日曜日だというのに、朝から出勤。明日の委員会資料の作成をぎりぎりまで行わなくては。
【大人の作品】
掛川の知人のAさんから手紙と写真が送られてきました。
時候の挨拶で「大雪のみぎり、北海道の冬」を慰めてくれた後に、この11月に恒例の、お住まいの地区での文化発表会があって、そこに書を出品したとのことでした。
その時の題材に、私が掛川にいたときに著したものからの一節を使わせもらいました、とのご丁寧なご報告でした。
私の拙文から何かを感じ取っていただけたと言うことは大変光栄なことです。この場をお借りしてこちらこそ、お礼を申し上げたいところです。
書は人生で何度かチャレンジをしたものの、転勤生活の中でとうとう身に付かない技能になってしまいました。
パソコンとフォントとプリンターの登場で、意味を伝えるための文字は便利な世界に追いやられてしまいました。
しかし、その反面、練習の末に到達する技能としてスローライフの世界では書は一つの世界としてしっかりと存在を保っています。
いつの日か、じっくりと書の世界に入り込んでみたいのですが、早ければ早い方が良いと言うことは分かっていても、なかなかそれが許されない雇われ者の身分。悲しいですね。
* * * *
小泉八雲のエッセイに「東洋の土を踏んだ日」というお話があります。
小泉八雲は明治23(1890)年の四月に横浜に到着し、その年の八月に島根県松江市に赴任しました。
この「東洋の土を踏んだ日」は、日本に到着した早々の横浜の風景が語られていて、西洋の文化を必死に取り入れつつある明治にあってなお江戸時代の古き良き時代を残す日本を、愛情に満ちた共感の心で綴った名文です。
私も掛川に行く際に読んでいたならば、もっともっと上手な文章を書かざるを得なかったろうと思わせる、よそ者による素晴らしい紀行文です。
この中の一節に、彼が横浜の街を見てその美しさに感動しつつ、日本の文字に思いを寄せた部分があります。
…職人の着ているものにも、店ののれんと同じ、不思議な文字が書かれているのに気づく。これほどの妙趣は、どんな唐草模様をもってしても出すことが出来ないだろう。装飾の目的にかなうべく幾分形を変えて書かれたこれらの文字には、意味をもたない意匠にはとうてい見られない生き生きとした均斉がある。
…これらの街のすばらしい絵のような美しさは、その大半が、他でもない、これらの文字 --- 門柱や障子・ふすまの類まで、あらゆるものを白く、黒、青、金色に彩っている漢字と日本の文字の氾濫に由来するのだと思い当たる…。
…表意文字が日本人の頭脳の中に作り出す印象と、音声の生気に乏しい漫然たる符号に過ぎない、一箇ないしは幾つかの文字が西洋人の頭脳の中に生み出す印象とは、格段の開きがある。日本人の頭脳にとって、表意文字は、生命感にあふれる一幅の絵なのだ。
…筆の運びとしては、ほんの何筆かで終わってしまうが、その一筆一筆に、優美、均整、線の微妙さに関して、端倪(たんげい)すべからざる秘法があって、それあるがために文字は実際生あるもののように見え、書家も又、運筆の電光石火の瞬間にさえ、その文字全体の、頭から尾にいたる理想の形を、筆一本に賭けて模索してきたのである…。(講談社学術文庫「神々の国の首都」平川祐弘編)
* * * *
外国人が初めて見た日本という驚きがあるのでしょうけれど、極めて短い時間の間に日本の書=漢字デザイン文化に最大級の賛辞を与える著者の眼力も見事なものがあります。
日本人でもこれほどの文章表現はなかなかできますまい。
日本の漢字文化をデザインという視点で、もう一度見直したいものですね。
* * * *
Aさんからの手紙の中には「時代の流れでしょうか、大人の作品がだんだん減少して来ているように思います」とも書かれていました。
文化は大人でなくては担えないのです。私も文化を担える大人になれるのでしょうか。
少し考えてしまいました。
【大人の作品】
掛川の知人のAさんから手紙と写真が送られてきました。
時候の挨拶で「大雪のみぎり、北海道の冬」を慰めてくれた後に、この11月に恒例の、お住まいの地区での文化発表会があって、そこに書を出品したとのことでした。
その時の題材に、私が掛川にいたときに著したものからの一節を使わせもらいました、とのご丁寧なご報告でした。
私の拙文から何かを感じ取っていただけたと言うことは大変光栄なことです。この場をお借りしてこちらこそ、お礼を申し上げたいところです。
書は人生で何度かチャレンジをしたものの、転勤生活の中でとうとう身に付かない技能になってしまいました。
パソコンとフォントとプリンターの登場で、意味を伝えるための文字は便利な世界に追いやられてしまいました。
しかし、その反面、練習の末に到達する技能としてスローライフの世界では書は一つの世界としてしっかりと存在を保っています。
いつの日か、じっくりと書の世界に入り込んでみたいのですが、早ければ早い方が良いと言うことは分かっていても、なかなかそれが許されない雇われ者の身分。悲しいですね。
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小泉八雲のエッセイに「東洋の土を踏んだ日」というお話があります。
小泉八雲は明治23(1890)年の四月に横浜に到着し、その年の八月に島根県松江市に赴任しました。
この「東洋の土を踏んだ日」は、日本に到着した早々の横浜の風景が語られていて、西洋の文化を必死に取り入れつつある明治にあってなお江戸時代の古き良き時代を残す日本を、愛情に満ちた共感の心で綴った名文です。
私も掛川に行く際に読んでいたならば、もっともっと上手な文章を書かざるを得なかったろうと思わせる、よそ者による素晴らしい紀行文です。
この中の一節に、彼が横浜の街を見てその美しさに感動しつつ、日本の文字に思いを寄せた部分があります。
…職人の着ているものにも、店ののれんと同じ、不思議な文字が書かれているのに気づく。これほどの妙趣は、どんな唐草模様をもってしても出すことが出来ないだろう。装飾の目的にかなうべく幾分形を変えて書かれたこれらの文字には、意味をもたない意匠にはとうてい見られない生き生きとした均斉がある。
…これらの街のすばらしい絵のような美しさは、その大半が、他でもない、これらの文字 --- 門柱や障子・ふすまの類まで、あらゆるものを白く、黒、青、金色に彩っている漢字と日本の文字の氾濫に由来するのだと思い当たる…。
…表意文字が日本人の頭脳の中に作り出す印象と、音声の生気に乏しい漫然たる符号に過ぎない、一箇ないしは幾つかの文字が西洋人の頭脳の中に生み出す印象とは、格段の開きがある。日本人の頭脳にとって、表意文字は、生命感にあふれる一幅の絵なのだ。
…筆の運びとしては、ほんの何筆かで終わってしまうが、その一筆一筆に、優美、均整、線の微妙さに関して、端倪(たんげい)すべからざる秘法があって、それあるがために文字は実際生あるもののように見え、書家も又、運筆の電光石火の瞬間にさえ、その文字全体の、頭から尾にいたる理想の形を、筆一本に賭けて模索してきたのである…。(講談社学術文庫「神々の国の首都」平川祐弘編)
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外国人が初めて見た日本という驚きがあるのでしょうけれど、極めて短い時間の間に日本の書=漢字デザイン文化に最大級の賛辞を与える著者の眼力も見事なものがあります。
日本人でもこれほどの文章表現はなかなかできますまい。
日本の漢字文化をデザインという視点で、もう一度見直したいものですね。
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Aさんからの手紙の中には「時代の流れでしょうか、大人の作品がだんだん減少して来ているように思います」とも書かれていました。
文化は大人でなくては担えないのです。私も文化を担える大人になれるのでしょうか。
少し考えてしまいました。
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