北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

春二題

2007-03-17 23:19:59 | Weblog
 中途半端に雪が降り、中途半端に融ける。春に向けて、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような感じですね
 
【『春』の両面】
 『春』は古典の中でも、生ぬるいという悪い意味に使われることもあれば、暖かいという良い意味で使われることがあるようです。

 悪い意味では、言志四録に「富貴は春夏の如し」として以下の文章が紹介されています。

 曰く、「富貴はたとえば則ち春夏なり。人の心をして蕩せしむ。貧賤はたとえば則ち秋冬なり。人の心をして粛ならしむ。故に人富貴においては則ちその志を溺(おぼ)らし、貧賤においてはすなわちその志を堅うす」とあります。

 その意味は「金持ちとか身分が貴いとかいったことは、春や夏の気候のようなもので、人の心をとろかして怠けさせてしまう。貧乏であるとか身分が低いといったことは、秋や冬の気候のようなもので人の心を引き締める。すなわち人は富貴にあっては志を薄弱にし、貧賤にあってはその志を堅固にする」とあります。

 佐藤一斎先生も、ここではやはり儒教の影響を受けていて、経済的な成功の立場にあっては心が堕落しがちである、という立場をとっているようです。

 経済力があることが次の経済を生み出す力になる、ということをおっしゃらないあたりが、道徳至上主義的で尊徳先生とは少し違うのですね。

    *   *   *   * 

 春は良い意味にも使われています。同じく佐藤一斎先生の言志後録のなかからは、以前に「春風秋霜」というタイトルで2006年11月20日にご紹介をしました。

 曰く、「春風をもって人に接し、秋霜をもって自らを粛(つつし)む」

 すなわち、「春の風のような優しさで人に接し、秋の霜のようなするどさをもって自らを律する」とあります。これなどは簡潔にして明解。実によい言葉です。


 もう一つ、中国は明末の思想家である洪自誠の撰による「菜根譚(さいこんたん)」という書物から。

 曰く「念頭の寛厚なるものは、春風の煦育(くいく)するがごとし。万物はこれに遭いて生ず。念頭の忌刻なるものは、朔雪の陰凝するがごとし。万物はこれに遭いて死す」とあります。

 すなわち「気持ちがゆったりとした豊かな人は、たとえば春風が万物を暖めて育てるようなもので、全てのものはそのような恩恵を受けると成長する。これに対して残酷な心の持ち主は、たとえば北の雪が万物を凍りつかせるようなもので、全てものはそのような災いに出会うと死んでしまう」という意味です。

 さて、生ぬるい春がやってくるのか、それとも万物を煦育する春がやってくるのか。全ては心がけ次第ということでしょうかね。

 ここへ来て、なかなか暖かくならない北国です。

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