北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

西郷隆盛が語ったこと~西郷南州遺訓

2015-03-21 23:38:33 | Weblog

 

 年度の変わり目に本棚の整理をしていたら「西郷南州遺訓」が出てきました。

 西郷南州というのは西郷隆盛のことで、南州というのは彼の雅号。「南州」とだけ書かれた書が残されています。

 さて「西郷南州遺訓」は「南州翁遺訓」などとも言われますが、出羽の旧庄内藩主の酒井忠篤は明治三年に部下とともに鹿児島に向かい、藩士約八十名で軍事教練を受けます。

 このときの縁で、後に西郷隆盛が征韓論で敗れて鹿児島へ戻っていたときに、旧庄内藩士が隆盛を訪れていろいろな話を聞き、教えを乞うていました。

 西郷隆盛は西南戦争に敗れて官位を剥奪されていましたが、明治二十二年に大日本憲法が制定された折に名誉を回復し、上野に銅像が建てられました。そしてこのときにかの酒井忠篤が発起人のひとりとなって、西郷隆盛の生前の教えをまとめさせたものがこの「西郷南州遺訓」というわけです。

 全体は41条と追加で3条があるという短いものです。しかしその一言一言に含蓄があって、なるほど、単にはずみで明治維新をくぐりぬけた人というのではなく、世の中の道理や為政者のあるべき姿を多くの書物で学んで自らの中に体現した、まさに日本の歴史上まれに見る英雄であることが良く分かります。

 
 四 万民の上に立つものは、己を慎み、品行を正しくし、ぜいたくを戒め、倹約に努め、仕事に勤労して人民の標準となり、下々の民がその勤労を気の毒に思うようでなくては政治を行うことは難しい…

 二十五 人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして人をとがめず、我が誠の足りないことを尋ねるべし。

 二十六 己を愛するのは善からぬことの第一である。修業ができないのも、事が成就しないのも、過ちを改めることができないのも、手柄を誇り驕慢になってしまうのも、みな自分を愛するからである。

 三十 命もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものだ。この始末に困る人でなくては、艱難を共にして国家の大業をなしえることはできない…


 たまにこういう古典を読み直すと改めて心が震えます。しかし実際は、いくら読んでもすぐに忘れてしまう情けない自分です。

 せいぜい良書は手に近いところに置いて、何度も読み返すように努めます。

 整理しようとしてこういう本を見つけると、また読みふけってしまって整理ができないんですが…(笑)

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未来予想は当たる?当たらない?

2015-03-20 22:26:01 | Weblog

 

 新人を採用するときに私たちは履歴書を参考にします。その人の過去にどんな道を歩んできたかが良く現れているからです。

 どんなクラブ活動をしていたか、どんなボランティア活動をしていたか、どんな資格取得にチャレンジしたか…などを見れば、どんなことに人生の価値観を感じているかがわかるはずです。

 先日、職場の課長同士の会合で、ある課長がこんなことを言っていました。

「昨年採用して地方に配属した新人職員の様子を先月見に行ってきたんだよ。そうしたら採用のときに比べて目の色が変わっていたんだ」
「へええ、やる気がいよいよ満ちていましたか」

「その逆。なんだかちょっと疲れた感じだった」
「ええ?そういうときは『目の色が変わった』とは言わないんじゃないですか(笑)。でもその理由はなんでしょう?」

「うん、どうやら久しぶりの新人だったので、先輩や上司たちが心配しすぎて干渉をしすぎたかもしれないね。だいぶ歳も離れてしまっているので、同じ歳くらいの仲間がいないとちょっとかわいそうだと思ったよ」


      ◆   


 反対にこんなことを言う人も。

「私のところは、採用のときに(この子はもつかなあ…)と心配だったんですが、そんなこがちょっとした周りの会話でも聞き耳を立てていたり、分からないことは臆せずに先輩に訊いてくるし、振舞い方が立派なので驚いています。見た目とか印象って当てにならないものだな、とも思いますが、逆に成長の過程で周りが良い影響を与えてやれば、どんな瞬間でも心を入れ替えて本気になるということがあるんだ、とも思いました」

 人の成長にしても災害の発生にしても、私たちは本当に未来のことが読めないものです。

 でも災害には備える姿勢で、人の育成は焦らずしかもまなざしを絶やさないようにして見守ることで未来を受け止めるべきなのだと思います。

 予想できない未来への備えを欠かさないようにいたしましょう。

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アレルギー性鼻炎なら港町に行こう

2015-03-19 21:35:45 | Weblog

 今年は雪解けが早いので花粉の飛びも早いよう。

 アレルギー性鼻炎の兆候が見えたので、例年より三週間くらい早くいつもの耳鼻咽喉科を受診しました。

 そういえば昨年六月に、ドクターから「アレルゲンの状況を見てみるかい?」と言われて検査を受けていました。

 今日受診するとその記録がカルテに載っていて、「あー、ハンノキ、シラカバ、ダニ、ハウスダスト…スギもちょっと出てるねえ」と残念そうな声。

「はあ、スギは内地にも何年かいましたから」
「今年はもうハンノキの花粉は飛び始めていますよ。どれどれ、ちょっと鼻を見せて…、ああ、アレルギーが出始めてますね」

「釧路のときはそれほどアレルギーが出なかったんですが…」
「港町はいいんですよ。花粉が来る方向が限られるから。釧路だったらそれほどシラカバやハンノキも多くないし。札幌はだめだよ。四方をシラカバに囲まれた内陸で、舗装されている上に自動車の排気ガスも多いからね」

 例年と同じような薬を処方してもらってことしもいよいよ花粉の季節に突入です。

 アレルギー性鼻炎に良いとされるヨーグルトやお茶を飲んで春を迎えることにします。

  

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情報の差を埋めたらお客が集まってきた

2015-03-18 21:47:43 | Weblog

 JBpressというビジネス情報サイトに、「『情報の差』を埋めたらお客が集まってきた」という記事がありました。

 そのちょっとしたことを知っているかいないかで、売れ方が変わるんだそうですよ。


【「情報の差」を埋めたらお客が集まってきた】
   http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43189

 和歌山県有田郡湯浅町湯浅にある食品卸業「とち亀物産」を訪問した。資本金1000万円、従業員数19名(正社員10名、パートタイマー9名)の零細企業である。有田みかんをはじめとする和歌山の農産品、水産品、加工品などを扱っている。

 周知の通り卸売業は成長産業とは言えず、利益率も低く淘汰が進んでいる厳しい業界である。その中で、従来の卸売業にとどまらず、インターネットに商品を提示して直接消費者に売る小売り業への参入を試みる企業が増えている。

 しかし、ネット通販はサイトの作り方、商品の見せ方などに多くのノウハウを必要とする。写真で見ていた商品と実際に送られてきた商品とはイメージが違うなどといった問題もある。そのため、卸売業者がネット通販に参入したものの失敗しているところが多いのが現状である。私がかつて指導をしていた菓子卸売業も、ネット通販を手がけて3年近くなるが、赤字の状態が続いているという。

生産者にとっては常識でも、消費者は知らない
 そんな中で、今回訪問したとち亀物産は、卸売からネット通販に主力事業を移して成功した企業である。ほとんどの同業者が失敗する中で極めて稀なケースと言っていい。同社が成功できた秘訣を紹介したい。

 その最も重要なポイントは、「情報の差を埋める」ことに全力を傾けたことである。生産者が持つ情報と消費者が持つ情報とには大きな隔たりがある。これは、流通業に勤めている人なら誰でも知っている常識だ。

 例えば、和歌山のみかん農家は、みかんについて多くの情報を持っており、知識も豊富である。しかし、消費者はみかんについての専門的な知識や情報は乏しい。おいしいみかんとは一体何だろうと問われても、正しく答えられる人は少ないはずだ。

  例えば、サイズは小さい方がおいしい、美しくきれいなみかんよりスレキズのあるみかんの方がおいしい、皮を剥きにくいみかんが実はおいしい・・・などの情報は生産地の人ならではの情報である。

 昔は卸売業者がそうした情報を小売店(八百屋)に伝え、小売店の店員がお客さんに伝えていた。しかし、現在のスーパーの店員には、そうした情報が全くと言っていいほど伝わってこない、あるいは、スーパーの店員がそうした情報をお客さんに伝えなくなった。例えば「はるみ」「せとか」といった最近のみかんについて、店頭で詳しく説明できる店員はほとんどいないのではないか。

 つまり、商売の基本である情報間隔差への埋め合わせ、すなわち商品知識・商品情報の説明ができていないのである。

 専門的な知識をしっかりと消費者に教えることによって売れ行きや売り方が変わってくるということを小売業者は理解しなければならない。農家でみかんを作っている人からすると当たり前すぎて、おいしいみかんの見分け方などの情報を教えてくれないらしい。そのため、とち亀物産の上野真歳社長は、生産者組合の会合に出席したり、多くの生産者との話し合いをしたりして生産情報を熱心に収集したという。

 生産者の持っている情報と消費者の知識との隔差を見極め、そのギャップをどのような説明で埋めるのか、どのように訴えるのか、が小売業の根幹である。「ジャパネットたかた」の成長が、消費者にいかにわかりやすく訴え、いかに親しみを持って使ってもらえるかという説明の仕方に支えられていたのは、周知の通りである。

「こんな当たり前のことを教えてもらっても何の役にも立たない」という流通業者が多いかもしれない。しかし、とち亀物産の上野真歳社長は、この事実に行き当たるまで何度もトライ&エラーを繰り返している。そして、消費者は知らないだろうと思われる生産情報をしっかりと説明するようになってから、みるみる業績が上がっていったという。

 (…中略…)

 今までの日本経済は、農業にしろ製造業にしろ「作る」人が中心を担ってきた。ところが今や作るだけでは立ち行かない。作ったものを、いかにうまく見せ、いかに買い手を納得させ、いかに販売するかという生産から販売までの流れを全うしなければ、業績を上げることが難しくなってきている。

 韓国や中国の企業は、日本の高い技術を真似して上手に世界に売りさばいている。日本の製造業が巻き返しを図るには、いかに売ることに力を入れられるかであろう。農業改革も同様だ。今までは、作った作物をうまく売る方法を知らない農家が、農協に上前を撥ねられ、低所得になっていた。本当の農業改革は、農家一人ひとりが売ることに情熱を傾け、売る工夫をすることから始まるのではないだろうか。

 
  ----------

 
 タイトルにあるように、「情報格差を埋めたらお客が集まってきた」ということを額面通り受け止めて何でも当てはまるというのは早計かもしれません。

 ビジネスでは、モノを売りたい方は自分の商品について知りすぎていて、しっらだけで売れるのかともおもいますが、それでも中にはちゃんと情報を提供することで消費者の関心を引き、商品が売れるようになると言うことはあるはずです。

 しかし情報を提供するといっても、そのやり方にも様々な方法があって簡単なことではありません。
 
 無味無臭の事実を書き連ねることは必ずしも情報提供とは呼べません。情報を提供した方は「提供したつもり」になっていても、受け取る側がそれを共感を持って受け入れてくれると言うことがなければ単なる文字の羅列に過ぎないのです。

 いかに良質の「物語」として提供できるか、というところがポイントなのだと思います。

 ニッカのウィスキーに秘められた竹鶴政孝とリタの物語を見てニッカウィスキーを買いたくなった人は多いはず。

 これだって、事実は元々あって以前から情報としてはあったものを、NHKの朝ドラという物語で語られたからシンパシーが湧いたに違いありません。「どうせ買うなら…」というわけです。
 
 情報は質の高い物語にして、それが買い手の幸せにどう繋がるかを伝えましょう。

 

 

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除雪~そのリアリティを伝えたい

2015-03-17 23:42:04 | Weblog

 全道の国道を除雪してくれている建設業者さんたちが集まる会合に参加。

 話を聞けば地域ごとの雪の降り方が例年にない状況だったことが分かります。

 例年は雪が多い函館、空知、上川、宗谷管内は雪が少なく、反対に雪が少ないはずの釧路、網走、十勝館内は雪が多くて驚いたとのこと。

 釧路の業者さんからはは、「釧路の除雪車のオペレーターは除雪に出る機会が少ないから下手だというのが定評だけど、今年はいい練習ができたので腕が上がりました」という挨拶がありましたが、冗談はさておき道東はそうとう出動機会が多かったよう。

 同じ会合に十勝の業者さんが来ていて、「小松さん、彼のところと私のところで釧路管内の浜中町と羅臼の支援に行ってきましたよ」と紹介されました。

 普段通りの管内除雪に出動しているところで、「管外だけど支援に回ってくれ」という要請の連絡が入ったそうですが、「現地へ向かうオペレーターから『お金の持ち合わせもないし、替えの下着もありません』という連絡があったので、財布から何万円かもたせて行かせましたよ」とのこと。

 臨機応変な対応で現地は助けられました。

 現場で苦労している皆さんからの生々しい話は実に興味深いのですが、これを上手に世間に伝える術がなかなかみつかりません。

 
 福島第一原発で実際に作業をした竜田一人さんが描いた漫画「いちえふ」が話題です。この作品では、過酷さだけが強調されがちな原発労働者のリアルな日常が描かれ、第1巻は10万部を超える大ヒットとなっています。

 作者に対するインタビュー記事がBLOGOSに掲載されていました。

 こういう現実を知る人が描くリアリティが除雪の世界にも欲しいなあ。


【BLOGOS】原発の中も外の会社とそれほど変わらない」
    ~漫画「いちえふ」作者・竜田一人氏インタビュー~

   http://blogos.com/article/106976/

 

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クールジャパン?チャイナも結構クールです

2015-03-16 18:54:07 | Weblog

 最近は海外からの観光客が「日本すごい!」と驚きつつ褒めてくれる論調の文章をよく目にします。

 違った文化圏から来ると、当たり前の基準が違うので驚くことが多いですし、それを自分たちの生活と比較してその差に気がつきます。

 「自国に生まれて良かった」とか「これは反省してより良い暮らしにつなげよう」といった気持ちに繋がるのは旅の良いところですね。

 さて、中国情報の和訳サイト「レコードチャイナ」に、今度は日本人が北京で生活していてみつけた「cool China(かっこいい中国)」についての文章がありました。

 国が違うとかっこよさも違いますよ。


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 5歳の娘のメンツを立てた中国人、日本人が北京で見つけた「粋」

 12日、先月5歳になったばかりの娘と、国貿商城のスケート場に出かけた時のこと。お金を払って物を買う仕組みをようやく理解し、また何とか中国語でコミュニケーションが取れるようになった彼女は「自分で!自分でお水買ってくる」と言い張る。写真は北京。

 2015年3月12日、「ママ、のどが渇いた」。先月5歳になったばかりの娘と、国貿商城のスケート場に出かけた時のこと。お金を払って物を買う仕組みをようやく理解し、また何とか中国語でコミュニケーションが取れるようになった彼女は「自分で!自分でお水買ってくる」と言い張る。筆者が「お釣りをちゃんともらってきて」と財布から10元(約190円)を取りだすと、「まかせて!」と娘は一目散にサブウェイに駆けて行った。


 しばらく経って、娘が店から出てきた。右手に握った紙コップには水が入っているらしく、こぼさないよう慎重に歩いてくる。「紙コップのお水を、買わされた?」と筆者は思った。

「お釣りは?」と声を掛けると「あるよ!」。小さく左右に振って見せた左手に数枚の1元札。てっきりペットボトル入りのお水を買ってくると思っていた。「温水器から酌んだ紙コップの水なら、無料でもよさそうなもの。しかし、お釣りがあるということは、お店は1元くらい取ったかな?」

「はい、お釣り」。そろりそろりと呆れるほどの時間をかけてベンチにたどり着いた娘は、筆者にお札を押し付けると、喉を鳴らして水を飲み干す。その横でお釣りを数えた筆者は驚いた。10元。もう一度数えた。5元札が1枚と、1元札が5枚で10元。紙コップの水は、やはり無料だった。

 サブウェイの店員は、片言の外国語で買い物に来た、小さいお客の「メンツ」を立ててくれたのだ。娘が「買い物ができた」と思えるよう、わざわざ10元を受取り、お釣りに見立てて細かいお金に変えてくれた。「あぁ!おいしい!」。自分の力で買えたと信じ込んでいる娘に、その水の味は格別だったと思う。

 日本に「粋(いき)」という言葉がある。江戸時代に生まれ「人情に通じ、その身なりや振る舞いがカッコいい」ことを意味し、日本人の美意識を表す言葉。大学で日本文学を少々かじった筆者はサブウェイの店員の振舞いに、まさにこの「粋」を感じた。

 一方で「これが日本だったらどうだろうか?」と考えた。おそらく子どもに水を手渡し「お金は要らないよ、飲んでいいよ」と言うだろう。サブウェイの店員のような対応はまずあり得ないだろう。万が一あったとしても、必ず親を探して言うだろう。「本当はタダですが、お子さんの気持ちを考えて、こうした対応をしました」と。これは「粋」ではない、「無粋(ぶすい)」である。

 2014年は中国から日本への旅行者が240万人を超え、統計史上、最多人数となった。日本へ行ったという中国の人々は、筆者が日本人であることを知ると「日本は清潔だ」、「サービスが良い」と褒めてくれ、また「中国人はうるさいでしょう?」、「中国人はマナーが悪いでしょう?」と問うてくる。確かに、そうした面があることは否めない。夜景を見ながら静かに食事を楽しむレストランでは大声で話さない方がいいし、チケットや切符を買う時の列はきちんと守るべきだ。

 しかし、小さい子どもに対するサブウェイの店員のような振舞いはどうだろう?この点において、筆者は中国に日本が学ぶべきところだと感じる。筆者が仕事で中国に来てから1年が経つ。夫は日本で仕事をしており、北京の生活は娘と2人だ。それゆえ、中国の人々の娘に対する「粋」な振舞いには本当に頭が下がる。

 満員のバスでも必ず誰かが子どもをひょいと膝に乗せてくれる。スーパーで干しブドウの山に興味を示している娘にそっと味見用のそれを数粒握らせウィンクをくれる。地下鉄の長い階段では後ろから娘をスッと抱き上げ、上りきったところでポンと下ろし足早に去っていく。江戸にも北京にも「粋」な人々は結構いるのだ。

 日中の間には様々な課題が横たわる。「Cool Japan」、「Cool China」というお互いの優れた点を認め、学び合う姿勢があれば日中間は多少のギクシャクがったとしても大丈夫と感じている。

(文:佐々木美穂・国際協力機構・中華人民共和国事務所次長)

(提供/人民網日本語版・編集/武藤)

【レコードチャイナ】 http://www.recordchina.co.jp/a104162.html


        ◆     


 日本式の親切が、全ておいてかっこよくて素晴らしい、と言うわけでもないようです。

 人と人との関わりの中に、ちょっとした思いやりや「粋」の心があると人生は豊かで幸せに感じられますね。

 "他人から与えられた善意を3人に返す” そういう風にすると世の中は幸せが膨らんでいく。

 ハーレイ・ジョエル・オスメントが主演して2000年に公開された映画「ペイ・フォワード」はそんな映画でした。 善意も自分に留めずに利子をつけて返せば良いんです。

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これは美味い!「茅の舎(かやのや)」の出汁

2015-03-15 22:02:08 | Weblog

 

 昨晩から娘夫婦が二人の孫を連れてお泊りしに来ました。

 上の孫はまだ二歳半ですが真剣に遊ぶと結構体力が必要です。

 娘夫婦は婿さんも孫も蕎麦が大好きなので、今日の昼はいつもの手打ち蕎麦。ここのところずっと「切り」の工程がスランプで、蕎麦の太さが安定しなかったのですが、原因を突き止めてようやくスランプを脱出したよう。長いスランプでした。

 
 さて、蕎麦打ちも常に新しいことにチャレンジしていかないと進歩も発展もありません。お店で安定した蕎麦を出すプロとは違うので、素人蕎麦打ちは何か変化に挑戦して新しい気づきを求めるべきだと思います。

 今日の挑戦は出汁を替えてみたこと。普段は土佐高知県の本枯れ節と宗田節を使っているのですが、今日は出汁関係の食材で大人気、久原本家グループ「茅の舎(かやのや)」さんの「極みだし」を使ってみました。

 中身は一袋8グラムの出汁パックが5袋入って税込648円。出汁パックの中には、本枯れの鰹節、煮干しエキスパウダー、まぐろ節、焼きあご、昆布などが入っていて、化学調味料・保存料は無添加が売りです。

 蕎麦のつけ汁をつくるときは、鰹節は出汁汁の5%が相場。400mlの出汁汁を作るならば鰹節を20g使って20分くらい煮出すのです。

 今回はちょっと勝手がわからないところですが、袋の説明書きには「濃い出汁を取るときは極みだし2袋に水500mlとあったので、とりあえず水400mlに2袋を使ってみることにしました。

 水の状態でパックを入れて、沸騰してから1~2分で取り出せ、とあるのでその通りに作ってみましたが、この出汁の出方は半端ではありません。とっても濃くて味わい深い出汁が出ています。これはすごい!


 この出汁汁に作ってあった「かえし」を入れて蕎麦のつけ汁を作りましたが、家族中から「これは美味しい!」と絶賛の声。お値段だけ見ると高い出汁ですがこれは価値ある味わいです。

 残った蕎麦汁を蕎麦湯で割って飲んでも、出汁の旨味がスーッとどこまでも伸びていく。出汁が効いているんです。商売ではちょっとお値段が張るので使えないかもしれませんが、素人だからこそ贅沢もできるというもの。

 会社のこだわりと誠実さがそのまま出ている見事な商品で、各種有名デパートにも入っていて大人気なのもうなづけます。


       ◆   


 今回私はこの商品を、札幌駅の大丸デパート地下売り場にあるのを知って買い求めに行きました。お店では出汁だけではなくて鍋のスープセットやドレッシングなど様々な商品が陳列されていましたが、お客がレジに列になっている人気ぶり。知っている人は知っているんですねえ。

 実はこのお店の存在は「致知」1月号で記事を読んで知ったのですが、なるほどこの味わいは本物。

 商品はお近くのデパートで見るか、通信販売でも取り寄せ可能です。一度味わってみてください。本当に美味しかったです。


【久原本家】 http://www.k-shop.co.jp/

 

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子どもたちの中に眠る宝を引き出せ~致知4月号より

2015-03-14 23:27:16 | Weblog

 今月号の雑誌「致知」に、「七メートルしか泳げなかった生徒が千メートル以上泳げるようになり、マット運動ができなかった生徒が体操で九州四位になる」という指導をしている体育教師、下野六太先生が紹介されていました。

 その卓越した指導方法はいかに確立されたか、またその指導法に込められた下野先生の思いとはなんでしょう。


 下野先生の体育指導は「体育が得意な子は良いとして、体育が苦手な子たちを運動ができるようにして『やればできる!』という成功体験をシャワーのように浴びせてあげることに力を入れている」と言います。

 下野先生は、「ビフォーアフタービデオ」という指導前の状態と指導後の状態をビデオに撮って成長ぶりを確認できるようにします。

 ある生徒は指導を受ける前に15メートルしか泳げなかったのが、十時間の授業を受けた後に825メートルも泳げるようになったそう。そしてこうしたビデオを授業で全員に見せることで達成感を味わわせると、それが子供たちの自尊感情に繋がっていくのだそう。

 「今の日本の子供たちは自尊感情がとても低いんです。自分には価値がないと思い込んでいる。それに対して大人たちは『あなたには価値があるんですよ』ということを実感させなくてはなりません。
 言葉で言うだけでなく、本人に実感させることが大切であって、学校教育の中でどれだけ子供たちの自尊感情を高めてあげられるかが、われわれ教育者にとって勝負だと思います。
 今掛けた言葉は相応しかったのか?と試行錯誤を繰り返す。生徒たちに課題をあたえて、それをこなしていくのを腕組みしながら見ているとか、そんなことでは生徒は伸びません」

 --具体的にどのように導いておられるのですか。

下野「例えば水泳のクロールで小学校まで一度も25メートルを泳いだことがないという生徒には、クロール学習の三つのポイントを教えます。するとそれを理解し、そのとおりに実践するだけで最初の授業時間内に十人のうち三、四人くらいは25メートルを泳いでしまうんですよ」

 --ああ、言葉だけで。

下野「言葉だけですが、その一つが『リラックス』。二つ目が『毎回息継ぎ』。三つ目は『バタ脚ではなくパタ脚』。たったこの三つだけなんです。
 体育の授業でなぜ成果が上がりにくいかと言うと、技能のポイントを生徒たちに教えるときの言葉の制度が低いと思っています。曖昧な言葉をあいまいなまま、生徒たちに投げかけているわけです。生徒たちも分からないままやるから結局できない」
 
 体育の指導をする際、この『リラックス』という言葉ほど曖昧な言葉はないと思っています。人によってイメージするものが違いますからね。
 私はクロールの時には、『浮いているついでに泳ぐというのがリラックスなんだよ』っていうんです。あなたは浮いているんですか、泳いでいるんですかと質問されるような泳ぎ方がリラックスで、飛沫を上げながら一所懸命に泳いだら絶対ダメなんだと。

 そうすると心拍数もそんなに上がらないから毎回ゆったりと息継ぎができる。脚はバタバタじゃダメ。パタパタくらいでいいし何ならしなくてもいい。
 これを耳にタコができるくらい言うわけですよ。『今頑張らなかったか?一番目はリラックス、浮いているついでに泳ぐんだよ』と。こういうことを繰り返し繰り返しやっていたら、生徒たちはみんな千メートル泳げるようになるわけです」

 --授業では言葉がとても大切なのですね。

下野「私は水泳の授業が始まる前に『みんな、泳げるようになると思うか?』って生徒たち全員に聞くんです。『信じられない人』って問いかけると、みんな手を上げる。わざわざ手を上げさせておいて、その時の記憶を強烈に刷り込ませるわけです。そうするとできた時の喜びが何倍にもなるんです。
 その時に大事なのが、先生からアドバイスを受け、励ましてもらったけど、やったのは全部自分自身だという感覚です。自分でやる気を引っ張り出して、諦めずに何度も何度も挑戦をしたらできた。その達成感があればこそ、アフターの映像を見た時に、この感想文のような感動が生まれると思うんです。
 ですから、私が目指しているのは、自分の中に眠っている宝を生徒たち自身で引っ張り出すように導くこと。その達成感と喜びを一緒に味わいたいんです」

 --誠実な教育市井の源になっているものは何ですか。

下野「二十代でこの言葉に出会ったことが、私の人生を変えました。
『若き人はそれなりの計算も必要ではあるに違いないが、ともかく当たって砕けろとの心意気がなくてはならない。これから現実の未知の世界を乗り越え登攀してゆくには計算だけでは臆病になってしまうからである』

 この言葉を知った時には、まさしく自分のためにある言葉だと思うくらい深く心を打たれました。

 この言葉に出会って気が付いたのは、人生と言うのは二者択一の連続ではないかと言うことでした。そして、人から何かを頼まれたときに『できません』と言っていた『NO』を消して『YES』に変える。『わかりました、させてもらいます』と答えて、それを懸命に実行するようにしてきました。

 最初はなんで自分ばかりこんなに大変なんだろうと愚痴や不平不満が出てきました。三十代の終わりに、それを心の中から愚痴、不平、不満を消すことにしました。自分の人生から愚痴、不平、不満がなくなると心が軽くなりました。これらをなくすと残るのは何だと思いますか?残るのは感謝です。
 そうするともう人生ってこんなに面白いのかっていうぐらい一変するんです」

  --その結果、生徒に喜びを与えられる存在になられたわけですね。

下野「生徒たちは『宝』です。もう本当に『宝』に見えます。われわれ教育者は、いかにして生徒たちの中に眠っている『宝』を引っ張り出すことができるか。何度も繰り返しますが、それこそが全てだと実感しています」


       ◆   


 下野先生の情熱あふれる、しかも子供たちに言葉でスキルを具体的に伝える力は立派だと思います。

 私たちも職場で部下や若い人たちを"指導、育成せよ"と言われるのですが、つまりはこの下野先生と同じように、自己肯定感をもたせることや、具体的なスキルと言葉で伝えてやらせてみる、という力が必要ですね。

 職場のチームの一人一人の中に眠る「宝」を引っ張り出してこそ本当の上司と言える。

 あらためてそうありたいと思いました。


 

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「日本人の国土観」を読んで我が国の国土を考える

2015-03-13 23:28:16 | 本の感想

 

 旧国土庁で、四全総をはじめとする国土計画に携わられた栢原英郎さんが、日本人の国土に対する考え方について考察された「日本人の国土観」という本を読みました。

 前段はこれまでの国土計画の歴史と、国土観からくる地域の発展モデルなどの紹介がありましたが、興味深かったのは、国土観についての三名の方との対談の部分。

 国土計画分野に指導的な立場で各種審議会や委員会でご活躍されている森地茂先生、「ローマ人の物語」のなかでローマ人が作り上げた国づくりとインフラについて暖かいまなざしをもって現代のわれわれに伝えてくれた小説家の塩野七海さん、そして現代の若者の生態を鋭い視点で切り取る社会学者の宮台慎司さんの三人です。

 切り口の異なるお三方と栢原さんとの対談には興味深い対話が多くありました。


       ◆  


 まずは森地先生から。

 森地先生は、カナダ人が作った一風変わった洛星中学・高校へ通われて非常に印象的な教育を受けたと述懐されています。

 なかでも修学旅行は一般的に皆東京へ行ったときに、専用列車で二十九時間かけて北海道まで行ったそうです。そしてあまりに違う風景、美しさ、スケールの違いなどにショックを受けて、それいら地域というものに興味が湧き、全国を旅して結果としてご自身の国土観が醸成されたとおっしゃいます。

森地「…ところで、北海道は不思議で、京都も北海道も両方とも全体的に良いイメージがものすごく高い。少なくとも全国的に、誰もが好きといっていいでしょう。つまり、京都とか北海道というと、あるイメージが湧く。それを最初から持っているのはものすごいメリットです。

 あと国内では瀬戸内海とか、富士山とかありますが、北海道と京都は、特別にそういう意味で有利な位置にいます。

 ところが不思議なことに、京都のイメージはたかだか六キロ四方の中で、東山と嵯峨野が違うだの、春と冬は違うだの、漬け物はどっちがうまいだの、ものすごく多重にイメージを作ろうとしてきました。

 ところが北海道は不思議なところで、南北の距離が東京から明石くらいある。納沙布から積丹、襟裳岬から納沙布、稚内、それくらいの距離のところなのに、どこへ行っても同じイメージです。どこへ行ってもイカとホタテと広大な農地で、多様性を売ろうという意識があまり感じられません。どこへ行っても『うちは北海道』(笑)。これはとても不思議なことです。要するに、道内の地域間が醸成されていないように見える。これをなんとかしないと、地域が色々な意味で頑張っていかないだろうと思います」

栢原「自分たちの地域をどう見るのか、どう評価するかという地域の国土観や地域観は、国土計画や地域計画づくりのみならず、個別のインフラの整備に当たっても益々重要な要素になると考えています。例えば北海道で政策をまとめると必ず『フロンティア』という言葉が入ります。内容を突き詰めると結局は『未利用の土地がいっぱいあります』ということだったりする。空き地を売り出す不動産屋の広告の印象があります。他人のイメージで自らの土地を見ており、自分たちの地域を自分の目できちんと見ていないのではないかと感じます。これでは良い地域計画が出来るとは思えません」

森地「…大学の先生も財界の人も、北海道とは近いからナホトカとか樺太との関係で地域づくりをしようとおっしゃるんです。地政学の問題を距離だけで捉えるなんて明らかに間違っている。つまり、台湾の人がなぜ北海道にたくさん来るか。自分たちの住んでいるところと違うから来るのです。地域戦略は『近い』ということ以外にたくさんあるのに、北海道のほとんどの人は『近い』ということだけに着目した戦略を言うのですが、これは不思議です」


       ◆     


 続いて塩野七海さん。多くの歴史家が、いつ何がつくられたか、ということを記述するのに対して、塩野さんは「なぜそれが作られたのか」ということに強く興味をもったと言います。

栢野「一般の市民もインフラの大切さを理解していたのですか」
塩野「ローマ法では私有軒が非常に重視されたけれど、インフラのための用地について何か問題が起こったという記録はありません。そうでなければあんなに真っ直ぐに道が通り、あんなに真っ直ぐに水道橋が通るはずがない。こういうのを公共心と言うのですね」

栢原「市民の公共心が高かったということですか」
塩野「インフラの目的がはっきりしていたことも、理由の一つでしょうね。道路や水道は絶対に必要だから作ったのであって、決して政治家のために作ったものじゃないということがはっきりしているからです。現代の指導者よりはるかに強大な権力を持っていたにもかかわらず、古代ローマ帝国で『自分の別荘の近くに街道を通せ』なんて言った人は一人もいない(笑)。

 それからもう一つ、整備の考え方が公平なのです。水道の場合には、自分の家に挽くときは金を払う。甕(かめ)を下げて街角の水汲み場から汲んでくる場合は無料です。さらにすごいのは、水道の優先順位です。渇水期に何を優先させるかというと、街角の公共水道口です。その次に優先されるのが公衆浴場。工程の宮殿なんぞは後回しです」


       ◆ 


 最後は社会学者の宮台慎司さん。

栢原「国土計画などをつくるときに感じるのは、地域に入ってよく聞くと、この地域は遅れているからもっと手当てが必要だ、と思っているのは県庁や役場、商工会議所の人だけで、住民は日ごろの生活で満足している。そういう傾向が強くなっている中で、身近ではない国土観だとか国土計画を作ることの難しさを感じます」
宮台「悪循環ですね。かつて丸山眞男が『日本人には作為の契機が乏しい』と言いました。『社会とは然るべく作り出されたものだから、ちゃんとメンテナンスしないと駄目になる』という感覚がなく、山や川のように在るものだと思っていることです。『自覚的に選択して維持しないと社会が回らない』という感覚が日本人に乏しいのは事実です」

栢原「属している社会に対するコミットメント(=関わっていくこと)がほとんどないということが問題です」
宮台「日本で『公共に貢献して行こう』と言うと、『何をやってもこの国はダメ。多少崩壊速度が遅くなる程度。そんな無駄なことをやってどうするんだ』という揶揄が必ず出てきます。でもそれが一体どうしたというのでしょうか。

『どうせ崩壊するのに何やってんだよ』と言う揶揄は合理的に見えますが、それは『お前どうせ死ぬのに何やってんだよ』と言う揶揄と同じです。そうした揶揄をするヤツ自体がのうのうと生きているのですから、あまり大きな口を叩くべきではないんです」


       ◆ 


 もちろん対談はもっと長いもので、目からウロコの表現も多々あるのですが、国土計画に関わって興味深いところだけを抜き出してみました。

 普段あまり考えない国土のあり様や国土観ということですが、もう一度私たちの国の国土というものについて考えてみてはいかがでしょうか。

 誰かエライ人に任せてしまって自分は考えないというのではいろいろなものが見えなくなってしまいそうですよ。
 

 

 

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何気ない日常が失われると

2015-03-12 22:50:01 | Weblog

 私は札幌市内に住んでいるのですが、通勤には家の近くの停留所から「小樽発札幌駅行き」の急行バスに乗ることが多くあります。

 普段はそれほど混んでいなくて、乗車すればまあ何とか席に座れるのが普通なのですが、それが昨日はぎゅうぎゅう詰め。

 立っている乗客も多く、車内がなにか普段とは違う雰囲気なのです。

 混雑を押してやっとのことで乗り込みましたが、普段だったら途中で何人も降りるはずの停留所でもほとんど客が降りませんし、終着の札幌駅で降りるのは数人というところが今日は八割が札幌駅までバスに乗ったままです。

 変な違和感の原因にようやく気がついたのは、乗客の中に通勤とは思えない旅行用カバンを持っている人が何人もいたからでした。

(なるほど、JRが不通なのでみんなバスに切り替えているんだ)

 三月十日にJR函館本線の朝里~銭函間で発生した土砂崩れの処理がなかなか終わらずに、小樽から札幌へ向かう通勤電車の開通目途が立っていないのです。

 そのため旅行者も通勤の人たちも皆代替輸送機関であるバスを利用せざるを得ないわけで、普段混まないバスがぎゅうぎゅう詰めになるのも道理というわけ。
 
 14日まで復旧の目途が立たないということなので、不便はまだまだ続きそうです。


        ◆  


 朝に小樽へ向かくバスがそうなら当然帰りだって混むわけで、札幌駅発小樽行きのバスはもう最初から列を作って大混雑。

 小樽方面行きの高速バスを走らせている中央バスも、臨時便を手当てしてくれて、次々にバスを停留所へ寄せますが、何しろ乗りたい客が多いので混雑は当然。

 私も何とか乗り込むと、意外にもバスはまだ座席が数席空いた状態。始発で満員に乗せると、途中のお客さんを乗せられないので余裕を持たせて出発です。

 しかしそれでも途中のバス停で乗り込んでくるお客は少なくありません。

 札幌市内を走りながら運転手さんは車内の乗客に、「皆様の中で札幌市内でお降りになるお客様はどれくらいいらっしゃいますか」と車内放送で声を掛けました。

 私を含めて十人くらいが手を挙げましたが、これは札幌市内を出ると高速道路に乗ることになり、そうなるとシートベルトの関係で乗客を立ったままでは乗せられないということの心配をしているよう。

 運転手さんの気苦労も加わって、まだまだ混乱は続きそうです。

       ◆  


 正常な日常の交通がどれほどありがたいかは、それが無くなってみて初めて分かります。

 我々も日常を守る立場です。「他山の石」として気を引き締めなくては。 


   

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