9月6日未明に発生した、北海道では過去最大の震度7を厚真町で記録した大地震。
最大震度7の厚真町での被害状況が全国ネットに大きく流れることで、北海道全体への地震災害の心配をおかけしています。
地震被害の一環ですが、まさに震源地近くの苫東厚真発電所が地震によりダウンしたことで、電気の需給バランスが大きく崩れ、他の発電所も自動停止したことで、全道に亘る広域停電、いわゆるブラックアウトが発生しました。
札幌でも被害は免れず、我が家では地震発生から24時間余りが経過した、本日朝4時くらいに通電を確認しました。家の近くに大きな病院があるためか、これでも比較的早くに復旧した方だと思います。
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昨日からの顛末を書き記しておきましょう。
朝3時過ぎに、寝室で大きな地震を感じて目が覚めました。
同時にテレビをつけようとしてつかず、停電になったことを知りました。
地震の揺れは垂直方向の揺れを感じましたが、後から確認しても家の中で倒れたものはほとんどありませんでした。
私の家のある札幌市西区山の手界隈は、震度5弱以上が観測された地区リストに掲載されていないので、震度4程度だったように思います。
しかし同じ札幌市でも北区新琴似の親類の家では、「タンスや食器棚が倒れた」ということだったので、やはり地盤状態によって揺れの強さも様子も大きくなったところがあるようです。
地震発生の6日は、家が無事であることを確認したうえで自転車で職場のオフィスへ出勤。
公共交通が全滅のために、「職場へ行く手段がありません」という職員には電話で自宅待機を確認。集まれたのは、私と、やはり自転車で通勤してきたもう一人の合計二人だけ。
職場は電気が来ておらず、エレベーターももちろんダメ。そんな状況でも掃除の女性が来てくれていたのですが、電気が来ていないために、警戒装置を解除することができず、一日中ずっと、ピーピーという機会音が鳴り続ける状態でした。
職場であるマンションの5階では水も電話もダメで、要は何もできない状態。ただ、折あしく、東京から3人の関係者が仕事で札幌へ出張で来ており、飛行機で帰れなくなったこの3人のケアをしないといけない状況になりました。
職場に出て来ていたもう一人が携帯でやり取りをしながらホテルまで3人を訪ねてサポートしたのですが、ホテルも水も電気も使えない状態で、延泊したいという要請を受けてくれるかどうかわからないというのが9時段階の状況。
「11時~12時くらいになれば、ホテルが受け入れるかどうかわかりますのでそれまでの間、他のホテルも当たってみます」ともう一人は市内のホテルを手当たり次第にあたったらしいのですが、どこも無理とのこと。
結果的に「ホテルは受け入れてもらえない」ということがわかり、一行は一度は苫小牧まで向かってフェリーで八戸まででることを画策。
しかし電気とパソコンが使えないことで、レンタカーの乗り捨てサービスが受けられない、ということがわかり、結局それも断念しました。
事ここに及んで、まさか市内の避難所へ送り込むわけにもいかず、我が家へ泊って頂くことにしました。
私は事前に家に戻って、万が一我が家での宿泊となったときの準備をしていましたが、結果的にこの3人にタクシーで我が家まで来ていただきました。
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とはいえ、我が家は停電状態。
幸いなことに、水とガスは使えたので、夜の明かりさえ確保できれば、食事もありもので何とかすることができました。
ただ、翌日の飛行機の確保などのためにスマホでネットを駆使していましたが、基地局の電波状態が不安定で、随分苦労しながらようやく2名が夜の飛行機予約ができ、1名はキャンセル待ちでとりあえず登録。
明日早朝に新千歳空港へタクシーで向かってみようという事にして、今日できることはやりつくしました。
そこからは初めて会う方たちでしたが、ありあわせのおかずでご飯を食べて「まあこういう経験も一生に二度はないでしょうから楽しみましょう!」と酒を酌み交わせば、なんだか雰囲気はキャンプ気分。
たちまち仲良くなって、明かりの雰囲気も相まって暗い感じにはなりませんでした。
ただ明かりも、コールマンのツーバーナーでは、明るいのは良いのですが、思いのほか部屋の中が暑くなるのが難点でした。
しかし上を見れば切りがありませんが、これが真冬で暖房器具も使えないとなったらどうなったことか、とそら恐ろしくなりました。
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夜は10時くらいには全員就寝。
私は何となくぐっすり寝ることができず、朝4時過ぎに目が覚めて外を見ると、その時点で外灯がついていることに気が付きました。
通電火災を防止するために落としておいたブレーカーを入れなおしてみると、無事に家の電気が戻っており、ほっと一安心です。
もう一眠りして早起きをすれば、朝のご飯も炊飯器で炊けて、朝食もなんとかなりました。
タクシーはいくら電話をしても予約ができないので、食事を終えたあとに、まちなかまで私の車で移動して、流しのタクシーを探します。
やがて向かいから空車が来るようになったので、信号待ちのタイミングでUターンして、タクシーを止め、「新千歳空港まで行ってくれますか」と尋ねたところ、行ってくれるという事だったので、そこで荷物を積みかえて、無事に送り出すことになりました。
ただ、別れた後に、彼らが、折角持たせたお握りを車内に忘れたことに気が付いたのは残念でした。
結果として、東京からの3人を送り出すことにはなったのですが、今段階でその後彼らが無事に飛行機に乗れたのかどうかは確認できていません。
道中の無事を祈るばかりです。
得難い経験でしたが、使える資源を考えながら、臨機応変で柔軟な対応がカギだと改めて思い知りました。
厚真町をはじめ、被災した皆さんにお見舞いを申し上げますとともに、心配をおかけした多くの友人の皆さんに感謝申し上げます。
ありがとうございました。