北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

オフィスの節電努力 ~ これでもまだ足りないのか

2018-09-10 22:38:24 | Weblog

 

 週末の休みを終えて、今日から一般企業は本格的な業務開始。

 先週までのざわざわした雰囲気はまだ残っていますが、少しずつ世間は日常を取り戻しつつあります。

 そして被災して大変な思いをしている厚真町や安平町、むかわ町などの被災地と心を一つにして、道民一体となって節電に取り組まなくてはなりません。

 今日は職場に、経済産業大臣と北海道知事の名で、可能な限り節電に取り組んでほしい、という要請文が届きましたが、言われるまでもなく、職場を挙げて節電に取り組むつもりです。

 目標は、8時30分~20時30分の間に平常時よりも2割の節電を果たすことです。

 まずは室内の照明の消灯で、人のいない部屋やエリアの照明を消し、さらに部屋を照らす蛍光灯も支障のない範囲で機器からはずしてしまいました。

 さらにオフィス内に5台あるプリンターですが、動かすのを1台にして、他の機器はコンセントから抜いて待機電力もオフにしました。

 私の部屋も、天井の照明を消して電気スタンドで我慢するのと、プリンターをコンセントから抜きました。

 使わない時間のパソコンはスリープにして節電を図ります。

 我々のオフィスとしてはできるだけのことをしたつもりですが、これでもまだ全道では15%弱の節電率だったようで、明日以降、さらなる節電努力を重ねなくてはなりません。

 私たちのオフィスが頑張ったところで、到底どうにかなるものではありませんが、「気は心」と申します。

 こうした気持ちを少しずつ積み上げるしかありません。

 北海道民の気質とやる気が大いに試されるところです。

 皆で頑張って、この苦しい状況を乗り越えましょう。

 明日も頑張るぞ!

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たとえ信号がなくっても

2018-09-09 23:44:45 | Weblog

 

 厚真町を震源地とする胆振東部大地震が発生した直後から、道内は大停電に見舞われて、地域内は混乱に陥りました。

 被災初日の9月6日に、自転車で出勤する道すがら、コンビニやホームセンター、大手薬局チェーン店などには開店前の朝8時頃から、長蛇の列ができていました。

 おそらく、水や食料、燃料などの生活必需品を求めての買い物の列だったでしょうが、どこも整然としていました。

 また、停電直後のためにほとんどの交差点では、通信号が点灯していませんでした。

 さすがに交通量の多い道路どうしの交差点には警察官が交通整理をしてくれていましたが、一カ所に数人の警察官がいて、歩行者の安全まで配慮しているせいか、随分効率が悪くも感じました。

 多くの人たちが車で出歩くことを自粛したこともあったでしょうが、交通量が普段に比べてずいぶん少なく、小さな交差点ではお互いが注意しあったり、譲りあったりして、交通事故やトラブルは全くありません。

 皆が、今日は信号がついていない、ということを前提に行動しているので、信号による強制的な秩序制御がなくても、お互いの呼吸で自制的に秩序を保っていられました。

 お互いに注意をしないといけない状態では、車の運転手も歩行者も自転車もバイクも、皆が注意をするのは当然です。

 交差点制御には、日本語で「環状交差点」または「ロータリー」、英語では"roundabout(ラウンドアバウト)"という、信号のない交差点があります。

 北海道には、旭川と釧路にしかないようですが、片方が交通量の少ない道路などでは、信号を使わずにお互いが注意をすることで効率的に交通制御ができそうに思いますが、一方で安全面が心配で踏ん切りもつかないようです。

 停電や節電をきっかけにして、ドライバーの安全意識にもっと信頼を寄せて、省エネで交通制御ができるように環状交差点を増やすことにはならないものか、と、信号の消えた道路を自転車で走りながら考えました。

 大規模停電で、まだまだ節電を求められる北海道ですが、私たちの暮らし方を省エネや自助努力を増やすように、見直す機会にできればよいのですが。

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災害時の暮らしを身近に

2018-09-08 23:46:46 | Weblog

 

 平成30年胆振東部(いぶり・とうぶ)地震から一日半が経ちました。

 私の住む札幌では、停電もかなり解消されてかなり落ち着きを取り戻しつつありますが、被災地になって気が付いたことを備忘録的に書き記しておこうと思います。

①現代社会は電気に頼ることを思い知る
 
 アウトドアは趣味の一つなので、明かりや煮炊きには困らないつもりだったのですが、一番の弱みは情報源であるスマホの電源でした。

 私は10,000mAhの充電式モバイルバッテリーを持っているので、これで自分のスマホの充電も、3人の来客のスマホ充電もできて喜んでいました。

 おそらくスマホ(携帯電話含む)は現代人の日常生活の生命線なので、充電すらできない時間が続くと、非常に不安と不便が増します。

 まちなかでも、観光客などスマホの電源がなくて、市役所や携帯電話会社が各拠点で充電サービスをしていたようですが、AEDのように、なにかしら普段充電してあっていざというときに使えるような充電器が会社や自宅に充実していることが望ましいでしょう。

 スマホで聞くネットラジオは、スマホの電源消費が大きくなることと、今回のような大規模なブラックアウトでは基地局との接続も、しばしばアンテナが立たないなど不安定な状態に陥りました。

 まさかネットが使えない状態になるとは思いませんでしたが、やはり電気が大切さを思い知りました。

②備蓄、備蓄、備蓄!食料も水も電気もストックを

 最近は、いつでもモノが手に入ることが当たり前の社会が前提になってしまっていて、乾麺や保存食ですら、あまり買い置きをしない生活になっていました。  

 お米と水さえあれば、とりあえず最悪の飢えはしのげますが、お客さんなどを迎えたり、災害がさらに長期化する可能性を考えると、備蓄の大切さを思い知りました。

 キャンプ的生活で夜と煮炊きをしのげても冷蔵庫と冷凍庫がだめになると、食材はすぐに傷んでしまいます。

 今回は水が出たからまだ良かったのですが、缶詰、乾麺、レトルトパック食品、そして水や衛生用品など、水がないためにできないことは多いので、そうした備えを充実させておくべきでした。

 電気の最後の頼みの綱はマイカーです。

 車のバッテリーからスマホとモバイルバッテリーの充電ができますので、小物の充電はもちろん、暑さ寒さ対策にも、車の存在はありがたいなあと実感しました。

 ただ、燃料に不安のある人たちはガソリンスタンドに押し寄せていて、これもまた普段から車は満タンにしておくというストックの心が必要でした。

 電気も、UPS(無停電電源装置)というパソコン用蓄電池があります。本来は突然の停電から作業中のデータやパソコンを守るためのものですが、容量が大きいので、スマホなどの充電には十分な電気の備蓄となります。

 以前から買おうかどうしようか迷っていましたが、今回の一件で決心がつきました。

 備蓄が大事です。


③防災グッズは役に立つ

 以前なにかのついでに、手回し発電でラジオ、照明、器具のUSB充電ができる防災ラジオを買ってありました。

(こんな道具はいつ使うのやら)と思っていて、普段は孫の遊び道具に成り下がっていたのですが、今回はまさに大活躍でした。

 手回しで発電すれば、数分はラジオが受信できて、明かりにもなります。

 さすがにUSB発電は力が弱く、簡単に充電が進むものではありませんが、ラジオだけでもずいぶん助けられました。


 いままで災害は遠いところの出来事のようにしか思わず、実感がわいていませんでしたが、生活を見直す機会となりました。

 もって他山の石としていただければ幸いです。

 
 

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平成30年胆振東部地震 ~ 被災の一日

2018-09-07 22:32:32 | Weblog

 9月6日未明に発生した、北海道では過去最大の震度7を厚真町で記録した大地震。

 最大震度7の厚真町での被害状況が全国ネットに大きく流れることで、北海道全体への地震災害の心配をおかけしています。

 地震被害の一環ですが、まさに震源地近くの苫東厚真発電所が地震によりダウンしたことで、電気の需給バランスが大きく崩れ、他の発電所も自動停止したことで、全道に亘る広域停電、いわゆるブラックアウトが発生しました。

 札幌でも被害は免れず、我が家では地震発生から24時間余りが経過した、本日朝4時くらいに通電を確認しました。家の近くに大きな病院があるためか、これでも比較的早くに復旧した方だと思います。


    ◆


 昨日からの顛末を書き記しておきましょう。

 朝3時過ぎに、寝室で大きな地震を感じて目が覚めました。

 同時にテレビをつけようとしてつかず、停電になったことを知りました。

 地震の揺れは垂直方向の揺れを感じましたが、後から確認しても家の中で倒れたものはほとんどありませんでした。

 私の家のある札幌市西区山の手界隈は、震度5弱以上が観測された地区リストに掲載されていないので、震度4程度だったように思います。

 しかし同じ札幌市でも北区新琴似の親類の家では、「タンスや食器棚が倒れた」ということだったので、やはり地盤状態によって揺れの強さも様子も大きくなったところがあるようです。

 地震発生の6日は、家が無事であることを確認したうえで自転車で職場のオフィスへ出勤。

 公共交通が全滅のために、「職場へ行く手段がありません」という職員には電話で自宅待機を確認。集まれたのは、私と、やはり自転車で通勤してきたもう一人の合計二人だけ。

 職場は電気が来ておらず、エレベーターももちろんダメ。そんな状況でも掃除の女性が来てくれていたのですが、電気が来ていないために、警戒装置を解除することができず、一日中ずっと、ピーピーという機会音が鳴り続ける状態でした。

 職場であるマンションの5階では水も電話もダメで、要は何もできない状態。ただ、折あしく、東京から3人の関係者が仕事で札幌へ出張で来ており、飛行機で帰れなくなったこの3人のケアをしないといけない状況になりました。

 職場に出て来ていたもう一人が携帯でやり取りをしながらホテルまで3人を訪ねてサポートしたのですが、ホテルも水も電気も使えない状態で、延泊したいという要請を受けてくれるかどうかわからないというのが9時段階の状況。

 「11時~12時くらいになれば、ホテルが受け入れるかどうかわかりますのでそれまでの間、他のホテルも当たってみます」ともう一人は市内のホテルを手当たり次第にあたったらしいのですが、どこも無理とのこと。

 結果的に「ホテルは受け入れてもらえない」ということがわかり、一行は一度は苫小牧まで向かってフェリーで八戸まででることを画策。

 しかし電気とパソコンが使えないことで、レンタカーの乗り捨てサービスが受けられない、ということがわかり、結局それも断念しました。

 事ここに及んで、まさか市内の避難所へ送り込むわけにもいかず、我が家へ泊って頂くことにしました。

 私は事前に家に戻って、万が一我が家での宿泊となったときの準備をしていましたが、結果的にこの3人にタクシーで我が家まで来ていただきました。

    ◆

 とはいえ、我が家は停電状態。

 幸いなことに、水とガスは使えたので、夜の明かりさえ確保できれば、食事もありもので何とかすることができました。

 ただ、翌日の飛行機の確保などのためにスマホでネットを駆使していましたが、基地局の電波状態が不安定で、随分苦労しながらようやく2名が夜の飛行機予約ができ、1名はキャンセル待ちでとりあえず登録。

 明日早朝に新千歳空港へタクシーで向かってみようという事にして、今日できることはやりつくしました。

 そこからは初めて会う方たちでしたが、ありあわせのおかずでご飯を食べて「まあこういう経験も一生に二度はないでしょうから楽しみましょう!」と酒を酌み交わせば、なんだか雰囲気はキャンプ気分。

 たちまち仲良くなって、明かりの雰囲気も相まって暗い感じにはなりませんでした。

 ただ明かりも、コールマンのツーバーナーでは、明るいのは良いのですが、思いのほか部屋の中が暑くなるのが難点でした。

 しかし上を見れば切りがありませんが、これが真冬で暖房器具も使えないとなったらどうなったことか、とそら恐ろしくなりました。

 
    ◆


 夜は10時くらいには全員就寝。

 私は何となくぐっすり寝ることができず、朝4時過ぎに目が覚めて外を見ると、その時点で外灯がついていることに気が付きました。

 通電火災を防止するために落としておいたブレーカーを入れなおしてみると、無事に家の電気が戻っており、ほっと一安心です。

 もう一眠りして早起きをすれば、朝のご飯も炊飯器で炊けて、朝食もなんとかなりました。

 タクシーはいくら電話をしても予約ができないので、食事を終えたあとに、まちなかまで私の車で移動して、流しのタクシーを探します。

 やがて向かいから空車が来るようになったので、信号待ちのタイミングでUターンして、タクシーを止め、「新千歳空港まで行ってくれますか」と尋ねたところ、行ってくれるという事だったので、そこで荷物を積みかえて、無事に送り出すことになりました。

 ただ、別れた後に、彼らが、折角持たせたお握りを車内に忘れたことに気が付いたのは残念でした。

 
 結果として、東京からの3人を送り出すことにはなったのですが、今段階でその後彼らが無事に飛行機に乗れたのかどうかは確認できていません。

 道中の無事を祈るばかりです。

 得難い経験でしたが、使える資源を考えながら、臨機応変で柔軟な対応がカギだと改めて思い知りました。

 厚真町をはじめ、被災した皆さんにお見舞いを申し上げますとともに、心配をおかけした多くの友人の皆さんに感謝申し上げます。

 ありがとうございました。

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台風が残した被害は誰が片付けるのかを考える

2018-09-05 23:36:28 | Weblog

 

 ものすごい勢力の台風21号が夜中にやってきて、あっという間に去っていきました。

 通勤途中の円山公園でも大木が折れて、園路が通行止めになっていて少なからず被害が出たようです。

 札幌市内でも、テレビや新聞は電柱が何本も折れたという被害を報じていましたし、職場の職員の中には、「家の屋根のトタンが4枚飛びました」という人もいて、被害が身近なところにあるものだと驚きました。

 被害を受けた皆様にお見舞い申し上げます。

 それにしても、関西空港で足止めを食っているお客さんは気の毒です。

 沖合の人工島に作られた空港で、連絡道路が一本しかない状況で、その一本にタンカーがぶつかったことで、片方の車線と鉄道が使えなくなり、大きく交通機能が損なわれました。

 インフラは、効率性の観点からは、必要量が満たさる最低限あればよい、ということになりますが、その一方で、いざというときの予備機能・余裕(リダンダンシー)をどうするかという視点も大切です。

 一つには計画段階での危機管理ですが、一方出来上がったものが壊れた時にそれを復旧する能力を持ち続けるという危機管理があります。

 災害が実際に発生すると、復旧は地域の建設業者が行います。

 ただ多くの場合、地域の建設業者さんたちも普段は、公共工事や民間工事を受注して、それを完成させるという仕事を抱えています。

 災害が発生すると、それらを差し置いて緊急に対応せざるを得ない状況になりますが、当然過度な労働が発生します。

 ある業者さんは、「日常的な仕事をしているときに、災害が発生すれば、災害を優先して復旧にあたるのは自分たちの使命だと思っています。ただ、それに対応すると、労働は過重になり、休日や休憩のリズムも狂います。
 そういうことに多少なりとも共感していただければ、我々も士気が上がりますが、『それはそれ、これはこれだ』と言わんばかりに、元々の工事はやはりちゃんとやれ、となると、我々の心情をわかってもらえていないなあ、と感じて士気が下がるんです」とボヤいておりました。

 建設の力も、必要な時は頼んでくるけれど、普段は無関心でなんの敬意も払わない、というのでは本当に良い仕事にはならないと思います。

 見えないところで誰がそれを支えているか、という視点で世の中を見てみて、気が付かないことが見えてくるのではないでしょうか。

 要はそれが「生涯学習」ということなのですが。

 
 

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そして増えてきた「心の引っ掛かり」を消してゆく

2018-09-04 22:37:30 | Weblog

 

 私はクレジットカードをなんとなく数枚持っています。

 若いときはあまり深いことを考えていなくて、新しい銀行口座を作った時にそこから引き落とされるようなクレジットカードを何気なく作ってあったのです。

 さらにそこから引き落とされるような契約をちょこちょこしていて、少額の引き落としが複数のクレジットカードから発生していました。

 先日、もうメインでは使わないけれど少額の引き落としがあるクレジットカードが更新されて届けられてきたので、意を決して整理をすることにしました。

 少額の引き落としは、NTT東日本の固定電話代、ブログの有料サービス、そしてインターネットのプロバイダ料の三つ。

 ブログとインターネットは、ネット上で支払い契約の変更が簡単にできましたが、NTT東日本の電話についてはネット上で支払い変更サイトを探すことができず、電話でサポートをお願いしました。

 個人確認をしたあとで、「書類を郵送することもできますが、サイト上でもできますよ」ということだったので、目的のサイトのアドレスを教えてもらって、こちらも無事に変更ができました。

 数か月たって、支障がなければこのカードとはおさらばしようと思います。

 いろいろなことを整理するのは面倒くさいものですが、「いつかやろう」と思っているだけではただ問題を先送りするだけです。

 思い立った時に行動を起こしていかないといけませんね。

 歳を取るという事は、こんな小さな"心の引っ掛かり"が増えるという事です。

 やれやれ 

 

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蕎麦を売るためのちょっとしたコツなど

2018-09-03 23:14:23 | Weblog

 

 この週末に幌加内新そば祭りでテントの中から、蕎麦を買っていただくシーンをたくさん見てきました。

 そこで思う、モノを売ることの難しさやちょっとしたコツについて書き留めておこうと思います。

 実際、蕎麦イベントでたくさんのお客さんが訪れていながら、モノ(蕎麦)を売るというのは実は難しい。

 いくら美味しい蕎麦を作っているつもりでも、まだ食べていない人にそれをどう伝えられるでしょう。

 いくつもあるお店から我が店を選んでもらうための差別化とは一体なんでしょうか。

《その1》エビ天ぷら
 エビの天ぷらはとても面倒です。冷凍のパックエビは、殻も向いてあるし背ワタも取ってあってそこまではとても便利です。

 しかしそこから、油跳ねのために尻尾の剣を切り落とし、バットに並べて冷蔵保存しておくのにまず手間がかかります。

 エビの天ぷらを揚げるのも、少しは衣を大きくして花をつけて豪華に見せるのには一匹一匹に手間をかけなくてはなりません。

 エビは先輩格の方が揚げていましたが、売れていって数が少なくなると私もサポートに回りながら、カボチャ天もエビ天も、揚げ立てを供給できるようにしますが、実質はずっと揚げ続けです。

 でも蕎麦にエビ天・野菜天という油ものは合うので、その魅力と差別化はウリになるでしょう。


《その2》受付は女性の優しい声がよろしい
 受付は男性の野太い声よりも、やはり優しい女性の方が良いです。

 基本的にお客さんはシャイなので、「どんな蕎麦がありますか」というちょっとした会話でも、優しい相手としたいものです。

 性差別ではなくて、男性と女性がいれば、女性が有利になるのは世の習いだと思います。


《その3》最後尾を示しながら、通り過ぎる方に声を掛ける
 お客さんは、ほとんど蕎麦に関する情報を持っていません。

 なので、蕎麦に関するちょっとした豆知識や話題を振りまき、そのうえで我々が出す蕎麦が他とどう違うかをちょっとささやくことで、我が店の列に並んでくれる確率はぐんと高まります。

 蕎麦が出るのを待つ列を整然と並べるには、人を一人つけて最後尾とわかる看板を持って、並び場所を伝えるのですが、その作業のついでに、道行く人に
「お蕎麦いかがですか、うちの蕎麦は美味しいですよ」ということを話しかけます。

 少しでも聞いてくれるそぶりがあればしめたものです。

 ちょっとでも対話ができると、「うーん、後で来るわ」と言って一度は去って行っても、結構な確率で再びやってくると言います。

 ちょっとした縁を捨てきれない人が多いというのは日本人だからでしょうか。でも面白い。


《その4》待たせるのも一つの手
 蕎麦の券を買ってどの品にしたかを見てから、蕎麦ができるまでにはちょっとタイムラグがあるので、お客さんが多くなってくると列が長くなってきます。

 そのことはお客さんに失礼なのかと思いきや、実は頑張って蕎麦を早く出してしまって列が消えると、とたんにお客さんは並ぶことが不安になります。

 列ができていないというのは、(美味しくないのではないか)と不安になって、並ぶのに躊躇するのです。

 だから列がなくなりそうになったら、少しゆっくりでも良い、ということを皆わかっています。

《その5》ものは言いよう
 蕎麦を出してお客さんと触れあうところは、一番コミュニケーションの上手な事務局長が担当します。

 列ができるくらいになると、お蕎麦を茹でるのが間に合いません。蕎麦待ちになります。

 また、天ぷらの売れ行きが良いと、天ぷら蕎麦を注文されても天ぷら待ちになります。

 そんな待ち時間を笑いに紛らせて飽きさせない対話術がコツです。

 蕎麦の茹でを待っているときは、「もうすぐ茹でたてで出しますからね、もう少々お待ちを」

 天ぷらは、「いま揚げたてで出てきますからね」と言えば、お客さんの待たされている不満も紛れます。

 この、最後のコミュニケーションは、「売る」ということに直接つながっていないかもしれませんが、蕎麦を買う事、食べることを笑いと幸せにつなげる効果があります。

 売り場全体が楽しげで、「あそこのブースとおじさんは楽しかったね」と感じてもらうことは、イベント全体の成功につながります。

 一人ひとりがそういう気構えでいるという雰囲気もとても大切です。

 選んでもらうという、相手に委ねられる心をどうこちらに向けるか。

 ビジネスの永遠の課題ですね。


 

 

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幌加内新そば祭りが無事終了しました ~ 来てくださってありがとう

2018-09-02 23:58:51 | Weblog

 

 昨日からの、幌加内新そば祭りでの出店が無事終了しました。

 二日間にわたって概ね天気は良好。初日の土曜日の午後に、通り雨がありましたが大したことはありません。

 所属する北海道そば研究会での蕎麦販売の出店ですが、私は今年も天ぷらの担当。

 この幌加内新そば祭では、使う粉は幌加内産の「ほろみのり」という品種で、参加団体は皆主催者側が販売するこの粉を買って蕎麦を打ち、それぞれのブースで販売をするというシステムです。
 
 だから、「十割蕎麦」を謳うような打ち方でない限り、大抵は二八の蕎麦にすることで、味はほとんど変わらないという事になります。

 ではそば祭りに来るお客さんは何を頼りに、お店を選んでいるのでしょう。

 出店するお店の工夫は、汁の作り方、その味、あとは種物の種類などに現れますが、どうしても違いが出るのは、「どこから来た団体か」ということ。

 いつものことながら、一番人気があるのは地元の「幌加内高校」のブースです。ここは開始直後からもう長蛇の列ができて、イベント終了までその長蛇の列がかわりません。

 面白いのは、この出店も授業の一環とのことで、50分活動したら10分の休み時間があること。これを皆で補いながら物販を続けているのです。

 そして二番人気は、やはり地元の「幌加内そばうたん会」。ここからはあくまでも推測ですが、折角はるばる遠くから来たのなら、幌加内の地元の蕎麦を食べたい、食べてあげたい、という心理がありそうです。

 我々は昨年も、この「幌加内そばうたん会」のお隣のブースなのですが、隣は長蛇の列ができて券を買ってから食べるまでにややしばらくかかります。

 私たちはそれよりは列が短いので、早く食べられるのですが、まあ早く食べられればどこでも良い、というわけでなく、そのあたりに各ブースの工夫の競い合う余地があります。

 そんな工夫の一つが天ぷらで、やはり海老天は人気の一品ですし、今年の組み合わせはカボチャの天ぷらとのセットでの天ぷら蕎麦というわけで、今年はカボチャの天ぷらを担当させてもらいました。

 昨日は客足が予想より少なくて、ちょっとがっかりでしたが、さすがに今日は列が途切れずに、ずっと油の前を離れることができませんでした。

 友人たちの駆けつけてくれて、「小松さん」と声をかけてくれるのは励みになって嬉しかったです。声をかけてくれた皆さん、ありがとうございました。

    ◆

 いろいろなブースごとの味の違いはいかがだったでしょうか。

 実は私はこのイベントに何年も参加していながら、他のブースの蕎麦を食べたことがなくて、味の比較のしようがありません。

 実際蕎麦打ちイベントのテントの中では、様々な雑用をこなし続けることの連続です。

 でも、"中の人"だからこそ見えるもの、味わえることがあるので、肉体労働そのものは大変なのですが、まあ面白い時間を過ごしています。

 ちなみに、わが北海道そば研究会は、昨日が640食、今日は1,100食が売れました。

 我々よりずっと列の長かった、おとなりの「うたん会」さんに訊いてみると、「今日ですか、2,300食でしょうか」とのこと。

 我々の倍ですか!でも幌加内のイベントですから、地元が潤うのが一番ですね。

 そば祭りへお越しいただいた皆さま、ありがとうございました。

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