家のベランダの修繕をするのに大工道具が必要になりました。
確か長女の高校時代に買い揃えた大工道具セットがあったので、妻に「××(長女)の大工道具セットはどこにある?」と訊きました。
「子供部屋の納戸の棚にあるよ」「あ、そう」
確か長女の高校時代に買い揃えた大工道具セットがあったので、妻に「××(長女)の大工道具セットはどこにある?」と訊きました。
「子供部屋の納戸の棚にあるよ」「あ、そう」
ところが棚を見てもそれらしき道具セットがありません。
確か白い麻布でできた工具袋に入っていたはずなのですが、見当たらないのです。
孫のぬいぐるみなどを横によけつつ、奥を見てみますがありません。
「おっ、これか?」 白い布を見つけて周りを広げるとそれはシーツでした。
「うーん…、ないよー」「そんなはずないよー」
しびれを切らした妻がやってきてかかっている子供の服を除けて奥を探すと…、「これじゃない、どこを見ているんですか」
ありました。
しかし、私が思っていた白い布の縦長の袋ではなくて、黒い横長の袋でした。
「あれー、これか。そういやそうだった」
確か白い麻布でできた工具袋に入っていたはずなのですが、見当たらないのです。
孫のぬいぐるみなどを横によけつつ、奥を見てみますがありません。
「おっ、これか?」 白い布を見つけて周りを広げるとそれはシーツでした。
「うーん…、ないよー」「そんなはずないよー」
しびれを切らした妻がやってきてかかっている子供の服を除けて奥を探すと…、「これじゃない、どこを見ているんですか」
ありました。
しかし、私が思っていた白い布の縦長の袋ではなくて、黒い横長の袋でした。
「あれー、これか。そういやそうだった」
ようやく前回使った時のシーンを思い出しましたが、そういえばこの黒い袋でした。
どうして白い麻布の袋が頭に浮かんだのかわかりませんが、思い込んだ姿と違うものでは、目の前にあってもそれだと思わないものです。
まさに「思いここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず」です。
原文の古典『大学』にはさらに、「食らえどもその味を知らず」と続きます。
予断を持たずに虚心坦懐に素直な心で見ることの大切さを痛感しました。
思い込むって駄目だなあ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます