朝のNHKラジオの情報番組で、「金銭的な刺激を与える政策」についてのお話がありました。
話題提供者は東京大学名誉教授の神野直彦先生です。
「金銭的な刺激を与える政策」とは、ノルマを達成したら金銭的な褒賞を与える政策、というわけですが、製作に適用させた場合の結果はどうなのか。
最近の日本の政策に多いのが、政策目的を実現するためにお金を配ったり減税を行う例が多い。
例えば、賃金を上げるために企業に補助金を出したり減税をしたりするといったことだ。
つまり子供たちに勉強をさせるためにお小遣いをあげるなど、金銭的なメリットをちらつかせる政策を「金銭的な刺激を与える政策」と呼んでいる。
神野先生はこうした政策は、「損か得か」「儲かるかもうからないか」という金銭的な動機で行動するようになってしまう点で問題。
子供に、勉強をしたらお小遣いをあげる、というのは、勉強とはお小遣いをもらうためにすることだと考えるようになってしまう。
まだ知らないことを学ぶ喜び、といった、本来の勉強の動機が失われてしまう。
その結果、学ぶということに却って興味を失ってしまったりする。
このように「金銭的な刺激を与える政策」を用いると、本来の目的と逆な効果になってしまう危険性をはらんでいる。
具体的な事例としては、イスラエルの託児所の罰金制度の事例が有名なのだそうだ。
イスラエルの託児所で、親たちが子供の迎えに来る時間に遅刻が多いことに困って、遅れると罰金を取る制度を設けた。
ところがこのことによって遅刻が二倍に増加してしまいました。
慌てて遅刻による罰金制度をやめたのですが、遅刻の度合いは減ることなく以前の二倍のまま推移したという。
これは罰金という金銭的な刺激を与えたことで、遅刻で周りに迷惑をかけるべきではない、という思いやりの動機で判断するのではなく、損か得かという価値観で判断するようになってしまったためだ。
まるで罰金をサービス購入の料金のように考えて、"兼ねさえ払えば遅刻をしても良い"と考えてしまったのだ。
しかも予定より長く保護してもらい、「ベビーシッターを雇うよりも安上がりだ」といった損得勘定で判断してしまうようになった。
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では日本の政策ではどうか。
金銭的な刺激を与える政策としては、少子化対策や大学の研究奨励対策に見られます。
少子化対策で、結婚したり子供を産んだことに対して金銭的な刺激を与える政策が取られています。
これにより若者に、「結婚しなくても良い」「子供を産まなくても良い」と考える割合が増えました。
本来は「人は愛情をもって結婚して家庭を持つべきである」「子供を産み愛情をもって育てるべき」という価値観が先にあるべきだが、金銭的な動機に関心が集まり逆効果になったのだろう。
大学の研究でも、経済的効果を生み出すための国際的な研究に金銭的な刺激政策がある。
即効的な研究が求められている。
本来大学における、心理を探求するという動機が薄れてしまっているのではないか。
さらにあらゆる局面で、金銭的な動機付が蔓延すると本来の動機や目的が失われ、それが元に戻らなくなるコットを危惧する。
「今だけ、金だけ、自分だけ」というマインドが定着してしまったのではないか。
今の103万円の議論でも、手取り収入がどう変わるのかだけが注目されている。
本来は国民全体の暮らしを支えあってゆくのに、税を増やすのが良いのか、給付を増やすのが良いのかを議論すべきですが、租税とはどう負担すべきかの議論は聞かれません。
自分だけの目先の利益を誘導するような議論が横行しています。
そして暮らしが厳しいという国民を救済するのであれば、生活面を補助すべきだが、実際は物価対策として輸入している石油などに補助金を出している。
元売り価格を下げるためだが、本来はデフレ脱却政策をインフレ対策に振り替えなくてはならない。
目先の利益を優先するために国債を発行するようであれば、結果としてインフレを誘発してしまう。
根本を変えるためには、「金銭的な刺激を与える政策」ではなく、愛や倫理が息づいた社会を求めるべきです。
しかし結局は、望ましい社会を実現するために誤った政策を取るべきではないということを学び、どのような社会を求めるのかについて社会全体が議論を尽くすべきなのです。
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神野先生のお話にはうなづけることばかりでした。
為政者も社会的リーダーも、最近は思想や哲学や理念を語れなくなり、経済やお金の話に終始しているように思いませんか。
金銭だけでは社会は良くならないのです。
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