北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

新米ができました ~ しかしそろそろ次世代に譲るときなんだと

2024-09-16 23:51:52 | Weblog

 

 この週末は北海道の中でも有数のコメどころ蘭越まで行って、知人の米農家から最高級のお米を買ってきました。

 蘭越米というだけで北海道の中でもブランドなのですが、そのなかでも「蘭越で一番おいしいお米を作るのは誰ですか」と聞かれればまず名前が挙がるのが知人のKさん。

 私も始めてそのお米を土鍋で炊いて食べたときの衝撃は忘れられません。

 まさにおかずなしでお米の味だけで妻と二人のキャンプ先で二合をぺろりと食べてしまいました。

 こういう方とお知り合いになれて、もう一生旨い米に困ることはありません。

 日本人としてこの上ない幸せと言えるでしょう。


      ◆


 で、今回も訪問してお米作りの苦労話などを聞かされているうちに、「おれも今年で引退だしな」と言うではありませんか。

「ちょ、ちょっと待ってください。え?もうお米作りはしないんですか?」
「はは、そうじゃないよ。米農家としての経営を息子に譲って、来年からの米は息子が責任をもってやるようにしたんだ。もちろん俺も米作りをサポートするけど、会計の事だとか何もかもを含めて、いつまでも俺がやっていればいいわけじゃない。代替わりが必要だとおもってさ」

「それを聞いて安心したけど、息子さんって幾つでしたっけ?」
「35~6かなあ。でも俺が親父から開拓五代目としてコメ作りを任されたのもそのくらいの歳だからなあ、ちょうどいいんじゃないか。あとは好きなことをして過ごすよ、ははは」

 これまでの米作りはこのKさんの職人芸ともいえる米育てで成り立ってきたわけですが、自分がまだ元気なうちに代替わりをするとは思い切った決断です。

 人口減少で、年寄りがまだまだ働かなくてはいけない、と思っていましたが、それはそれとして、若い世代を早く責任ある立場に就かせて、自分事として自分も未来も社会も支えるというのも真っ当な考えです。

 自分自身が「まだまだやれる」と頑張るのも良いですが、程よく老害にならない程度に少しずつ次の世代に"譲る"というのは勇気がいりそうで、それでいてすばらしいことのように思えました。

 
 しかし米作りのみならず、鮎釣りから陶芸まで一たび「これだ」と思って始めた趣味は限界まで極めなくては気の済まないKさんのこと。

 この人に時間を与えて野に放ったら大変なことになりそうです(笑)。

 そのうち鮎釣りでも習おうかな。

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介護サービス利用に向けた第一歩 ~ 両親が少し前向きに

2024-09-14 23:17:29 | 介護の世界

 

 早朝から実家の両親の家に行き、母の買い物サポートをしてきました。

 先日実家を訪ねてくれたケアマネさんは両親とのやり取りを詳細にメールで教えてくれていて、心のこもった対応に感謝です。

 ケアマネさんからは「お父様はちょっと短期記憶が弱くなっている感じでしたが、お母様はしっかりしておられました。お母様は『疲れることが多くなって料理が大変』とおっしゃっていました。介護保険で使える運動型のデイサービスをご紹介したところ前向きに考えていただけそうです。

 またお父様の入浴の手伝いが大変とのことでしたので、入浴のできる一日型のデイサービス利用について説明をいたしました。お父様も利用について前向きで『いいね』とおっしゃっていました。

 また万が一お母様が入院しなくてはならなき状況になった時にはどのような介護保険サービスが使えるか、などについてもご説明いたしました。

 今後ですが、当方のネットワークで居宅介護支援事業所のケアマネさんに打診し、引き受けていただける方向で考えていただいています。

 その方がご実家に行かれるときには私も同行し、息子様にもご同席いただけるようでしたら幸いです」と丁寧なやりとりのご報告をいただきました。

 父がデイサービス利用について前向きとは意外だったので、今日実家へ行った際に父に「デイサービスでお風呂に入るんだって?」と訊いてみると、「うーん、それ、なんだっけ?」と言うのでガックリ。

 やっぱり忘れていたのかと拍子抜けでした。

 母は「いいんだよ、その時には行かせるよ。説明で『カラオケなんかもあるんですよ』と言われたので良いと思ったんじゃない? そういうのに行かないでいたら一日中ボーっとテレビを見ているだけだから、なにか刺激になるといいけどね」としっかり行かせるつもりです。


 とにかくできるだけ施設を利用せずに、家に二人でいられる時間を長くすることが一番幸せな状況なので、これを長く続けたいところです。

 介護サービスを受けることでいろいろとまた気がつくことも多いでしょう。

 
 父も母も少しは介護サービス利用のためのお金がかかるかもしれませんが、普段の暮らしを少しでもサポートして快適にするための新しい一歩です。
 

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インプラントの歯が割れた!? ~ 歯ブラシもマメに交換すべし

2024-09-13 22:42:24 | 健康

 

 いろいろと公私ともにあるなかで、今度は奥歯のインプラントが割れました。

 (なんか奥歯がざらざらするなあ)と思って鏡で奥歯を見ると、白いところが割れて中の金属部分が見えています。

 これって2年前にいれたインプラントがもう割れた?

 すぐに施術をしてくれた歯医者さんに予約を入れて今日受診をしてきました。

「先生、これってインプラントの保証期間なんてあるんでしょうか?」
「いやあ、まあ診てみましょう…」

 すると先生が「あれー?これ、僕がやったやつじゃないね。元からあったインプラントだよ」とのこと。

 えー?

 私の口の中にはインプラントが全部で5本入っているのですが、最初が東京で1本、次に釧路で2本、そして最後に札幌で2本とバラバラな場所での施術を受けて今日まで来ました。

 そして今回割れたのはどうやら最初に東京で入れてもらったインプラントなのでした。

「どういうことですか?」
「最新のインプラントではもうこんなことはないんだけど、古いやり方では側面に白い素材を貼り付けていてそれが剥がれたんですね。まあ土台は頑丈なのでそのままでもまあ問題がないっちゃあないんだけどねえ…」

 先生もどうやって補修をするかちょっと頭を悩ませているようで、「まあ次に来る時までにいろいろと考えておきます」とのこと。

 いやはや、インプラントなんて永久に大丈夫だと思っていたのになあ…。


     ◆


 そしていつもの磨き残しチェックとスケーリングと言って歯石の除去を行いました。

 磨き残しは一か所だけ×がつきましたが、「ほとんどきれいに磨けていますね。でも詰め物をしたところの段差についた汚れがどうしても取れにくいので、また気をつけてみてください」とのこと。

 ただその際に、「小松さん、歯ブラシは定期的に交換してますか?」と訊かれました。

「いえ、歯ブラシが広がったら交換とは聞いていますが、なかなか歯ブラシが広がるようなこともないので長く使っています」

 すると歯科衛生士さんは、「歯ブラシって使っていると広がる前に毛先の弾力が失われてブラッシングの効果が落ちるんですよ。なので贅沢と思わずにマメに交換してあげてください。ふつうの歯ブラシはもちろんですが、一本ずつ磨くタフトブラシもね。それも先端の弾力が落ちてくるので」

 へえ、そうだったんだ。

 歯ブラシって言うほど広がらないよな、と思っていたのですが、広がってダメになる前に既に弾力が失われるとは思いもしませんでした。

 これからは少し真面目に頻度をあげて1~2カ月くらいで歯ブラシを交換するようにします。

 "毛先の弾力”がキモだったとはしらなかったなあ。

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喪中期間はある?ない?いつまで?

2024-09-12 22:10:58 | Weblog

 

 妹が亡くなって明日が初七日。

 一般的には「喪に服す」という期間があって、やるべきではない禁忌がありますが、いつまで何をしないでいるのか、の判断はなかなか難しいところです。

 私の家は仏教でも浄土真宗という宗派ですが、妹が嫁いだ先は浄土真宗とは異なる宗派なので、そちらの形で葬儀を執り行いました。

 残された我々はどのようなふるまいをするのかが難しかったので、浄土真宗の僧侶をしている友人にそのあたりをざっくばらんに聞いてみました。

 彼の答えは、「我々浄土真宗の考え方には『喪に服す』という考えがないんだよ」というもの。

 そうなのか!とちょっと驚きですが、彼が言うには、「浄土真宗では、人は亡くなればすぐに阿弥陀様に導かれて仏の世界に行くことができる。なので"めでたい"とは言わないまでも、それを穢れたことだという考えはないんです」とのこと。

 そこには日本特有の神道的な"穢れ"の考え方も交じっており、それゆえ神道的には一定期間神社に参拝しないとか神棚に触れないようにするなどの"喪に服す制約"があるのだと。

 しかし仏教は本来お釈迦様の慈悲を説く考え方なので、罰という考え方はなく、死は病気などの今生の苦しみから開放され浄土に生まれ仏様になるできごとなのだ、と考えるのだそう。

 それを「往生の素懐(おうじょうのそかい)」と言って、本来仏教では喪に服すという制約は考えなくても良いのだ、と。

 しかしながらそうは言っても、亡くなったことを知らずに家を訪ねてくる友人知人もいるであろうから、例えば四十九日などの一定期間は家にいたほうが良いという考えがあり、それが喪に服しているようにも見えると。

「浄土真宗としてはそういう考え方で良いのだけれど、宗派が異なれば神道的な考え方を取り入れているところもあるので、自分たちの考えを押し付けるのは控えたいね」

 また付け加えてくれたのは、「あなたのところの家にお悔やみが来ることはないだろうから、浄土真宗的には強い制約を考えなくても良いと思いますよ」ということでした。


     ◆


 他の宗派では亡くなった方に仏の世界の名前として「戒名」というところがありますが、これは仏の世界での戒律を守るということの心の表れです。

 一方わが浄土真宗では亡くなった方につけるのは「法名」ということになっていて、厳しい戒律を守って修行できない衆生が阿弥陀如来の請願の心によって救われて仏になるという考え方です。

 仏教も宗派によっていろいろな考え方があるところですが、「仏助けたまえ」と願えば罪業は深くとも必ず救ってくださるのが阿弥陀様というのが浄土真宗です。

 残されたものは生きて行かなくてはなりません。

 "末代無知の在家止住の男女たらん輩"(蓮如上人が書かれた御文章の一節)である我々は、少しずつ日常を取り戻してゆきましょう

 

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妹の葬儀で家族が集まった意味 ~ 老親への介護サービスを考える

2024-09-11 22:10:15 | Weblog

 今回の妹の葬儀をきっかけにして、久しぶりに両親と弟など家族が揃いました。

 そこで二日間をみっちり近しく過ごしていて、改めて両親の肉体的な衰えや特に父の認知症の進み具合を実感したのでした。

 弟の奥さんも介護をした経験があるので、「お母さん、できないことが増えてきたらなんでも地域包括支援センターに相談して手伝ってもらえばいいんですよ」と言ってくれたのですが、母は「うん、そうだね、ありがとう」とはいうものの、さてどこまで本気でことを動かす気になるのかどうか。

 葬儀を終えた昨日の今日ですが、私の方から以前に母から教えてもらってあった両親の住まいする近くの地域包括支援センターに電話をして担当者のHさんとコンタクトを取りました。

 私が「担当でお世話になっている小松の息子です」と身の上を明かしたうえで、「昨年訪問していただいた時から身体の弱り方が進んでいると思うのと、そろそろ様々な支援サービス、介護サービスを少しずつ受け慣れしていった方が良いと思うので、まずは一度再訪問して母と話をしてその様子を見て欲しい」と伝えました。

 Hさんは両親のことを覚えていてくれて、「そうですね、昨年訪問した時もお母様がお父様の面倒も見られていましたよね。お父様は短期記憶が弱くなっているという印象もありました」と言ってくれました。

「はい、しかし私の見るところ、父は見当識障害も進んでいて、昨年よりもかなり衰えが進行しているように見えます。また母の方も、頭はしっかりしていますが体が思うように動けなくなってきています」と症状を伝達。

 本来、なにがしかのサービスを受けて居宅のままで日常生活の不便や辛さを少なくする手立てはあるはずなのですが、一番の障害は具体的に何をしてほしいのか、を自分で考えることができないことだと思います。

 年寄りと言うこともあって、新しいことを始めることに抵抗があったり億劫になったりするわけで、いくら「やって欲しいことがあったら言ってくださいね」と言っても、そこで何をしてもらえばよいのかが分からないのだと思うのです。

 担当のHさんには、「年寄りゆえの新しいことを始めることへの抵抗感があると思うので、そのあたりを踏まえつつ、まずは現状の悩みを聞き取ってあげてください」とお願いしました。

 すると電話を切ったのち数分後に、Hさんから電話が来て、「今お母様と連絡を取って、訪問する日を決めました。まずは私だけで伺ってご様子を見てまいります」とのこと。行動が早い。

 ただ、「お母様は要支援1ですがお父様が要介護1でしたので、お父様には私ではなく、居宅介護のケアマネがつかなくてはなりません。そこで、まず私の方で状況を把握してその情報を専門のケアマネにお伝えして今後の方針を探っていこうと思います」とも。

 なるほど、要支援と要介護では担当のあり方も変わるのですね。

 介護制度って結構複雑で、勉強しないとどこからどう始めたらよいのかが分かりにくいところがあります。

 幸い私は介護初任者研修を受けたこともあって、少しはそのあたりの知識があるので、包括支援センターの方とも話が通じるのですが、こういうことこそ現代の大人が学び直さなくてはいけない科目でもあると思います。

      ◆

 Hさんから電話があった後で今度は私の方から母に電話をして、「Hさんから連絡が言ったでしょ?」と言うと、「なにさ、すぐ連絡したのかい」と母。

「そうだよ。今でも父さんのことで少しずつ日常生活に支障をきたし始めているのと、もしどちらかが病気や入院なんてことになると施設介護のステージになるから、そんなときはどうする、ということをあらかじめ考えておく段階だと思うよ。だからHさんが行ったら、『まだ大丈夫なんです』と隠すのではなくて、現状を全部お話しするんだよ」
「そうだね、まずはそこからだね、ありがとう」

 まだ母は素直なところがあるので、Hさんの訪問で物事が進むことを期待したいと思います。

 年寄りだけならどうしていいかわからない。

 子供がいてもその子供もどうして良いかわからない、となると、身動きが取れません。

 まだ行動力がある子供世代が親のことを考えて、地域の介護サービスと連絡/交渉して、全体が良い方向に向かうようなかじ取りをしてあげることが良いでしょう。

 親との関係性を良好に保ちつつ、大人になっても勉強しなくちゃいけないですね。
 
 
 こういうことを改めて考えるきっかけになったのは妹の導きかもしれません。

 悲しいけれど、残されたものは前に進むしかありません。

 

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妹の葬儀を無事終えました ~ これまでのご厚情に感謝申し上げます

2024-09-10 22:42:08 | Weblog

 妹の通夜、告別式、火葬までが滞りなく終りました。

 手稲の山に囲まれた施設のなかで妹は肉体から解き放たれて天の世界に旅立ちました。

 昨日の通夜の前には近しい親族で遺体の体をきれいにする「湯灌」をすることになっていました。

 実は私こと、身内のお葬式は母方の祖父を見送った40年ぶりのことで、またその頃は若くて湯灌などに触れなかったので初めての経験でした。

 今回お世話になった葬祭場ではもちろん外部スタッフの力を借りて湯灌が行われたのですが、なんとそこは組み立て式の浴槽と温水を控室に持ち込んで、遺体をお風呂に入れてくれました。

 遺体の体をタオルでくるんだうえで、親族にはタオルから出ている手や足を洗わせてくれて、気が済んだところでその後はプロの手によって手際よく体がきれいにされ行きました。

 布団で目隠しをして遺体にきれいに旅立ちの装束を整えてくれて、最後に手甲鉄鋼と脚絆はまた親族の手によって身に付けさせてくれるなど、遺族の気持ちを汲んだ丁寧な仕事に一同感服です。


     ◆


 通夜に飾られた妹の遺影は、ある会合の時にビールを手にして微笑んでいる写真でした。

「ビールが映った遺影は珍しいね」というと旦那さんは、「〇〇(妹の事)さんはビールが大好きでしたからね」と、これが一番気に入った写真なのだ、と。

 確かにそういうところがあったなあ、と妹の姿を思い出しましたが、なにしろ旦那さんと結婚してからは旦那さんとの密な暮らしがあったわけでそちらの方が日ごろの様子ははるかに知っているわけです。

 兄弟なんて本当に子どもの時の一時の在り様なんだなあ、と感じ入りました。

 妹はダイビングも大好きで、後からライセンスを取った旦那さんと海外にも何十回と出かけたと聞いています。

 そこでお寺さんの戒名には「海」の一文字をいれてくれました。

 ダイビングって中性浮力と言って沈む力と浮く力が釣り合うと、水の中のある一艇の深さに漂っていられます。

 海の底の様子を一定の高さでずっと見ていられるのって魂が体から抜けて上から自分を見ているのと同じようだな、と思ったものです。

 きっとそんな風にしてふわふわと我々の事を見ているのかな。


      ◆


 今日は朝から告別式が行われ、その後火葬場へ移動して火葬が施されました。

 再び斎場に戻ってきてからは初七日の繰り上げ法要が営まれ、一連の儀式を終えました。

 老いた両親にはまさか自分の娘を見送ることになるとは思ってもいなかったでしょうから、その姿も涙を誘います。

 この間、多くの皆様から慰めと追悼のお言葉を頂戴し、改めて感謝申し上げます。

 お一人お一人にお礼を述べることはかないませんが、心情をお察しくださり失礼の段、お許しくださいませ。   合掌

 

 楽しかった

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枕経

2024-09-08 23:05:53 | Weblog

 

 亡くなった妹の葬儀は、月曜日通夜で火曜日が告別式と決まりました。

 妹が嫁いだ旦那さんの信仰は曹洞宗とのことで、今日の夕方にいわゆる「枕経」という形で個人が亡くなった後に行われる最初の読経が行われました。

 旦那さんの実家が檀家であるお寺のお坊さんが駆けつけてきて最初のお経をあげてくださいました。

 はじめは午後3時開始という予定だったのが、お坊さんの都合で1時間ほど遅れて4時過ぎになるという連絡がありました。

 並行して東京から飛行機で駆けつけてきた弟は、「3時なら間に合わないけれど4時なら何とかなる」と、タイミングよくお坊さんの前に斎場に到着できました。

 お坊さんの方は妹の旦那さんの実家のある札幌近傍の小都市から駆けつけてくださったのですが、「途中がイベントのせいか渋滞になってしまいまして」と謝られたのですが、こちらとしては願ったりかなったり。

「妹が来て欲しかったのかね」と不思議なタイミング合わせでした。


      ◆


 斎場からは故人の人となりを知るうえで、と出生地、学んだ学校、生前に興味があったことや性格、エピソードなどを記入する紙が渡されて、それを旦那さんが一生懸命に記入していました。

 ただ「幼い時に卒業した小学校はどこだっけ?」というところで皆考え込んでしまって、「あれ?どこだっけ?」と思い出すのにずいぶん時間がかかりました。

 移動中の弟からメールで「稚内だよ、稚内」と連絡があり、「ああ、そうだった(笑)」と得心。

 幼い頃には父の転勤に連れられて随分転校して歩いたなあ、とそれもまた懐かしく昔話に花が咲きました。

 また、誰がどんな供え物を出すかを調整したり、食事や宿泊者の数の見定めなど、決めるべきことが結構あります。

 わずかな人数の家族葬でこれですから、身内の数が多い人や付き合いの広い方が亡くなるとさぞ大変な事だろうとその苦労の一端を知りました。

 今日のところはここまでで終了。

 気を張って明日のお通夜に臨みます。

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妹が亡くなりました ~ 5歳下はまだ若い

2024-09-08 07:09:01 | Weblog

 私には弟と妹がいるのですが、末っ子の妹が昨日亡くなりました。

 享年62(満61)歳は現代日本ではまだ若く残念です。

 3年ほど前からガンがわかり、しかし分かった段階で既に骨に転移していたとのことで、その段階でステージⅣでした。

 その後投薬治療で一進一退を繰り返していたのですが、先月になり体調が悪化しがん専門の病院に入院。

 その後投薬治療の効果が見られず逆に副作用の方が強く出るようになったことから緩和ケアに切り替えての入院生活でした。

 一週間前にはまだ会話らしい会話ができていたのですが、その後に呼吸の苦しさを訴えるようになり、ドクターの判断で鎮静剤を少しずつ強めてできるだけ寝ているようにして苦しさを取り除くケアをしていただきました。

 緩和ケアの病棟に入る段階で、延命措置や行わないということに旦那さんと共にサインをしており、静かな最期を待つという時間が過ぎました。

 妹夫婦とは晩年、それほど密な付き合いはなくて、二人でまあそこそこ暮らしているのだろうと思いましたが、半年ほど前に妹ががんであることが分かり、それでも特に入院もしていないことから投薬治療でがんと闘っているのだろうと思っていました。

 入院したと聞いてからやおら見舞いに駆けつける頻度が増えて、「この一カ月で数年分くらい会ったな(笑)」と言っていたのですが、最後の数日はとうとう意思の疎通ができなくなりました。

 火曜日までは手を握ると握り返す力があったのですが、両親を連れて見舞いに行った水曜日からはもう握り返してくれることがありませんでした。

 亡くなったとの報せは昨日の夕方のことで、既に看護師さんの処置を終えて眠っているような穏やかな顔だったのが救いです。


 旦那さんからは「あなたしかわからないサブスクなんかはみんな契約を解除しておいてよ」と言われて一つずつ病床のスマホから手続きをしていました。

 がんはぎりぎりまで自分の意思が語れるとはいえ、家の整理などは旦那さんが訳の分からない妹の本やら持ち物の整理に翻弄され大変だったかと思います。 


      ◆


 妹の死は残念なことですが、そこから残されたものが教訓を得るとしたら、ひとつは体調の管理は自分だけでなく周りの人たちのためでもあるという自覚をもって、健康診断は真面目に受けて、不調なところは治療をしていただくということでしょう。

 もう一つは改めて身の回りの整理整頓は普段から少しずつやっておく方が良いという事でしょうか。

 その煩悩を断ち切るきっかけにしたいな、と思います。


      ◆

 実はそんな報せがいつくるか、というなかでの眩暈の発作で何もできず苦しんで時間があったわけで、旦那さんには迷惑をかけました。

 今は無事に元に戻っています。


 通夜、葬儀は明日明後日ですが、家族葬で静かに見送ることにしています。

 御香料ならびにお花など謹んでご遠慮させていただく失礼をお許しください。  合掌

 

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まためまいの発作 ~ 今度はちょっと酷かった

2024-09-07 17:01:56 | Weblog

 

 金曜日の朝に出勤した後にまたまためまいの発作が出てしまいました。

 家を出るときは何でもなかったのが、職場について新聞を読んだり雑務をしているうちに8時くらいから軽いめまいを感じ始めました。

 この後にどんなことになるかが大体わかってきたので、今日はもう仕事は無理と判断して職場まで妻に車で迎えに来てもらいました。

 一応行きつけの耳鼻科の病院にもネットで予約を入れたのですが、待合状況から診察は11時くらいになりそうとのこと。

 一度家に帰って11時目指して病院まで妻に送ってもらいなんとかたどりついたのですが、病院の待合室ではもう頭がぐらぐらするのと吐き気でお子様用のスペースでへたり込んで動けなくなりました。

 診察時間が来てなんとか診察台に乗り、ドクターから目の動きを計るスコープを当てられましたが、ドクターが「うわあぐるぐる動いてますねえ」と驚くほどの強いめまい。

 しかし即効性のある薬などないので、とりあえず吐き気を止めるのと眠くなる薬をもらい、あとはいつもの薬を処方してもらいました。

 支払いも薬を取りに行くのも全部妻にお願いをしてもらって、あとは家に着くなりばったりと起き上がれませんでした。

 先週の土曜日は朝6時から夕方4時くらいまででなんとか収まったのですが、今回は一晩寝ても朝の時点でまだぐるぐる目が回っています。


 用事の電話が何度もかかっていたのですが一度も出られず申し訳なかったほど。

 発作から36時間が経過してようやく少し戻ってきました。

 今回の発作はちょっと酷かった。

 こんなことがしょっちゅう起こる用では日常生活もままならないとやや不安になります。

 やれやれだいぶ焼きが回ってきたなあ。
 

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9月18日(水)に都市地域セミナー開催 ~ 次世代へのバトンの渡し方

2024-09-05 22:24:11 | Weblog

 

 私が所属している(公益財団法人)日本都市計画学会北海道支部では、来る9月18日(水)の夜に都市地域セミナーを開催します。

 参加は無料でリモートでの聴講も可能となっており、参加の資格は問いませんので、興味のある方は本文末尾の申し込み先までお申し込みください


 さて、今回のテーマは「次世代へのバトンの渡し方」としました。

 その趣旨は、「超少子化、超人口減少下にある北海道の諸都市。その経営は『税収減少』との闘いとも言える。これからの時代のまちづくりは創意工夫を重ねて新たな一歩を踏み出すことが必要だろう」としています。、今回は弟子屈町様よりふるさと納税を活用した廃ホテル除去の取り組みの話題提供をいただいて、次世代へのバトンの渡し方について考えたい、と思います。

 プログラムでははじめの話題提供者として弟子屈町の徳永哲雄町長に自らご登壇いただき、『ふるさと納税を活用した廃ホテルの除去事業』について話題提供をいただき、続いて国立公園における全国的な視点として、環境省自然環境局国立公園課の植竹朋子課長補佐にご登壇いただいて、『国立公園ならではの宿泊施設との連携方策検討について』というテーマでお話をいただくことになっています。

 その後に当支部の副支部長でもある北海道大学農学部の愛甲先生にコーディネーターをお願いして、徳永町長、植竹課長補佐とのパネルトークを行っていただくことになっています。

 なお、徳永町長、植竹課長補佐のお二人はいずれも地元からのリモートでのご参加とのことです。


      ◆


 今回のセミナーのテーマは、私から提案した話題が採用されました。

 以前私のブログにも書いたのですが(2024年6月30日ブログ 「弟子屈町の廃ホテル除去事業 ~ 次世代に負債を残すまい https://bit.ly/47mMzBx )、 それは6月に私が徳永町長とお会いした時に、「今弟子屈町内ではふるさと納税を使って廃ホテルを除却しているんだ」と直接聞かされたことがきっかけになっています。

 国立公園の中にあるともいえる弟子屈町ですが、かつて大変な賑わいを見せた川湯温泉ではブームが去り温泉街への客足が減ったことで、古いホテルが使われなくなり廃ホテルとして放置されてきました。

 それは景観的にも土地の再利用としても問題がありながら財源もなくなかなか対処できない課題でした。

 その一方で近年外国からのインバウンド観光客への日本の魅力を高めるために国立公園がもっと頑張って魅力を増し地域の経済を活性化させたいという国家的な方針が打ち立てられています。

 環境省ではそれを「国立公園満喫プロジェクト」と名付けて、全国の国立公園での誘客促進を図っていますが、さらにこの7月には政府として全国35の国立公園すべてに2031年までに高級リゾートホテルを誘致するという方針が示されました。

 随分と動きが急すぎるようにも思いますが、そうした国の取り組みを受ける中で、肝心の国立公園の中にかつての栄華の跡の廃ホテルのような負の遺産があるところも多いわけです。

 これまでもこの負の遺産の除去ができなくて苦しんでいた地元自治体ですが、そんななか、弟子屈町ではふるさと納税による降って湧いた様な資金を利用して廃ホテルの権利を取得してこれを除去するという取り組みを始めたのでした。

 私も釧路にいた時から弟子屈町の徳永町長には可愛がっていただき、私も町長のことを見識、実行力に優れた首長として私淑していたところです。

 今般弟子屈町での事業を知り学会の幹事会でお話をしたところ、大いに盛り上がり、今回のテーマとなった次第です。

 ふるさと納税って、たくさん集めた自治体のことが話題になりますが、ではそれがどのように使われて地元や住民のためになっているのか、についてはあまり触れられることがありません。

 よしんば地元のためになっているにしても、弟子屈町の様に現在の負の遺産を未来の子孫には残さない、という決意で事業を進めているのは珍しいと思います。

 実はそういいながら徳永町長はふるさと納税にも冷ややかで、「ふるさと納税なんて制度はいつなくなるかわからないからね。恩恵を受けていられるうちにやれることをやっておかなくてはならん」と明快です。

 多くの自治体の方にも参考になることが多いと思います。

 チラシにあるようにメールでの申し込みが可能ですので、ふるってご参加ください。

 

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