北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

朱鞠内湖で最後のワカサギ釣り初日

2023-03-19 23:36:17 | ワカサギ釣り

 

 今日から毎年恒例の「澤田会in朱鞠内湖」に参加しています。

 道内のカリスマガイドだった澤田耕治さんは昨年12月に亡くなられてしまいました。

 作家の夢枕獏さんや音楽家の高橋幸宏さんなどのフィッシングガイドとして活躍されましたが昨年12月に亡くなられました。

 その澤田さんが中心になってこの時期に開かれる、朱鞠内湖でワカサギ釣りを中心にしたイベントが「澤田会in朱鞠内湖」です。

 澤田さんはいなくなりましたが、澤田さんの指導を受けた次世代の若手ガイドである辻君や佐藤君たちが澤田さんを偲びつつ、「やっぱりやることをやろう」という思いから企画したこの会です。

 今回は昨年亡くなった友人の奥さんの追悼の意味も込めて、ちょっと寂しいけれどやっぱり集まった同士は楽しくにぎやかにやろうと思っています。

 
 日曜日の今日は天気は快晴でしたが、時折強い風が吹くちょっと大変な天候。

「温かくなると風の強い日があるんですよね」

 朱鞠内湖にも春が近づいています。


     ◆


 日曜の昼に朱鞠内湖のお宿、レークハウス朱鞠内に集合して昼食後に釣り場へGO!

 午後のひと釣りと行きたいところですが、半分はガイド陣が用意してくれたお酒と軽食で飲んで食べる方が長いくらい。

 澤田さんの写真に見守られながら、今年も僕らは楽しんでます。
  

 

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認知症は必ず徘徊する? ~ 介護スクール6日目は認知症への理解

2023-03-18 22:37:52 | Weblog

 

 毎週土曜日の介護初任者研修も全15回のうち6回目となりました。

 今日の授業は、「コミュニケーションの技法と認知症について」で、午前中にコミュニケーションについての授業で午後が認知症についての基礎知識を学ぶ時間。

 コミュニケーションには①言語的コミュニケーション、②非言語的コミュニケーションそして③準言語コミュニケーションの三つがあるといいます。

 ①の言語的コミュニケーションとは、会話、文字などの通信手段で手話や展示もこれに入ります。

 日常生活で最も使われて、視覚、聴覚、触覚を駆使して行われます。

 ②の非言語的コミュニケーションとは、態度や表情、身振り、手振りなど言語を発しなくても好悪の感情的なものが伝わります。

 怖いのは意図していないのに隠している内面が思わず出てしまうことがあることで、習慣化されていたりすると隠しようがなかったりすることです。

 ③の準言語的コミュニケーションとは、発する声の高さや強さ、抑揚や長短、スピードなどの言葉にまつわるニュアンスのこと。

 優しい言葉をかけても、声が怖かったり威圧的だったりすると言っている内容が伝わらないどころか全く逆に受け止められることもあります。

 こうした一つ一つのちょっとしたことに注意をしたコミュニケーションが求められるのですね。


       ◆


 午後は認知症についての基礎知識のお勉強。

 認知症はかつては「痴呆症」と呼ばれていましたが、認知症に対する認識が深まるにつれて、ただ脳の機能が衰えて「知恵が足りない(痴)」のと「ボーっとしている(呆)」ということではないとわかり、2005年から「認知症」という名前が使われるようになりました。

 認知症にはアルツハイマー型、レビー小体型認知症、脳血管性認知症などの原因疾患がありますが、これらによってほぼ必ず発生する症状を中核症状といいます。

 それらは、記憶障害、時間や空間がわからなくなる見当識障害、モノや道具の使い方が分からなくなる失認・失行、計算力低下、判断力低下、実行機能低下などです。

 それに対して、これらによって派生して引き起こされる行動・心理症状があり、それを周辺症状と呼ぶこともあります。

 心理症状には、不安感、強迫症状、抑うつ状態、幻覚、妄想などがあります。

 また行動症状には徘徊、帰宅行動、攻撃的言動、ケアへの抵抗、昼夜逆転、失禁などがありますが、これらは必ず起こるというものではないのだそう。

 中核症状は仕方がなくても、その段階でストレスを与えずに適切な介護が行われれば、認知症の進行を遅らせたり、周辺症状を軽減することは可能だと考えられるようになりました。

 徘徊やその他の周辺症状には、その方が生きてきた歴史や記憶が深くかかわっていて、必ず理由があります。

 それらを理解して受容して、適切に関わってゆくことで認知症の方が落ち着いて安寧な暮らしができるようにすることが強く求められます。


 授業の家のワークで、「もしも自分が認知症になったら」という仮定で、「どう思うか」「何をしてほしいか」などについて考える時間がありました。

 そこで自分がしてほしいこと、それが与えるべき介護だという事。

 介護には、機能を喪失してゆく自分への想像力が求められます。

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福祉の場による「よりどころ」~ 神奈川県愛川町の福祉施設

2023-03-16 22:28:28 | Weblog

 

 昨夜は札幌市内で都市計画学会北海道支部による都市地域セミナーが開催されました。

 昨年度から当支部では「よりどころ」というキーワードをテーマにして、人が集まる魅力的な場所とは何か、ということを掘り下げています。

 今回は「まちの風景に溶け込む建築とケア」と題して、神奈川県愛川町で高齢者福祉・障がい者福祉・保育、カフェや寺子屋、コインランドリーなどが集まった生活拠点づくりに力を注いでいる馬場拓也さんからご講演をいただき意見交換をしました。

 馬場さんは大学卒業後にジョルジオ・アルマーニジャパンに務められ本人曰く、「黄色いフェラーリに女の子を載せてやってくる人たちを相手にしていた」とのことですが、それがお父さんの死去に伴って特別養護老人ホーム(特養)「ミノワホーム」の経営者として地元愛川町に戻りました。

 特養というのは要介護3以上の高齢者が、24時間介護のお世話を受けながら終の棲家として暮らす施設のこと。

 馬場さんが戻った時には塀に囲まれて薄暗い四人部屋にベッドが並べられている施設でしたが、「壁があると守られているようで、実は地域の営みからお年寄りたちが分断されてしまう」と感じて、その壁を取り払うことにしました。

 ところがちょうどそれをやろうとした時期に起きたのが福井山ゆり園での職員による利用者の殺傷事件でした。

 スタッフとの間で「壁を壊して大丈夫だろうか」という意見もありましたが、初志を貫いて壁を撤去。

 その結果、晴れた日には中のお年寄りたちがベンチで憩い、その姿を地域の人たちが目にすることで地域の見守り意識が高まった事を感じたといいます。

 
 愛川町は高度成長時代に整備された新興住宅地なのですが、春日台地区に30代で家を建てた人たちの多くが今や後期高齢者になり、地域の活力は低下しています。

 そこへきて街の真ん中に会ったショッピングセンターが閉店することになりました。

 馬場さんはそれを引き受けてその土地に「共生・寛容・自律」の拠点として、複合的な福祉施設の機能を盛り込んだ「春日台センター・センター」を建設しました。

 敷地の中には、グループホーム、小規模多機能型居宅介護、シェアオフィス、寺子屋などのほか、コインランドリーを導入して洗濯家事の簡便化と共に、洗濯物を畳んで返すサービスを障がい者が労働として行う就労支援施設も併設しています。

 このサービスを行う場所を「洗濯文化研究所」と名付け、地域の交流の場にもしています。

 春日台センター・センターはグループホームでありながら、利用者を建物の中に囲って管理するのではなく、外や地域と場をシェアできるような思想で建築を整え、触れ合うことで生じがちな摩擦やトラブルをスタッフや地域の力で解決しています。

 介護施設や福祉施設はともすると利用者を建物に閉じ込めて「管理」しておけば良い、それ以上のことは必要ない、という考えに陥りそうですが、馬場さんは、「それでは利用者が生き生きとした日常を暮らすことができないと思った」と言います。

 利用者が好きな時に移動できる環境を目指すことで、ここでは認知症で暗い顔をしているお年寄りが地域の日常の生活の中に身を置いて落ち着いた時間を過ごせるようになった姿をいくつも見ているそうです。

 
 こうした発想や実践も、もともと地元の馬場農場の息子さんがやっているという地元出身者がやっていることで地域にも安心して受け入れられている要素があるのかもしれません。

 しかしそれにしても、国レベルの福祉の制度は大きな枠しか示していない中で、現場がより良いことをやってみようという試みをいくつもやってそれがうまくいっている事例をやって見せているというのは素晴らしいことです。

 福祉にイノベーションをもたらすのは、こうした小さな積み重ねであり、またそれを建築は施設計画や設計で思いに応えることができるものです。

 馬場さんは「このセンターセンターの建物がいま日本建築学会賞にノミネートされているところです」と言って、このような施設がもっと世に知られることでより良い福祉環境が広がることを期待されています。

 
 会場からの質問で「これだけの施設を作るにはお金がかかるのではないか」という質問がありましたが、「自らが主体的にいろいろな補助金や支援制度を探せば何かあるものですね。それが降ってくるのを待っていてはいつまでも真剣になれないような気がします」とのこと。

 若者のやんちゃなトラブルも、皆で話し合いながら寛容の精神を発揮しながら収めるところに収まってしまう。

 答えのない問いに対して知恵は現場にあるし、なんとかこの城を守りたいというスタッフの気持ちに支えられながらそれを生かそうという人たちがいます。

 福士をキーワードにしながら、地域のよりどころとなっている素晴らしい事例の一つでした。

 

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函館の旅 ~ 移動は飛行機とレンタカー

2023-03-14 23:33:07 | Weblog

 

 久しぶりに函館まで飛行機で往復をしました。

 函館市内はレンタカーで移動して用を足したのですが、最近の先進安全装置の着いている車は操作が各社各様で、初見で使うとよくわからないことがあります。

 前回レンタカーを使った時には特に会社を指定しなかったので結果的にスバルの車を借りることになりました。

 スバルの衝突安全装置は性能が高いと評判なのですが、初見で使うには慣れていなくてちょっと戸惑いました。

 そこで今回は普段札幌で乗りなれている会社の車と同じく、「ホンダの車にしてください」とリクエストを出して、ホンダのFITを借りました。

 一応ホンダならどれも同じかな、と思ったのですが、普段乗っているグレースとはやはり操作の仕方が微妙に違いました。

 大体、返却時にガソリン満タンにするための燃料タンクのカバーのあけ方が分かりません。

 運転席周りにそれらしいレバーが見当たらなくて、(どこを操作したら給油口のカバーが開くんだ?)と焦りましたが、なんのことはない、カバーそのものを自分で押せば開くのでした。

 ちょっと乗れば慣れるのですが、この微妙な操作性の違いに慣れるまでが嫌なものです。

 各社のアイディアが先行して切磋琢磨しているうちは、各社で統一と言うわけにはいかないのでしょうね。

 先進過ぎて使いにくいというのは困ったものです。


     ◆


 今日は昨日と違って飛行中の天気が良くて飛行機での移動中は外の風景を楽しめました。

 函館から丘珠へ帰ってくるときは、洞爺湖と支笏湖の真ん中を抜けてくるような航路になっていて、左に洞爺湖、右に支笏が眺められるというちょっと贅沢なルートです。

 恵庭岳を手前にしておくに支笏湖を眺めるというのはなかなかない体験でした。


  【ちょっとわかりにくいのですが、雲の間に恵庭岳の頂上が見えていて、奥は支笏湖】

 また、一瞬着陸が新千歳空港のような気がしていて、札幌ドームを眼下に眺めたときは、(あれ?どこまで行くんだ?)と一瞬パニックになりました(笑)。

 わずか40分足らずの旅ですが、こういう旅もなかなか良いものです。

 道内の遠くへの移動では飛行機もご検討ください。 

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函館出張ですが春はまだ遠い

2023-03-13 23:12:18 | Weblog

 

 今日明日の一泊二日で函館出張。

 高速道路を自動車で来ることも考えましたが、雪を恐れて今回は飛行機とレンタカーでの移動にしました。

 挨拶回りでこの間のいろいろな情報を得て歩きます。

 冬の間は長距離運転を避けるようになりました。

 事前に危険を察知して危険な道路環境に近づかないというのは、安全戦略の第一歩。

 それを避けるという勇気も必要です。


      ◆


 また、以前は何気なく駅前のホテルに宿泊していたのですが、現地の友人たちから、「夜一杯飲むのだったら、飲食店は駅前ではなく五稜郭周辺の方が多いですよ」と言われて、五稜郭近くのホテルに宿泊するようになりました。

 ネット情報などに頼らずに、ローカルなことは地元の人たちに聞くのが一番。

 函館もだいぶ春が近づいてきたと思ったのですが、今日は雨に加えて気温も低く寒の戻りの様でした。

  

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地域の除雪と住民協力と住民の世代交代について

2023-03-12 23:31:45 | Weblog

 先々週に家の前の住宅道路に残っていた雪が運搬排雪されました。

 それと呼応するかのように先週は暖かい日が続き、一気に雪が融けました。

 運搬排雪は、市による無料の除雪ではなく、地元町内会が作業費を負担してやってもらうもので、「パートナーシップ除雪」と言う制度で呼ばれています。

 以前はその氷を割るのが大変で、この時期の雪割りに苦労していた記憶があるのですが、数年前からこの時期にパートナーシップ除雪で運搬排雪をしてくれるようになり、雪割りをする苦労がかなり減った気がします。

 パートナーシップ除雪では、道路の幅員や実施する時期が寒い時期か暖かくなる頃かによって、雪を残すか残さないかのやり方を変えているようです。

 また、普段から住民が道路の雪をしっかり排雪しているところと、大きな雪山になって道路が狭くなっているところでもやり方が変わるようです。

 私の住んでいる住宅街区は、地域住民が一生懸命に自分の敷地内や近くの公園に道路の雪を運んでいて、幅員が割ととれているところなので、暖かい時期の作業は道路の雪をかなり削って運んでくれるので助かります。

 
 いろいろな意味で地域を守ってゆくのは大変な時代になりました。

 住民が高齢化して地域の労働力が減ることも大変になる要素ですが、幸い私の家の周辺は高齢者の方が土地を売って新しい家が建ち、比較的若い方が移り住むようになっています。

 この土地に家を建てて引っ越してきたときは周りは皆私よりも年上だったのですが、今では段々年上の部類になってきました。

 住民が新陳代謝して年齢が若返るというのは良いものです。

 特にマンションではなく戸建て住宅地ではせめて間口の分の地域管理をしてくれるだけでも若い人がいるというのはありがたいものです。

 住宅地も、そうした世代交代を促すような効果的な政策があればもう少し活力を維持できそうな気がします。

 さて、何か良い知恵はないものでしょうか。

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「死なせないでください」というリアル ~ 介護研修5日目

2023-03-11 23:50:23 | 介護の世界

 

 今日で全15回の介護学習スクーリングの5日目。

 今回から34歳の若手が毎週土曜日のこのコースに転入してきました。

 今回も前回に続いて「体と心のしくみ」についての講義です。

 高齢者で動けなくなり寝たきりになると体の同じところが圧迫され続けて褥瘡(じょくそう)という潰瘍ができるのですが、実はそれができやすいのが踵とくるぶしだということを教わりました。

 褥瘡って背中やお尻にできるものだと思い込んでいたのですが、そこだけではないようです。


 さて、「老化」と「加齢」の区別がつきますか?

 「加齢」とは、生まれた瞬間から始まる時間の経過のこと。生後一カ月の赤ちゃんでも加齢してゆきます。

 それに対して「老化」とは、気力・体力が20代~30代でピークを迎えたのちに次第に体の各部の機能が年齢とともに低下してゆく様のことを言います。
するそして、「高齢者にとっての豊な生とは」という問いの答えが、「日々の暮らしが満ち足りていること」と「穏やかな死への準備がなされていること」の二つによって成り立つのだ、と言われるとちょっとドキッとします。

 それは超高齢者でなくても、一度生を受けたものとして当たり前のことではないか、と思うからです。

 私自身は「胃瘻」や延命処置はお断りだ、と家族に伝えている程度ですが、細かなことを言うと、もっと様々な場合に対する自分の思いや好き嫌いがあるはずで、それらも元気なうちに記録をして手帳などに残しておくのが良いでしょう。


      ◆


 講師の先生に、「お年寄りなら皆さん延命措置は断るという人が多いのではないですか?」と質問をすると、「現場では必ずしもそうではないこともあります」と言う答え。

「どういうことですか?」と再度質問をすると、「例えば家族がご本人の年金が頼りだったりすると、『死なせないでください』ということもあったりします」とのこと。

 本人の意思とは別なところでの生き死にの問題があるようです。

 様々なリアルも学んでゆきましょう。

 

 

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いざというときのことを書いてみる「私の思い手帳」 ~ ACPを考える

2023-03-08 22:27:44 | Weblog

 

 もう1年以上前に、冗談半分本気半分で両親に「終活ノート」を送りました。

「いろいろとやってほしいこととかあったら書いておいてね」とは言ったものの、最近実家を訪ねてもどこにいったのやら目に見えるところには置いてありません。

 最近介護の勉強を始めてから、ワークショップで「あなたが大事にしていること、やってほしくないことを書いてごらんなさい」というテーマを与えられて、自分の意見を書き記しました。

 そこで書かれたことは、自分の希望であったり、周りからは良かれと思われたとしても自分としてはいやなことを意思表示するものでした。

 そしてそれらは自分が介護サービスを受けるときには介護をしてくれる方にしっかりと伝えておくべきことでもあります。

 自分の尊厳を守ってくれるとは、自分の求めるものを明らかにしてそれを温かい目で見ながら支えてくれることなのです。


 介護だけでもそうなのに、もしも重篤な病気になったりしたらどんな処置を望み、どんな処置を望まないのか。

 しかしながらそういうことを何かの形で記録しておくのは難しいんだよな、と思っていたら、東京都が作成した「アドバンス・ケア・プランニング」の普及啓発冊子があることがわかりました。

 アドバンス・ケア・プランニング(=ACP)とは、将来自分が病気になったり介護を受けるときに備えて自分が大切にしていることや希望する医療や介護のことなどについて、家族や医療・介護関係者などとあらかじめ考えて話しあうプロセスのことなのだそう。

 それらを記録しやすい形にした小冊子が「わたしの思い手帳」というもので、東京都に申し込めば送ってくれるらしく、早速申し込んでみました。

 

【東京都のACP普及啓発小冊子「わたしの思い手帳」】
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/iryo_hoken/zaitakuryouyou/acp_booklet.html 


 ここでのポイントは、考えて迷ってもいいのだということ。


 
 迷ったなりの今を書き記しておいて、考えが変わればまた書き直せばよい。

 そんな知的作業は、やっぱり元気なうちにやっておかないとできなくなってしまいます。

 この手帳には、家族にケアが必要になった時のためにどうやってACPを理解し協力してもらえるかを5つの場面を事例にやり方の一端を示してくれてもいます。

 まずは自分で、そしてできたら自分の親御さんなどと一緒に考えるというのが良いのではないでしょうか。

 ちょっとわたしもやってみます。

 

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ススキノに残る昭和レトロな風景 ~ それもまた消えかけているわけで

2023-03-07 23:03:19 | Weblog

 

 コロナが収まりかけてきて、様々な会合が再開を始めています。

 今日はかつての職場のOB会の総会と懇親会が開催されましたが、ホテルの会場に集まって皆で飲むというのは3年ぶりの事でした。

 久しぶりの再会に喜ぶ人がいれば、今回は姿を見せず「あの人はどうしたろうね」と言う声もあり、3年の月日はけっこういろいろなことがあったようです。

 昔は元気はつらつとしていた先輩たちにも会って挨拶をしましたが、気がつけば「おいくつになりました?」「俺は75歳だよ」と、諸先輩も結構な年齢に達している方が多くなりました。

 考えたら自分もそれなりの年齢になっているわけで、この間に亡くなられた方もいて、時はある意味残酷でもあります。


     ◆


 一次会の懇親会が終わったところで、昔から気の合う先輩二人につかまって「よし、次はスナックで歌うぞー」とススキノに駆り出されました。

 釣れていかれたのはビルの地下の昭和時代の化石のような飲み屋街。

 行くぞ、と気勢を上げた先輩も「そういえばコロナがあったからやっているかなあ…」とここへきて弱気な声。

 恐る恐る歩きながら店を探していると…「おー、あった、やってる!」。

 先輩の昔の馴染みの店はまだありました。

 中へ入ると、10坪ほどのいかにも昭和レトロなママ一人のスナックです。

「よし、歌うぞ、小松、お前からイケー」と一次会で寄った一番年上の先輩はもうタガが外れかけています。

 ならば、と自慢の一曲で始めるとあとは久しぶりのカラオケ大会。

 こういう時間も忘れかけていましたね。

 時間が経つとママともうちとけて話すようになりましたが、なんと「このお店も3月一杯で閉じるんですよ」とのこと。

「ええ、コロナのせいですか?」
「ほんとにコロナのときはお客さんが来なかったけれど、止める理由は私が歳だから。もう後期高齢者よ(笑)」

 聞けばこちらに移ってきたのは15年前のことだそうですが、今月いっぱいでお店はやめて、神奈川のお嬢さんのところへ向かうのとか。

「お店はどうなるんですか?」
「多分次にはもっと若い人が入ると思いますよ。この飲み屋街もだいぶ若い人が入ってきてお客さんも若くなっていると感じますからね」

 今日日スナックなんて流行るのかな、とは思うものの、従業員を雇わずママ一人で切り盛りする分にはこういうところもやれるんですね。

「昭和がまた一つ消えそうですね」
「まあ時の流れですね」

 自分一人では来ようとは思わないけれど、釣れてこられれば(こういうのもいいなあ)と思うのは昭和生まれだからでしょうか。

 知らないところで懐かしい風景は少しずつ消えているのかもしれませんね。

  
 
 

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雪解けの後の厄介者

2023-03-05 22:51:34 | Weblog

 

 先週蕎麦を打った際に残っていた蕎麦粉を使って今日のお昼は蕎麦にしました。

 ところが午後になって、同居中の孫が目を腫らしてかゆそうにしています。

 そういえば前回も蕎麦を打った後になんだかかゆそうな仕草をしていたことに気がつきました。

(もしかしたら蕎麦アレルギーなのかもしれない)と思って、心配になりました。

 と言っても、まだ幼すぎるので血液を採ってアレルギー検査をするのも大変です。

 これは同居中は、蕎麦打ちの場所に近づけないことや蕎麦を打った後は服を着替えるとか、孫に蕎麦粉を近づけないような工夫をしなくてはなりません。

 北海道も花粉の季節を前にして、家人もくしゃみをすることが増えてきました。

 私の昨年のシラカバ花粉の始まりは日記を見て見ると3月25日でした。

 コロナのマスクははずれても花粉のマスクははずせませんね。

 雪解けは嬉しいものの、代わりに厄介者がやってくるのにはちょっと困りものです。

 

 

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