今年の春に退職した釣り好きの友人がいます。
先日久しぶりに会って話をしたのですが、当然話題は釣りの話に。
「以前から退職したら好きな釣りをするんだと言っていましたよね。それが現実になっていかがですか?」
すると友人は「いやあそれがねえ…。思っていたほどには釣りに行かなくなりました」と言います。
「へえ、なぜですか?」
「仕事をしていたときは釣りに行ける日って週末かせいぜい休暇を取っていくということで非常に制約された環境にありましたよね。だから多少天気が悪くても『今日行かないとまた一週間行けない』と気持ちを奮い立たせて釣りに行ったものです。
ところがいざ自由人になってみるといつでも釣りに行けるんです。そのため、『今日は風が強いから今日でなくてもいいや』とか『また次に行けばいいんだ』と、ついつい甘い心が出て億劫になっちゃうんです。
以前なら(明日は釣りに行ける)と思うとワクワクして前の日に眠れないほどでしたが、今ではそういう気持ちにもならなくなってしまいました。
もっとも、釣り場への移動も週に一度ならそれほど負担でもありませんが、家の近くではない釣り場となるとその移動に時間やお金がかかるのも負担ですしね。
小松さん、釣りも『行きたい、行きたい』と思っているうちが華ですよ」
◆
なるほど、制約があってこそ限りある時間が輝いて見えるということでしょうか。
別な知人の話ですが、「釧路勤務の時は毎日早朝の4時から6時まで釣りをしてそれから出社するという生活をしていた」とのことでした。
出社するまでに許された時間だからこそ愛おしいという気持ちが毎日でも続いたのかもしれませんね。
趣味に対する気持ちの持ちようについて考えさせられました。