはなんですか?」と訊くと、「まじめにやることと、まずは掃除からってことかな。掃除がおろそかになると、そのあとのことが全部おろそかになるんですよ。私が何か伝えられるとしたらそれだけだなあ」
ラーメンもお腹に沁みましたが、ちょっとした会話が心に沁みました。
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友人知人を訪ね歩きながらの挨拶周りで、「今父親の後見人になる準備をしている」というと、同じような境遇の親御さんの話や親を既に亡くされた話が出てきます。
ある方は、「親への態度を見ていると、義理の息子・娘のほうが直系の子供より親を大事にするように思えますね」と言っていました。
「ああ、そうかなあ」
「私のところも、妻のご両親の具合が最後に悪くなった時に世話を焼くのは案外義理の息子の私が気にして、妻とその兄弟のほうは身内ゆえの近しさがあって、『そんなものじゃないの』というような、私の基準からはちょっとぞんざいだな、と思う感じがありましたね(笑)」
親御さんの場合、亡くなられる年齢によっても、まだまだ若い時分の時なのか大往生なのか、で違ってくるような気もしますが、近さゆえのぞんざい、という言葉が頭に残りました。
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「ピークエンドの法則」というのがあります。
これは、あらゆる経験の快や苦しみは、ピークの時と最後の時の快苦の度合いで決まるという心理的現象なのだそう。
ディズニーランドでアトラクションに乗るために長時間待たされるつらい経験があっても、その先に超楽しい快楽を堪能できるので、最後の印象は楽しいことしか残らないというのです。
幸福額を研究している前野マドカさんは、「私は誰かと会ったときは笑顔で気持ちよく分かれることを心がけている」と言います。
「親との電話でも『暖かくして寝てね』といったような優しい言葉で締めくくるようにして」いるとのことで、そうしていれば、たとえお互いに万が一のことが起きても、最後に思い出すのは笑顔だったり優しさなので、そこに後悔が少ないと思うのです」とも。
今年も残り少なくなりました。
いろいろなことがありましたが、微笑んで過ごすことでよい一年だったと印象づけることになるのかもしれませんね。
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ブログの記事の数を数えていたら、今日のこの記事が7,000話目でした。
ブログの記事は2005年の4月からになっているので、19年と半年ほどでした。
さて、いつまで続くことやら。
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